小高い丘の上、穢れた俗世を見下ろすがごとく建てられた荘厳な建物。都内でも有数の、名門女子校である。
その中心部、毎朝ミサが執り行われる聖堂には今、二人の少女がいた。
赤薔薇のごとく華やかで美しい少女が、聖母像に祈りを捧げる白百合のように清楚で愛らしい少女に微笑みかける。
「……そんなに真剣に、何を祈っているの?」
「……あなたのこと。あなたの旅立ちが――これからの人生が、幸多きものでありますように、って」
「明日ここを卒業するのは、あなたも一緒じゃない」
穏やかな笑みを浮かべる赤薔薇の少女に、しかし白百合の少女の表情はすぐれない。
「だって、まだ十八なのに結婚だなんて……」
「私はいいの、覚悟はできているし……正直、期待の方が大きいの。私には、夢があるから」
「……夢?」
「あなたがいずれ結婚して、子供ができた時――あ、相手はちゃんと、あなたのことを見つけられる人にしなさいね?」
「私みたいな影の薄い人間を見つけられる人なんて、そうはいなくってよ。それより、早く教えてちょうだい」
「……私にも子供がいたら、許嫁になってくれるよう、考えてもらえないかしら?」
「許嫁……」
「勿論、本人たちの意思は尊重するつもりだけど、あなたの子供なら、男の子でも女の子でも、ぜったい愛らしくて良い子に違いないもの……それに、子供たちが結婚したら、私たち本当の家族になれるのよ」
「家族……」
「どうかしら……?」
普段は強気な光を宿す瞳を不安そうに揺らしながら、赤薔薇の少女は白百合の少女の顔を覗き込む――するとそこにあったのは、キラキラと輝く大きな空色の瞳だった。
「なんて、素敵なのかしら……!」
「でしょう!あなたならそう言ってくれると思ったわ!」
そのまま二人は、白魚のように美しい指を絡ませ、興奮を隠しきれぬ様子で将来を語り合う。
そんな夢見がちな少女たちを、聖母像は慈愛の眼差しで見つめていた。





茶室から母屋へと移動した赤司家の当主は、そこでようやく一通りの挨拶を終え、誰にも悟られぬようこっそり息を吐いた。
今回は招かれた立場であるが故、普段よりはまだマシだが、そこは日本有数の資産家である赤司家。強引にでも繋がりをつくりたいと考える人間は、掃いて捨てるほどにいた。それはビジネスに限らず、本日の茶会のような、趣味の場においても変わらない。
だが、この気苦労もまた、赤司家に生まれた者の宿命である。彼は幼い頃よりそう教え込まれ、そして今度は彼が己の子に――
「……征十郎?」
赤司家当主は、そこでふと、先ほどまで近くにいたはずの一人息子の姿がないことに気付き、ほんの僅かだが動揺を露わにした。
目を離した一瞬の隙にいなくなる。まだ五歳の子供ならありがちなことかもしれないが、彼の息子は違う。傍らに視線をやると、お守役につれてきた執事も、顔色を変えていた。それだけ、赤司家の次期当主はまだ幼いながらも賢く、すでに己が何者であるかを自覚していた。
「だ、旦那様、ぼっちゃまが……」
「……分かっている。そう取り乱すな」
良家の子息という肩書を背負っている以上、まとわりつく危険はそこら辺の子供とは比べようもないほど大きい。営利目的の誘拐か、それとも怨恨による傷害が目的か。今にも大声を上げそうなほど動揺している執事を宥めながら、まずは現状を把握しようと彼が足を踏み出した時だった。
「……あ」
「ぼっちゃま……!」
人ごみをかき分け、長い渡り廊下の向こうから、赤い髪の、幼いながら武者人形のように凛々しく美しい少年が歩いてくる。間違いなく、赤司征十郎だった。
「……征十郎、今までどこにいっていた」
「父さん、黙って傍を離れて申し訳ありませんでした。でも、この子が泣いているのに気が付いて、それで……」
父親の眉間に寄った皺を見て、すぐにしおらしく謝罪してきた征十郎。普段であれば、そんなことはお構いないしに、赤司家の当主は厳しい言葉を投げかけていただろう。しかし今の彼はただ、怪訝そうな表情を浮かべている。
「……この子?」
それもそうだろう。何せ、彼の目に映るのは息子ただひとりだったのだから。
「お前は一体、何を言っているんだ」
「……え?だから、この子が……」
父親の問いかけにキョトンと目を見開いた征十郎は、背後を振り返った。その視線を追って息子の後ろを覗き込むとそこには、
「ぁ……」
どうして今の今まで気づかなかったのか、征十郎の背中に縋り付いている、彼と同じ年頃の少女。
赤い着物をまとった彼女は、見知らぬ大人に怯えているのか、大きな空色の瞳を潤ませ、子犬のように小さく震えていた。
「……君は?」
「……っ」
「あぁ、すまない……っ」
ビクリと身を竦ませた少女に、伸ばした手を慌てて引っ込めた赤司家の当主は、珍しくも途方に暮れていた。
自身も、そして息子を含めた家族全員が生まれながらの強者であった為、触れたら壊れてしまいそうなほど繊細な相手に、どう接したらよいか分からなかったのだ。
「父さん、知らない相手に突然触れられそうになったら、誰だって怖がりますよ。……ごめんね、オレがついてるから、大丈夫だよ」
少女の手をとり、優しく微笑みかけている息子の姿に、その父はポカンと目を見開いた。
生まれて初めて息子に非難された驚きも大きかったが、それ以上に、僅か五歳の子供が何だかとっても『男』の顔をしているのはどういうことだ。
「せ、征十郎、その子は一体……」
すぐに見失ってしまいそうなほどの気配の薄さと、どこか浮世離れした外見に、まさか綻び始めた梅の精に誑かされているのではないかと、半ば本気で心配になってきた。
「だから、迷子になって泣いていたので、声をかけたんですよ」
しかしそんな親心を知らぬ息子は呆れたように言いながら、ポケットから取り出したハンカチで少女の涙を拭ってやっている。
「……ぁ、あり、がとう…ございます……っ」
最後に優しく頬を撫でられ、白い肌をうっすら染めながら、少女は小さく微笑んだ。その何とも言えず愛くるしい笑みに、胸を射抜かれない者はいないだろう。そしてそれは、征十郎も例外ではなかったようで、
「……可愛い」
「……え、こら、征十郎!?」
父親の見ている前で、息子は少女の小さな唇に、チュッと可愛らしい音を立てて口づけた。
「よ、嫁入り前の娘さんに何てことを……!」
「大丈夫です父さん」
割と古風な考えを持つ赤司家当が咎めるが、本人は何だか妙に落ち着いている――五歳児のくせに、何なんだその包容力は。
「だ、大丈夫ってお前……」
「ちゃんと責任はとりますから……ねぇ、君、オレのお嫁さんになってくれない?」
「およめ……っ!?」
突然の展開に、日本経済を支える男が目を見開いたその時、
バサバサッ!
という物音に何事かと振り返ると、そこには三十代半ばほどの男性が真っ青な顔色で佇んでいた。
「……嫁……?……というか、今、キス……え?……え?」
落とした数冊の絵本を拾う余裕もないらしい男性に、赤司家の当主も何と声をかけていいか分からず、茫然と立ち竦むことしかできない。しばしその場に、妙な緊張感が張り詰め――それを破ったのは、何とも愛らしい声だった。
「おとーさん!」
動けずにいる男性――己の父親に、パァッと表情を輝かせた少女がパタパタと駆け寄って行く。しかしたどり着く寸前、着物の裾を踏んでしまい、きゃうっ、というこれまた愛らしい悲鳴と共に、見事にひっくり返った。
「あぅ……」
擦りむいたのか鼻の頭を真っ赤に染め、プルプルと震えながら涙目になっている少女に、赤司家当主や傍らの執事までもが、思わず駆け寄って抱き上げたくなる衝動に駆られた。思わず手を差し伸べずにはいられないというか、自分がついていてやらねばという気持ちにさせるというか。この時、赤司家の当主と執事の脳内にはそれぞれ、幼少の頃飼っていたポメラニアンとハムスターの姿がよぎったという。
「おとーさ……」
「あぁ、ほら泣かないでください」
ポロポロと大粒の涙を流す少女を抱き起こした父親は、しばらく優しく微笑み――いや、デレデレと相好を崩しながら宥めていたが、やがて何かを決意したように表情を引き締めると、黙って事の成り行きを見守っていた征十郎に真剣な眼差しを向けた。
「……君は……」
「赤司征十郎と言います。初めましてお義父さん」
「君にお義父さんと呼ばれる覚えはありません!……第一、こんな恰好をしているから勘違いしても仕方ありませんが、この子はおと……」
「あら、赤司征十郎くん!?」
そこで何の前触れもなく言葉を挟んだのは、まだ若い女性だった。恐らく少女の母親だろう、顔立ちは勿論、いつからそこにいたのか気付かないほど影が薄いところまでそっくりだ。
「まぁ、すっかり立派になって!……お母様の面影もあるけど、相変わらず目元はお父様そっくりねぇ」
「あ、あの、貴女は一体……」
どうやら自分達のことを知っているらしい女性に、赤司家当主は恐る恐る問いかけた。
「まぁ、ごめんなさい私ったら、ご挨拶もしないで……」
恥かしそうに頬に手を添えた彼女は、「さてどこから紹介したものかしら……」としばらく迷っていたようだが、やがて父親の腕の中にいた少女の傍らに膝をつくと、征十郎に向かってニコリと微笑みかけた。
「お久しぶりね征十郎君……覚えてないかもしれないけど、この子は黒子テツヤ――あなたの許嫁よ」
『ええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?』
女性の言葉に、黒子家と赤司家の父親二人の絶叫が重なった。
「……とはいえ、うちの子こう見えて、男の子なんだけどね」
「ええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
今度は赤司父のソロ。
「いえ、大丈夫、気付いてましたから。……その上で、改めてお願いしますお義母さん。お宅の息子さんを、お嫁にください」
「ええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
そしてこれは黒子父。
絶叫が途切れた後、完全に言葉を失っている父親二人の前で、少女――いや、黒子テツヤという愛らしい少年の母親は「あらまぁ」と嬉しそうに目を輝かせていた。

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