カラッと晴れた青い空。涼しい音をたてて揺れる木々。木陰に座った私は上を見上げ耳をすませる。

 高い金属音がグラウンドから聞こえてくる。


 視線をグラウンドに戻すと彼がちょうど目に入った。

 少し泥で汚れた練習着で汗を拭いた彼は、声を出し身構える。高い金属音と共に走り出した白球は手前でバウンドし、彼のミットに綺麗に収まった。すぐに彼はそれを返投する。一瞬だけ私の方を振り向いたように見えたが、また彼は前を向き身構えた。



 目を閉じると思わず微笑みがもれた。

 瞼の裏に映った彼は今よりも幼い。面影が微かに残った彼は子供用の短いバットを持って私に笑いかける。そして、真剣な表情になって何かを言うとバッターボックスに走って行くのだ。彼があのとき何と言ったのかは覚えていないが、幸せな思い出として今でも覚えている。



「っ、うわっ」

 ぼーっと目を閉じて涼んでいた私は、突然首に当てられた冷たいものに声をあげる。

 慌てて姿勢を崩すと後ろから笑い声が聞こえた。


「はは、馬鹿だろ鮎。ウケる、なんだ今の声可愛くねー」

 後ろにいた犯人は人を馬鹿にしたように笑い続ける。否、笑い転げる。笑いすぎて腹痛いとか言ってるけど、痛いのなら病院にでもどこでも行って二度と戻って来なければ良いのに。嗚呼、さっきまでこの馬鹿との思い出に浸っていたと言うのにだいなしだ。


「よけいなお世話よ。だったら幸喜が可愛く言ってみれば」

「鮎より絶対可愛く言えるね」

 ほら、と言って彼が出した声は気持ち悪いとしか言えないものだった。

「ごめん、幸喜。さすがの私でも今のはリアクションできないわ」

「そんなに俺の声が良かったのか。はは、そうかそうか」

 救いようがないと馬鹿とは今のこいつに当てはまる言葉だろう。どうやったら、あんなに可愛かった子供がここまで憎たらしくなるのかを知りたい。神様も酷なことをしてくれる。まったく。


「あれ、そういえば、幸喜部活は」

「ん、昼休憩。鮎はなんで学校居るんだよ」

 先生に呼び出しされたと言うと、やはり馬鹿にしたように笑われた。




「んー、ここ涼しいな」

 ザワザワと木々が音をたてて揺れる。

 俺もここで飯食べようかなと言った彼の手には弁当が握られていた。

「最初からここで食べるつもりだったくせに」

「ご名答」

「そのジュースは私の?」

「ピンポーン大正解。賞品はこちらになります」

 ぽーんと弧を描いて私の手の中にさっきの冷たいものが収まる。炭酸飲まないくせに買うのは私にあげるため。少しだけいつも優しい。少しだけね、少しだけ。


「炭酸なのに投げないでよ」

「貰えるだけ喜べ、ばか」


 缶を開けると案の定必要以上の音と泡が飛び出した。

 手がベタベタする。最悪。幸喜が持っていたペットボトルの水を奪い軽く手をゆすぐ。冷たい、気持ちいい。そういえばもう夏なんだった。そう思い空を見上げると太陽がギラギラと照りつけるから目を細め、木の影にのそのそと戻った。幸喜が私の横に腰をおろした。いつもどおり左隣。私が右で彼は左。幼い頃から変わらないそれに少しだけ安心する。

「あ、それおばさんの手作り?」幸喜の弁当に指をさし言う。

「そうだけど。やんねーぞ」

「良いじゃん一つだけ。私卵焼きがいいなー」

「自分でつくれ。あ、ばか」

 幸喜の弁当箱から卵焼きを奪う、いや奪還する。(あれ、違う?)甘い味が口のなかいっぱいに広がる。うん、やっぱり卵焼きは甘くなくちゃね。

「ありがとう、おばさん。ごちそうさまでした。ついでに唐揚げも頂きます」

「誰がやるかばか!」

 唐揚げに伸びた手は払われ、狙っていた物は幸喜の口のなかに入れられた。

「うん、うまい」

「あー! ばか! 私の唐揚げ」

 俺のだからと言い箸を進める幸喜。あんなにいっぱい入っていた弁当はみるみるうちになくなっていった。おばさんの手作り。惜しいことしたな。しょうがないから今度夕飯にお呼ばれしに行こう。うん、決めた。幸喜がなに言ったって関係ないわ。食べ物の切れの悪い返事。明らかに失敗したという顔をする。

「小学生のとき言いそびれたやつ」頬を染めた彼は目を背け額をかく。

 あのとき、彼が言おうとした言葉は?

 分からないから、思い出せないから、君のその染まった頬に期待して待っているよ。







 夏がくる。夏がくる。
 君と過ごす熱い熱い夏が――。






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