犬註さんのお部屋 | ナノ

天衣の衣

 改訂について

平成24年9月8日に完成としていた本稿を見直したところ、至らない点が多々目に着き、気に入らないため、修正を加えました。未熟さは残っているでしょうが、もし若干だけお付き合いいただけたら幸いです。

平成24年12月14日 作者 犬註






『天人の衣』は、「犬夜叉」の原作で詳細に語られていない逸話を、註者の作品の人物設定や時代背景についての理解の範囲で、試行的に補完した創作の説話である。竹取物語や今昔物語を意識しているため、仏典に関する記述が多くなっていると思う。

本編の後に、註者自身が出典の説明や文献の紹介など註釈を加えているが、この註釈部分のみご高覧いただいても古典や史料を参照するのに役立つ読み物として構成をしたので、どうか架空の創作と一蹴なされずに、一読を賜われたらと願うものである。

原作にできるだけ沿うよう努めたが、純粋に作者が書いた話のみ読まれる方には、どうか以下の記述を一切読み飛ばして、他の記事に移っていただきたい。

旧暦壬辰文月二の未の日(九月七日) 作者





『天人の衣』本編


まことかと 聞きて見つれば 言の葉を
飾れる玉の 枝にぞありける
ーー『竹取物語』第十九段「車持の皇子は(八)」(※1)


* * *

第一段 灯明の数

今は昔、辛酉の年、十一月の二の卯の五穀豊穣に感謝する祝祭の日(※2)、今の世の暦で云うなら翌年正月五日(※3)、武蔵の国の、とある郡の話である。

早朝からの冴え渡る冬晴れ。頭上の陽射しが秩父の連山にいただく雪を、金色に映し出す。吹き下ろしの風は地面を伝い、村を吹き抜ける。

村を守る巫女は、こんな真冬でも川沿いの野原に出向いて、調合に必要な薬草を探し回る。呼気は湯気となり吸気は凶器となり喉の中を突き刺す。霜の立つ地面は冷たく固く感じる。

名は桔梗。御歳十八のうら若き娘である。衆生を災厄から守る使命を持つ。己れのための時間などまるで存在し無い。そのような私心は、巫女修行の結界をくぐって以来、切り捨てて来ている。

「もう戻って参ったのか。」

うれしげな呼び掛けに応えたのは半妖ーーすなわち妖怪の父と人間の母を持つ存在として生を受け、犬夜叉という名を授かった犬耳を持つ少年のことだが。この時代には、妖怪も半妖も頻繁に人間の社会を訪れたものである。

「あっちじゃ、歳の数だけ蝋燭を立てるんだとさ。祝い事は元服と還暦のときだけじゃねえみてえだな」

犬夜叉が「あっち」と呼んだ場所と関わるようになったのは、神代から伝わる村の外れの涸れ井戸との関わりがある。

ある日のこと。涸れ井戸から娘が這い出てきた。娘は村の者と言葉が通じたが、見慣れぬ装束を身に着けている。西国の旅芸人でも異国の勅使の身なりでもない。村人の目つきには、遥か空から舞い降りて来た娘子でも見るような驚きを持っていたが、いまは戦いに明け暮れ、魑魅魍魎の被害に悩まされるご時世である。敵方の間者か妖ではないかと多くの者は疑い、娘を捕えた。

直後に村を妖怪が襲来した。娘は犬夜叉とともに妖を討ち果たす。このとき村人たちは犬夜叉の封印を解いた娘の力を認め、村に迎えることとなった。娘の名はかごめと云った。

聞けば、かごめの生国は、この天下からはどこか遠くの国とのこと。煙霧を噴射すると創傷が快復する薬入りの筒などのある薬箱。長期に保存が効いて都度沸かしたお湯にてもどす饂飩。絡繰り仕掛けの道具。これら煉丹術の道士か仙人の持つような袋を背負いつつ、牛や馬が挽くでもない二輪の車に跨がって動く娘の姿は、何とも珍妙というか滑稽である。

そのかごめは正月を親弟と一緒に過ごすために一旦涸れ井戸の向こうの国に戻り、犬夜叉一人戻って来たわけである。

息はもう白くない。桔梗は薬草を積む手を止めて、枯れ草の原に腰掛けた。犬夜叉も傍に背を向けて座った。

犬夜叉は、満腹感からか瞼がときどき半目になる。午睡をしたそうである。

桔梗が視線を転じると、犬夜叉の首に、この武蔵国でも天下広しといえども見かけぬ扁平状の金属の豆粒が、光沢を放ちながら振り子のように風に揺れている。

ーー神仏の御守さえ迷信だと申して、決して身に着けない犬夜叉が、急に首飾り、かーー

「犬夜叉、お前は元服の儀のときに、どんな贈り物が欲しいか。」

「そんなもの要らねえよ。」

ーーと答えてはみたものの、なんだこの突拍子も無い質問は。女の勘か。

陰陽道を修めた桔梗も心得ている筈だが、天の五つの惑星は五行と対応し、古の世から神として畏れられ崇め奉られ、数々の星の中で最も重要とされた。古代人は、その中の「歳星」すなわち木星の「一年」 の運行の周期を観測すると、この天下でいう「一年」よりずっと何倍も長いことを知っている。

「時」には目盛りは付いていない。「時計」に付いているのである。時の経つに連れ変化する物を観測することで、間接的に時を測ってきたのである。

犬夜叉や多くの半妖は歳星の周期と「一年」の関係同様、半妖が「一年」の時を刻む間に、人間は既に、十数年の歳月が流れているのである。

人間には多忙の者も入れば悠々自適に暮らす者もいる。実は、互いに別々の固有の「時」を刻み歳を重ねていくのだろうが、各々が勝手な時の測り方をすると世の中に不便を生ずるため、共通の物差しとして天の動きに基づいて時計を定めたのであろうか。

桔梗はこの世の時を刻んでいない。なぜならこの世を生きていないからである。生きている者はそれ自身が時計のように年輪のように刻々と変化する。すでにそれ以上の形に大きな変化を生じない骨と墓土で出来た、紛い物の身体を持つ者。屍人は寿命に限りのある半妖や妖怪とも異なる。桔梗の時間の進行は、死の瞬間以降ずっと屍人の身体の中で停止し、凍結されるのである。

涸れ井戸の向こう側の国では、三が日が明けて普段どおりの生活に戻っているのだが、この武蔵の国は年の暮れが迫っているおり、いずれにせよ正月気分の話ではない。

井戸の向こうの国は、誠に異なる時と習慣のもとにある。

「ーーかごめの国では、そのような数の蝋燭を、御仏にどうやって供えるのか。」
「ちょっと違うな、膳の上の『めし』に灯すんだ。」

「めーーーーー」桔梗は思わず言葉が詰まった。
桔梗は犬夜叉の話を聞いて、「灌仏会」(かんぶつえ※4)の状況を連想したのだが、かごめの国では、随分と事情が異なるようだ。



* * *

第二段 遠国の祭

雲ひとつ見当たらない蒼い空を、鴉(からす※5)の群れが通り過ぎてゆく。

犬夜叉は話を続けた。

「人間のやる事は、まったくわけ分かんねえぜ。」

「かごめの国は年喰うと村祭りみてえに騒ぐかと思えば、こっちじゃ、子供が生まれたり長生きしたりすると、みんな通夜みてえな顔するだろ。どうかしてるぜ。」

ーー犬夜叉は吐き捨てるようにつぶやいては、目を逸らす。

冬の風物といえば椿の花も該当するはずだが、妙なことにこの村里にはその花の木々は無く、川面に真紅の漂う光景を滅多に見ることができない。

椿の花にはこんな太古の逸話がある。

「ーー 皇后の石之日売命(いわのひめのみこと)が新嘗祭の酒宴である豊楽(とよあかり)を催すため、酒を盛るための御綱柏(みつなのかしわ)の葉を採りに紀伊国にお出かけになられた。留守の間、大君の大雀命(おおささぎのみこと)は八田若郎女(やたのわきいらつめ)と結婚をしてしまった。これをひどく恨んだ石之日売命は、船いっぱいに積んであった御綱柏を、悉く海に投げ捨ててしまわれた。そのとき皇后は大君を思い、椿の花を詠まれたーー」(※ 6)

桔梗が陰陽師のもとにいた頃、椿の名を持つ巫女とともに修行をしていた。椿は陰陽師の後継者を自認し、邪魔になった桔梗を呪詛で始末しようとした。いや、椿は巫女としての資質だけではなく、他者からの美しさへの関心を独占したかったのであろうか。

ーー骨と墓土の紛い物の体になったのも元はといえば、巫女修行のときの忌わしい出来事が原因であるが、そんな恨みつらみをくどくどと語っても何も変わらない。あの者の所業が愚かだということだけである。

個人的な嫉妬心が争いの火種を蒔き、歴史を変える要因となってしまうことがある。

ーーもしあの災難に遭わなければ、村の、もっとより多くの者を救うことができたであろうか。いや妖怪には太刀打ちできても、こんな世だ。戦や疫病によって結局は命を落とすだけかーー。

椿との出来事、村の事に思いを巡らせればいろいろと切りが無いけれども、ともかく花には、その者が塗り籠めた嫉妬の色を思い起こすのである。

ーー師はあの時からいかがされたものか。それだけは心に引っかかる。
師のよく口にした首(※7)が、脳裡に蘇る。

世の中を 厭しと恥しと 思へども
飛びたちかねつ 鳥にしあらねば

この武蔵の国にも、村人たちは飢饉や疫病に苦しむ中で年貢や夫役の重圧に堪えかね、生まれ来た子や歳を重ねるだけの年寄りを口減らしする者たちが数多く出た。あまつさえ、働き手には領主からの徴用が繰り返され、田畑は荒れ放題となって納める年貢は無くなるのである。

こうして為す術も無く餓死する者あり、あるいは田畑を放棄して領外へ遁れる者が相次いだ。

「お前はいつも鋭いな。返す言葉が無い。」

ーー人間より既に長く生きているとはいえ、半妖の犬夜叉の慧眼には恐れ入る。しかし桔梗一人では、戦乱の人の世に太刀打ちできない、どうしようも無さがある。

草むらの先に何かの影が見えた。顔をのぞかせたのは鹿の親子のようだ。彼らにとって真冬の森の生活とは日夜、寒さと餓えと捕食者の恐怖との戦いである。

鹿の足下には、餌を探す途中で息絶えたのであろうか、猪と覚しき獣の骨が散らかり、向かい合わせに、朽ち果てた落ち武者の亡骸がただ転がる。供養する者は誰もいない。

ーー生きるは死ぬる。死ぬるは生きる、か。

桔梗の時代の、人々の生き様を物語る出来事が、和泉国の荘園の領主であった九条政基の日記(※8)に、

「 文亀の年。荘園は飢饉に見舞われた。不作の中、多くの百姓が餓死し荘園を去った。荘園の民は蕨を採り粉末にして命を食い繋いだ。しかし、荘園の社に二人の息子とともに住む巫女が、命の粉末を夜ごとに盗んだため、百姓たちは、母である巫女と子の共々を皆殺しにした。」

ーーと記される。民には正当な理由があったとはいえ、荘園の皆こぞっての血祭りである。飢饉もまた人を狂気にさせる。

桔梗は修行の道中、こんな遠い村にある同じ巫女の噂話を伝え聞き、あるいは自身も、飢饉や疫病の凄まじさを、痛切に、幾度と目の当たりにしたことだろう。

* * *

第三段 首飾の験(しるし)

桔梗はまた問う。「犬夜叉、お前が生まれた頃も、このような世であったのか。」
「はっきりとは覚えてねえな。おれが生まれたのは、おふくろの屋敷の中だったし、村がどうかなんて全然ーーー」

突然、何かが二人の目の前に飛び込む。妖怪が現れたか。

「どうした犬夜叉。おらにもかごめの土産は無いのか。」
ーーこの犬夜叉の連れの子狐は、いつから聞き耳をそば立てていたものか。

「てめえは引っ込んでろ。」
ーー犬夜叉はこの無邪気な子狐七宝を蹴散らす。すっかり影も形も無い。

「そういえばーーー、子どもの頃、おふくろが火鼠の衣を着せてくれたのも冬だっけな。」

この戦の絶えぬ世で人々はどんな暮らしであったろう。珍しい品など贈答する習わしはあったものか。

特に、今の世に云うところの記念日を祝福する場合である。夫婦となった日、子宝に恵まれた日、誕生日が挙げられるであろうか。

記念日はすべて過去に起こった出来事をもとに計算して一年二年ーーと時を刻むごとに祝うことに意義を見いだすものである。それに対してこの時代はいわゆる記念日という習慣は無く、新たな発生する祝い事に重きを置いて、人々は寄り集まって皆で祝福したことであろう。そして年を単位として意識する習慣は、むしろ仏事の方で、命日の方が当てはまる。

さて犬夜叉は、朝廷に仕える女官の母の子であった。庶民の暮らしぶりとはまったく違ったけれども、貴族の家にあって特別な贈り物を受けるとすれば、出生や初冠(ういこうぶり)、叙官、還暦、ということになる。

犬夜叉は人間の齢で数えれば初冠、すなわち元服の儀を行っても良い歳のはずだが、立ち会う母はすでにこの世にいない。

「何かあれば検非違使(けびいし※9)の役人がすっ飛んで行ったし。まあ今の世の中よりはましだったかな。戦ばっかやるからだぜ。」
ーー犬夜叉は、遥か遠い時代を振り返る。

「犬夜叉よ。人間とはそういう定めなのだーー」
ーー桔梗は穏やかだがとても明瞭な声で、そう諭す。

今日の犬夜叉は、昔話に触れるとすぐさま顔色を変えては話を逸らしてしまう、いつもの照れ隠しの素振りを見せない。

桔梗が感心したのは、首から下がるかごめからの贈り物の「霊験」だ。

ーーこれほどまでに犬夜叉を饒舌にさせるか。まあ、ありがたし。ありがたし。あの者には、確かに犬夜叉の心を開かせる力が備わっているようだーー

桔梗は、川岸の向こうの景色に意識を移した。

冬の野辺にまだ花は咲かない。

朝晩は霜が降りる厳しい寒さだが、すべて枯れ果てた訳ではない。茅などの野草は風に吹かれると、一斉に揺れている。雀や千鳥などの留鳥も地中の虫を啄(ついば)みに地面をひた奔る。

「犬夜叉、ここで待っているのだ。お前に渡したい物があってなーーー」

何か閃いたのか、やや口ごもりながら一旦戻ってまたここに来ると伝えては、立ち去る。

* * *

第四段 善神の名

ーー待ちぼうけを喰らうのか。
犬夜叉はしばらくの間、鯉の黒い影が群れるのを目がけて小石を投げていたが、程なくして一匹も寄り付かつかなくなった。

ーーおふくろは冬になると香を聞き(※10)ながら俺の生まれたときの話をして、その後、必ず箏を弾いてくれたよな。

犬夜叉は黒い影の見えなくなった方向に向かって、まだなお石を投げ続ける。

この年、朝廷は「文亀」と改元した。天下の変革が六十年に一度起こるという説が学者から上奏されたからだ。しかしながらこのような形骸化した上奏など、誠に知ったことか、天下の大混乱はとうの昔に始まっていたのだ。

百五十年以上続いた王統の対立は、一時、天下に二人の天子が現れるという異常な事態にまで及び、この争いに地方の武家が巻き込まれた。文亀の前の、「明応」であった頃は将軍家の跡目争いがあり、公方様は都を逐われる始末であった。

自然による災禍も計り知れない。同じく明応のとき、遠江沖を震源とする大地震があり伊勢を中心に津波の被害も相俟って、二万人とも三万人ともいう死者を数えた。

朝廷の財政は次第に窮乏した。明応九年、先の帝の崩御を受け、御柏原天皇が践祚したが、費用に事欠いたため、先帝の大葬の日程は延期され た。元日の節会などの行事も中止となり、即位の礼に及んでは、実に践祚後二十二年目にして執り行われる窮状であった。(※11)

朝廷や武家の混乱は、地方の万民までを巻き込み、いつしか天下は戦乱の世へと入っていった。

この女官の家にも、混乱の影響が及んだ。

犬夜叉の母上は当初、後宮に仕える中臈の格の官吏であった。典侍(ないしのすけ)として、各官庁からの上奏を帝に取り次ぎ、内外の命婦(みょうぶ)の朝参を監督し、長官を補佐した。また帝の践祚の際には、剣璽渡御の儀において剣璽を守る使者としての重責を果たした。(※12)

典侍は格の高い女官で、職員の法令に従えば従四位相当の殿上人である。官からの俸禄は、位田と呼ぶ水田を十二町、他に、四疋の(あしぎぬ)に四屯の綿などの封禄を支給された。(※13)

中臈の家の権勢は、そんな朝廷や武家の内部抗争のために失墜する中、自身もついには散官となった。領地から入る公租や官からの俸禄はめっきり減少し、重要行 事の際に下賜される節禄も無くなった。

一方で出費については、世情に合わせて儀式典礼がたやすく質素倹約に改められなかったため、相も変わらず調度の品々 などの費用に苦しんだ。しまいには食い扶持にも困り果てるようになっていき、家財を売り払い、都落ちの破目になった。

そうした経緯において起きた、苦々しい体験が思い浮かぶ。

犬夜叉が生まれた日より毎年、陰陽寮(おんようのつかさ)の役人や胡散臭い祈祷師どもの一行が邸宅を替わる替わる訪ね来た。生まれた子は必ず禍を招くから調伏させて欲しいなどと口実を加え、隙あらば手にかけようと刃を構えるのである。この呆れるほどの執拗さに、傷つき苦しんで来た。

この貴族出の母は、どれほど苦悩したことであろう。この半妖の子が生まれようと生まれまいに関わらず、巷には災禍が溢れているというに。

犬夜叉の母上は、愚かな祈祷師が訪ね来る折に、半妖の我が子を袖で覆い隠すと、

瓜食めば 子ども思ほゆ
栗はめば まして偲はゆ
いづくより 来たりしものぞ
まなかひに もとなかかりて 安寐し寝さぬ

しろがねも くがねも玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも

と、 憶良の歌を詠んでは(※14)(※15)「お釈迦様が其方を守るから大丈夫ですよ。犬夜叉の『夜叉』は仏法を護る善神ですから。」 と、そのような周りの騒がしさは一顧だにせずに、箏を弾き続ける。御簾越しに、雲間から、一条の光が射し掛かる。

犬夜叉が人の争い事に関わらない一貫した態度をとるのは、人の愚かぶりを嫌気が射すほど見て来たからである。そんな輩こそ禍々しき妖怪ども、と呼ぶべきであろう。

ーー妙なことまで思い出しちまった。
犬夜叉は寝覚めの悪さのような心地である。

石遊びには、もう飽きてしまった。

* * *

第五段 御守の形

桔梗がようやく川沿いの原に戻ってきた。

「お前が私に、母上の形見の紅をくれたのを覚えているか。」

「今更なんで、またそんなこと聞くんだよ。」
ーーちきしょう。女というのはときどき訳の分かんねえことを抜かす。

それから、きっと桔梗には少々勿体ぶった性格がある。

「あのときにお前に渡したかったのは、言霊の念珠だったのだがーーー。」
言霊の念珠とは、犬夜叉が狼藉を働かないよう監視するため、桔梗が予め念を込めていた首掛けである。

「何っ」

犬夜叉は少々色を為して急に立ち上がったのだが、うっかり軸足を草の上で滑らせてしまった。

「今度は本当にお前に渡したい物があるのだ。」

「ーーー」
ーー桔梗はどういう風の吹き回しであろう。

「お前には、これを渡そう。その前に目を瞑ってくれ。」
ーー相変わらず勿体ぶった言い方は気に入らない。

「何のつもりだ。けっ。」

桔梗が何やらごそごそと怪しげに物音を立てるので犬耳を効かせてみるが、この不意討ちは、さっぱり見当がつかない。

* * *

第六段 不敵の舞

「さあ、確かに渡したぞ。」
ーー犬夜叉。これは、どんな槍でも貫くことの叶わない天女の羽衣で、お前の衣にこっそり縫い付けておいた。本物の羽衣は、霊力のある者にしか見えないのだ。

ーー桔梗は犬夜叉に近づいたときに、気配さえ消している。

「どこにもねえじゃねか。なんだ、また忘れたのかよ。」
ーーまた揶われたのか。案外冗談を云う女だな。

犬夜叉は苦い表情になった。

「ふふふ。いま授けた物は、この先ずっと、いつまでもお前を守るだろう。」

桔梗は、犬夜叉の心は我が物ぞと、さも得意げに、誠に誠に、勝鬨(かちどき)の声が何処かより応じて来そうな笑みを湛えるのである。

ーーお前の魂が亡びるときは、私の魂も亡びるときなのだ。

羽衣の不思議な力を信じて、実に、様々な境遇の者が吸い寄せられてきた。

逢ふ事も 涙に浮かぶ 我が身には
死なぬ薬も 何にかはせん(※16)

天の羽衣を信じ、不老不死の力を得ようと、疫病の夫や妻の快癒のため、その力を利用せんとする者。妻子を売り飛ばし財産すべてを懸けてまで追い求めたが贋物を掴まされて何もかも失い、取引の相手方だった者を恨んで殺す者。私かに天下を窺い領内に噂を聞き付ければ、領民の困窮を余所に兵を遣って探索に没頭する領主などの輩があっ た。

この武蔵の国にも羽衣の霊力を求める者は数多とあるが、動機はともあれ、まるで皆化かし合い騙し合いの様相を呈する。

ではこの巫女は、どのようにして天の羽衣を手に入れたというのか。

単なる噂話を仄聞すれば、村人の中には桔梗の風貌と強い霊力から、巫女を羽衣の持ち主の天女に譬える者もあるそうだ。ひょっとしたら噂話は誠かも知れない。

はるかすみー、たなびきにけりひさかたのー、月のかつらの花やさくー(※17)

* * *

第七段 舞人の魂

ーー俄かに巫女は舞を始めた。

今日は、「辛酉の年の十一月の二の卯」の「五穀豊穣に感謝する祝祭の日」である。

毎年の旧暦の十一月の丑寅卯辰の四日にわたって、朝廷では「五節(ごせち)」という行事を催す。卯の日の夜に五穀豊穣に感謝する「新嘗祭」がとり行われる。辰の日には紫宸殿において「豊明節会(とよあかりのせちえ)」が行われ、五節の舞が披露される。

この五節の行事はその昔、天武天皇が、吉野宮で日暮に琴を弾きあそばされたときに天女が天より下って、

乙女ども 乙女さびすも から玉を
袂にまきて 乙女さびすも

と謡い、袖を五編挙げたので、「五節」といわれるようになったという説があるそうだ。(※18)

「なんじゃそりゃ」

ーー犬夜叉は遮ろうとするが、声が聞こえないのか、ふりなのか、巫女はわれ関せず舞を続ける。

犬夜叉は、母が高貴な身分にあったにせよ、自身はそのような帝の御前で披露される舞など知る由も無く、そのような天女の舞の謂れなど聞いてはいまい。また、 犬夜叉が目の前の光景を怪訝に思うのは無理も無い。桔梗が犬夜叉の前で舞う姿など、これまで一切経験になかったからである。

桔梗のような歩き巫女たちの中には、村を転々と巡りながら舞を披露する者もいたという。修行の旅の途中にどこかで身に付けた隠し芸なのかも知れない。

ーーその名も月の、色人は、三五夜中の、
空にまた、満願真如(まんがんしんにょ)の、影となり、
御願円満(ごがんえんまん)、国土成就、七宝充満の、宝を降らしーー(※19)

扇の手招きの動きが優雅で、いかにも浮き世離れした感がある。
漆黒の扇面には松原や、波模様、金の鳳凰、それに舞い散る紅白の梅が施されている。

舞人は小春日和の風を吊ってきたようだ。木々のざわめきが次々に波の音を響かせる。とうに見慣れたはずの川のせせらぎは水碧く瑠璃色を湛え、舞人に寄り集まった鯉たちに墨絵を泳がす。

水面には金色の日輪を載せ、その金色の光は、大小様々な石を螺鈿に五色の玉に変化させる。朝には降霜で目立たなかった福寿草の黄金色が周囲に点々とし、舞台を挽き立たせてくれる。そこに現れ出でた舞人の姿が、銀の光沢を放つ。

先に、戦続きの世の有り様に直面しては、たかだか一人の巫女の存在は無力であると述べた。しかし犬夜叉やその連れの者どもの力を合わせれば、この武蔵の国の民百姓の数までならば何とか救えるのかも知れない。

ーーかつて天竺では仏が、阿難及び韋提希(いだいけ)に告げた言葉がある。

「阿弥陀如来は、観世音・大勢至、無数の化仏、百千の比丘・声聞の大衆、無数の諸天、ならびに七宝の宮殿とともに現前す。すなわち観世音菩薩は、金剛の台を 執りて、大勢至菩薩とともに、行者の前に至る。阿弥陀仏は、大光明を放ちて、行者の身を照らし、もろもろの菩薩とともに、手を授けて迎接したもうーー」(※20)

舞人は、殺伐とした憂き世に光明を与える。まさに「七宝充満」の国土といえよう。

犬夜叉は舞人の台詞が天竺か何処の国かの祝詞に聞こえ、この女狐の舞人にはして遣られたり。小馬鹿にされた心地である。

銀の舞人は己れの舞に陶酔している。

舞人は、己の霊力によって御身の滅失に抗う屍人の女である。

ーー月は盈(み)ちては虧(か)けゆくように、この紛い物の体も、生まれてはいずれ亡びゆく物。
ーー目に見える一切は、この紛い物の体と同じなのだ。

されど、犬夜叉ーー

「お前に渡した羽衣は私の心、目には見えぬ物。永遠に滅びぬ物。」

ーー銀の舞人の授けた羽衣に、観客は、きっと気付かぬことであろう。

* * *

第八段 代々の宝

ある年の元日、娘は母から御守の巾着を手渡された。表には赤い糸の刺繍が施してあり紫のしっかりと編んだ紐で首からぶら下げる。耳の遠くなった神主による、この品に纏わる不思議な出来事を語った蘊蓄とともに。この神主の家の習慣としては、未だに数え年でお祝いをするのである。

翁の蘊蓄は兎も角として、これに関しては母からは、とても貴重な御守りで絶対に紛失してはならない、とんでもない罰が当たると、根拠不明の注意をうるさく聞かせされる。

家の神社の境内には宝物殿ーー見た目には普通の古い倉庫ーーが併設されており、ここには郷土の歴史とともに歩んできたような収蔵品の数々が収まる。

ーー神社の周囲にまだ武蔵野の雑木林があったころの話。市内の中心部では路面電車が網の目のように張り巡らされ、繁華街にはたくさんの洋風の店や芝居小屋などの建築が進んた。この神社の辺りはまだ「市」に編入されてはなかったものの、田畑や雑木林であった土地に民家が商店がちらほら建ち始めた。神社の宝物殿が老朽化していたため、このままでは近隣に対しても危険だということで、地元の宮大工に頼んで建て替えることになった。

基礎工事を始めたとき出土品が数点発見された。埋蔵物の発掘調査が半月ほどかけて行われた。出土品の中に、銀製の首飾りと赤色の布の断片があった。

銀製の首飾りは潰れた円形状で表面を錆の被膜が覆い、鈍い光沢を放つ。蝶番を開くとそれぞれ若い男と女の一対の図が埋め込まれていた。このような形状の首飾りは他に類似の品が発見されていないため、南蛮船が運んだ献上品の類いか、あるいは男の顔には犬か猫のような動物のような耳が付いていたため当時流行した戯画であろうかと、若干の議論を呼んだ。

赤色の布の断片についても詳しい年代調査が行ったが、分析結果がまるで一定しなかった。中には五千年前という極端な推定値があり、こちらも専門家の間で疑問が沸き起こった。東京から府のお偉方まで調べにやって来て、生地の材質や織り方、同じ場所で発見された首飾りの状況とも照らし合わせて検討された。

布の場合は金属と異なって虫の害があり風化が早いため、形状が良好な状態で出土することは珍しい。この断片はおそらく周囲の部分が風化で欠落してしまったのであろうが、断片の部分に関しては色褪せすらまったく無いのである。

しかしこれらの出土品は、なぜか文化的価値は認めらないと判断され、すべて神社に返還された。そしてこれらは神社の新たな御宝物となった。

限りなき 思ひに焼けぬ 皮衣
袂かはきて 今日こそは着め(※21)

この宝物殿をはじめ神社の周囲は戦災をくぐり抜け、焼失の被害はなく傷一つさえ付かなかった。隣町の家々はすべて灰となり、焼け野原と聞く。氏子たちからは御宝物の有難い霊験のお蔭だろうかと囁かれた。

ーーそれから幾年も過ぎた。娘がこの春から進学する。

娘は元日に「学業守り」の巾着を母から受け取った。中身は首飾りと布切れである。

「なんでこれが学業守りーー」

首飾りは当然若い男女が描かれているわけで、宮司の翁もそうだが、母もなんて間抜けなーー。これが肉親とは呆れる。弟だけは「ねーちゃんのなんだから、知らないよ。」と素っ気ないが、信じるか信じないか普段は怪談話や都市伝説の類いを怖がる癖に、そんな霊験はインチキだと断言する。

しかしこの家ではそうやって、娘の母もそのまた母も、進学する年の元日には、習わしとしてその御宝物の御守を母親から手渡されきた。

ーー神社の娘は学業が大事なり。学問の上で特別大事な日には携帯するように、と代々言い渡される。

母もその母もその霊験のお蔭か、みな無事に学校を卒業することができた。もし古の世に例えるならば、元服に際してのお祝いの品と言い換えたらやや苦しいだろうか。

人は成長すればやがて娘の母や翁のように必ず年をとる。どんなに技術が進んでも不老不死はおそらく実現は困難であろう。もしかすると残酷な事だが、身近な者にも己の身にもいつか死が訪れる予定があるからこそ、新たな誕生の喜びを一層心から祝福することができるのかもしれない。

これからもこの神社に娘が生まれ続ければ、きっと幾重にも新たな持ち主が代を継ぎ重ねていくし、新たな持ち主が現れる場所こそ、現世における「七宝充満」の地といえようものか。

「ぽぱぽー!」

ーー近所の幼馴染みらしき声が聞こえたが、淡色の葉の木漏れ日が眩しい。

今日はこれから入学式。その子からは剣道部か空手部か、どこか一緒に入部をと誘われ迷ってしまう。でもパンダみたいな顔して運動系の部活なんて、あいつ平気かな。顔見知りの先輩の女子から弓道部のお声も掛かっているし。とりあえず見学してから。

春風に雲が棚引き、首飾りが揺れる。



犬夜叉外伝『天人の衣』






【註】

(1)
○ 竹取物語第19段「車持の皇子は(八)」。くらもちのみこは。「話を聞き、本当かと思って見ていたら、言の葉でごまかした玉の枝であった。」(訳は『竹取 物語』講談社文庫)。かくや姫が求婚してきた車持皇子に対し蓬莱の山の枝を持ってくるよう難題を突きつけたが、車持皇子が持参したのは職人に作らせた真っ 赤な偽物で、かくや姫はうっかり騙されそうになった。

(2)
○ この年は旧暦11月16日。かつて、二番目の卯の日の夜に五穀の収穫を感謝した新嘗祭がとり行われた。辛酉は干支による年の表現。陰陽五行説によれば 「辛」は陰の金、「酉」は陰の金で同じ金気の組合わせの「比和」の関係になるという。このような関係を持つ干支は、「十干」の10年周期と「十二支」の 12年周期の最小公倍数である60年周期「還暦」で同じ組合わせの干支が現れる。ちなみに、この日の六曜は友引である。

○ 中国から渡来した讖緯説によれば辛酉の年は変革が起きるとされ、さらに六十年を「一元」、二十二元を「一蔀(ぼう)とし、一蔀すなわち千二百六十年を経た 辛酉の年は大変革(辛酉革命)が起きるとされたため、辛酉の年に改元が行われた。「犬夜叉」で、かごめの生まれた年、1981年の干支も辛酉である。な お、原作の時代設定については諸説ある。

(3)
○ 当時の西洋は現行のグレゴリオ暦と違ってユリウス暦を使用。グレゴリオ暦でいう0.0075日分だけ1年が長く、閏年の考え方も異なる。日本で明治以来現 在も使用されている暦は、法令上正しくは、グレゴリオ暦に基づいて神武暦から660年を差し引いた太陽暦。(明治5年太政官布告)

(4)
○釈迦の生まれた日とされる旧暦4月8日。いまは新暦に行われ、甘茶をいただく「花祭り」として親しみ深い行事である。

(5)
○からす。寒鴉(かんがらす、かんあ)は晩冬の季語。

以下は参考に、「からすの七つの子」の歌の出典と思しきものについての言及である。

『詩経』「曹風」に、

鳩在桑 其子七兮
淑人君子 其儀一兮
其儀一兮 心如結兮

と淑人君子を七つの子をはぐくむ鳩(しきゅう、ふふどり)の恵みにたとえて讃美する。

○ 北宋の韻書『大宋重修廣韻(廣韻)』(廣韻上平聲卷第一)に「 今布穀也『詩』云鳩之養其子、朝從上下、暮從下上、食之平均如一 也」。

『倭名類聚 鈔』(巻十八)に「布穀鳥『兼名苑』云「●(=虚編に鳥)●(=葛編に 鳥)一名」、虚葛吉菊四音、和 名布々上利(ふふとり)、布穀也」なお「ふふどり」はカッコウのことであ る。

○「鳩」と は何の鳥か。上記2つの出典から合わせると、カッコウを指すことになる。「からすの七つの子」は「カッコウ」の故事に因みながらも、これは私見であるが 『古事記』に神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびのみこと、神武天皇)が八咫烏の後を付いて熊野を進んだ逸話にあるのように、神代より日本人の生活には 馴染みのある「からす」に置き換えたのかも知れない。

○冬の風物は他に「千鳥」「寒鯉」「寒椿」「枯れ尾花」(枯れ果てたすすき)「枯葦」「霜」「冬晴れ」などがあり、いずれも冬の季語になる。

(6)
○『古事記』下つ巻(仁徳天皇「皇后の石の比売の命」)にある歌。歌謡番号58。

つぎふねや 山代河を
川のぼり 吾がのぼれば
河の辺(へ)に 生ひ立(だ)てる 烏草樹(さしぶ)を 烏草樹の樹
其(し)が下に 生ひ立てる 葉広(はびろ) ゆつ真椿
其が花の 照りいまし
其(し)が葉の 広りいますは
大君ろかも 

(7)
○万葉集巻5-893首。山上憶良の貧窮問答歌。世の中がいやだな、堪え難いなと思っても、飛び立つことはできません。鳥ではありませんから。

(8)
○『中世民衆の生活文化』(中)p.101に、この日記が出てくる。本文のものはその要約。

(9)
○ けびゐし。略して「ひゐ」(『宇津保物語』)。『令集解』の朱説に非法違法を検校糺察(けんげうきうさつ)する役とあり、衛門府(ゑもんふ)で兼帯(兼 任)した。役所は検非違使庁で、衛門府を「ゆげいのつかさ」といった(『倭名類聚鈔』)ので、靫負(ゆげい)庁ともいう。(『新訂官職要解』 p.147)

○註者は、中世社会に関する資料から、主人公の「犬夜叉」と検非違使との興味深い繋がりを示す伏線を感じるところだが、これはあくまで私見であり、その話題に終始してしまうと原作の説話的な味わいが薄まる嫌いがあるので、ここでは註釈を入れない。

(10)
○ 香料には、沈香(じんこう)・伽羅(きゃら)・白檀(びゃくだん)・麝香(じゃこう)などがある。沈香は「長年にわたり、木質に樹脂が付いて比重的に水よ りも重く沈む性質を持つ香木」で「完全に沈むのが上等」のもの。香木には銘が付けられ、正倉院の黄熟香は香木の代表格で蘭奢侍と呼ばれる。(『香と香道』 p.18-20)。香を薫りをかぐことを「聞く」という。

(11)
○『歴代天皇年号事典』p.295に、御柏原天皇の践祚に関する解説。

(12)
○典侍(ないしのすけ)は後宮の職員で、内侍司(ないしのつかさ)の次官。長官である尚侍(ないしのかみ)を補佐した。

○剣璽は天叢雲剣(あめくさのくものつるぎ)。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまとのおろち)を殺して手に入れたもので、八坂瓊曲玉(やさかのにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)とともに、今なお歴代の帝が継承する神器である。

○犬夜叉の母の官職は定かではないが、装束や待遇などから、中臈の格にあったと註者は推測する。(『犬夜叉』原作第2巻などの図。)犬夜叉の母が剣璽の使を担当する職務にあったとするのは、原作において犬夜叉が「剣」の使い手であったことによるものだが、あるいは犬夜叉の母は「蔵司」にあってもう一つの神器である「曲玉」を管理する職務を担当したのかも知れない。

(13)
○後宮の女官には『養老令』の定めにより男子の官吏同様に、位階に応じて、官から「位田」、三位以上には「食封」(じきふ)、四位以下には「封禄」(ほうろく)を賜った。ただし女官は男子より数を減じて支給を受けた。

(14)
○万葉集巻5-802首。山上憶良。瓜を食べると子のことを思われる。栗を食べればもっと増して偲ばれる。どこからどのような因縁で自分の子に生まれて来たものか。眼の前に可愛いらしい子の姿がちらついて、ぐっすり寝ることもできない。

(15)
○万葉集巻5-803首。山上憶良。前首の反歌。しろがね(銀)もくがね(金)も玉も、何よりも子という優れた宝に及ぼうか。(いや決して及ばない。)

(16)
◯竹取物語第61段「かかる程に宵うち過ぎて(八)」。「かくや姫に逢うこともないのに、わが身も浮かぶほどの悲しみの涙を流しているわたしにとって、不死の薬などなんの役にも立たない。」(訳は『竹取物語』講談社文庫)。

(17)
○謡曲「羽衣」。地謡「春霞、たなびきにけり久方の、月に桂の花や咲く」。

(18)
○五節の由来は『本朝月令』の説。五節の概略は本文のとおり。

(19)
○謡曲「羽衣」(破の舞)。地謡が謡う。
「ーー その名も『月の色人』という月世界の天人は、十五夜の、空においてはまた、真如を示す満月の、光となって地上を照らし、衆生済度(※この「羽衣」では、月 天子の本来の御姿である大勢至菩薩があまねく衆生を救うこと)の誓願が円満に達成され、国土が繁栄するようにと、七つの貴重な宝玉の充ち満ちた、数々の宝 を降らしてーー」(訳は『新編日本古典文学全集 謡曲集1』p.389から)※は註者が補足

○月世界の天人が羽衣を着て富士の高嶺へと舞い上がり、霞に紛れて見えなくなりながら天へと帰っていく場面である。

(20)
○浄土三部経の『観無量寿経』「散心の凡夫、往生をうる九種の方法」の中で、仏が阿難及び韋提希(いだいけ)に告げた言葉である。(訳は『浄土三部経』(下)(中村元・早島鏡正・紀野一義訳注、岩波文庫から)

阿弥陀如来 与観世音大勢至 無数化仏
百千比丘声聞大衆 無数諸天 七宝宮殿
観世音菩薩 執金剛台 与大勢至菩薩 至行者前
阿弥陀仏 放大光明 照行者身 与諸菩薩 授手迎接

「阿弥陀如来は、観世音・大勢至、無数の化仏、百千の比丘・声聞の大衆、無数の諸天、(ならびに)七宝の宮殿とともに(現前)す。(すなわち)観世音菩薩は、 金剛の台を執りて、大勢至菩薩とともに、行者の前に至る。阿弥陀仏は、大光明を放ちて、行者の身を照らし、もろもろの菩薩とともに、手を授けて迎接したも う。ーー」

(21)
◯竹取物語第23段「右大臣阿部の御主人は(三)」。「果てしなく強い恋の思ひ(火)にも焼けない皮衣を手に入れた喜びに、涙に濡れた袂も乾いた、この着物は今日こそは着ましょう。」(訳は『竹取物語』講談社文庫)


【参考文献】

『竹取物語』(上坂信男全訳注、講談社学術文庫)
『陰陽道の講義』(林淳・小林淳一編著、嵯峨野書院)
『歴代天皇年号事典』(米田雄介編、吉川弘文館)
『詩経』(目加田誠著、講談社学術文庫)
『倭名類聚鈔・元和三年古活字版二十巻本』(中田祝夫解説、勉誠社)
『新訂古事記 付現代語訳』(武田祐吉訳注・中村啓信補訂、角川文庫)
『古事記全訳注』(上・中・下)(次田真幸全訳注、講談社学術文庫)
『中世民衆の生活文化』(中)(横井清著、講談社学術文庫)
『新訂官職要解』(和田英松著・所功校訂、講談社学術文庫)
『香と香道』(香道文化研究会、雄山閣)
『新訂女官通解』(浅井虎夫著・所京子校訂、講談社学術文庫)
『萬葉集釋注』(伊藤博著、集英社文庫)
『新編日本古典文学全集 謡曲集1』(小学館、小山弘志・佐藤健一郎校注訳)
『有職故実』(上・下)(石村貞吉著・嵐義人校訂、講談社学術文庫)
『浄土三部経』(上・下)(中村元・早島鏡正・紀野一義訳注、岩波文庫)

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