魔法のランプ 颯月
道端に落ちていたランプを拾ったのが全ての始まりでした。
魔法のランプ
道端にランプが落ちていることなどまずありえないことなのですが、そのときはどうにも不思議に思えず、ついつい拾ったのです。 金色に輝くそれは持ち手の脇の部分が一部だけ曇るように汚れていて、まるで磨いてくれ、とでも言うようでした。
「ここ……汚れてる」
はぁー、と息を吹き掛けて服の袖でランプを擦るとキュッキュッと言う見事な音をたてました。 すると不思議なことにランプはボン!という音と共に爆発したのです。 気がつけば辺りには知らない間に煙が立ち込めており、煙が薄くなってランプが見えるようになると、そこには一人の青年が立っていました。
物憂げな表情と、整った顔立ちのせいで青年は人のようには思われません。 青年は一体どこから来たのかわかりませんでしたが、月子は彼はランプの精なのだと直感的に感じました。
「ランプを磨いて下さったのはあなたですか?」 「えと……多分、そうだと思います」
青年はゆったりとした服に身を包み、淡いピンク色の髪をしておりました。 指先は時折何かを掴むように、宙で揺れます。
「ここから出して下さってありがとうございます。お礼にあなたの望みを二つ、叶えて差し上げましょう」
あなたの望みは何ですか?と青年は月子に尋ねました。 今の状況はなんだかおかしい、と普段なら感じるのでしょうが、そうは感じませんでした。 人並みにやりたいことも、叶えたいこともあったつもりでしたが、そう聞かれると案外難しいものでした。
「二つ……」 「はい、二つです。先に言っておきますが、この二つのうちの一つを使って叶えられる数を増やす、というのは無しですから」
二つと聞くと少ないと感じていた月子ですが、こうして実際に叶えて貰えるのだとしたら多いくらいかも知れませんでした。
「何でも良いですよ」
困ったのは月子です。あれでもない、これでもない、と自分の中で浮かぶ案に一つ一つ駄目だしを加えていくと、これだ、と言えるものが残らないのです。 何でも言いと言われるから出ないのかも知れません。
「えと……じゃあ、あなたがランプの精だと私が納得出来るようなものを出して下さい」 「分かりました」
ランプの精はそう言うと、その場にはぽん、という軽い音が響きました。月子は瞬きをした覚えはありませんでしたが、気がつくとランプの精の掌にはブローチが存在しておりました。 スカーレットとシアンで彩られたそれは、最近月子が無くしたと思っていたものでした。
「これでいかがでしょうか?」 「……本当にあなたはランプの精だったんですね」 「では改めて、二つの望みをどうぞ」 「じゃあ、一つ目に、そのブローチを下さい。大切にしていたのに無くなったと思ったから」 「はい」
ランプの精は月子にブローチを手渡しました。それを受けとった月子の顔はランプの精が出会い、望みを叶えた人達とは違っていたので少し疑問に思いましたが、深く考える程のものではありませんでした。
「あと一つ、ですね」 「……ええ」
すると月子は黙ってしまいました。答えられないのです。 ランプの精は次第に苛立ちを感じて来ます。いつまでも黙ってしまい、望みを答えないからです。
「……今までの人たちは億万長者になりたい、不老不死になりたいと言ったようなことを望みましたよ。あなたどうしますか?」
ランプの精は暗に早く答えろ、と言っているのですが、それでも月子は答えません。 違います、答えられないのです。
「……ごめんなさい、私には答えられません」 「……何故、ですか?」 「……望みは誰かに叶えてもらうものじゃないからです」 「では、あなたは僕に何も望まないというのですか」 「はい……ごめんなさい」
ランプの精も月子も困った顔をしてただそこに立ち尽くすばかりでした。
「もう一度お聞きしますが、本当にあなたは何も望まないのですか?」
ランプの精がこう何度も望みを聞くのにも理由がありました。 ランプの精は望みの叶えた相手の魂しか食べることができないからです。 ギブアンドテイク。何かを与えるから何かを得ることが出来ます。三つの望みを叶える代わりに、魂を食すと言うわけなのです。
ランプの精は酷く空腹です。目の前には美味しそうな獲物。何とかしてこの少女の魂を貪り食いたいと思うのは、別段おかしなことではありません。 その上、ランプの精はこの少女の魂が今まで食べてきた誰とも違うように感じていました。 食べたらどんな味がするだろうと考えるだけで喉は鳴り、唾液が出るのです。
「はい。私には、人に叶えてもらうような望みはありません」 「そう……ですか……」
ランプの精はどうしたら少女が残りの望みを口にするだろうと画策しようとしたときでした。
「あ、一つ、あります。あなたに叶えて欲しいことが。あなたにしか叶えられないことが」 「その望みは何ですか?」
この望みさえ叶えてしまえば魂を頂くことができる。ランプの精はそう思いました。
「私が死ぬその瞬間まで側にいてください」 「それは……どういう意味……ですか?」 「文字通りの意味ですよ。あなた、ずっとランプに住んでるんですよね?こうやってこすってもらった時だけ外に出られて、あとはずっとランプの中で。 私淋しいんです。でも、あなたはもっと淋しそう。だから、一緒にいてくれませんか?」
月子はとんでもないことを申し出ました。
「それがあなたの最後の望みなのですか?」 「はい」 「それなら分かりました。僕に出来るのは、あなたの望みを叶えることです。ですからあなたの望みを叶えることにしましょう。 ランプを擦れば、僕はあなたの忠実なるしもべです。あなたの魂が終わるそのときまでは」
ランプの精は月子が手にしているランプを一度撫で、水に溶けるかのようにふわりと消えました。 まるで最初からランプの精は存在しなかったかのようですが、月子の手にあるランプの存在は紛れも無く本物で、それが月子とランプの精との出会いを如実に示しておりました。 少女を前にして喉が鳴るのも、唾液がでるのも、今はまだ食欲が根本にあることですが、いつからかそれは変化するのです。それは、あまり遠くない日のことなのです。
12.0122
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