私がここに来て何ヶ月が過ぎたろう。 きっかけは何だったのだろう。 溜息をついて窓から見た空は今まで見たどの空よりも高く、青い。 鳥も気持ち良さそうに鳴き、 この場にいる自分を嘲笑うように空を舞う。 鳥に比べたら私のなんと不自由な事。 私はただ大学終わりのバイトが早めに終わったから家にダッシュで帰って貯め撮りしていたアニメを見ながら寝落ちただけ。 寝たのが悪かったのだろうか。 二話ぐらい見届けろ、と。アニメの怒りを買ったのか。 そりゃ、私だって楽しみにしてた。 なんたってガチムチが2人以上は出るらしいじゃないか。 昨今のアニメでは珍しいじゃないか!ガチムチ万歳! しかも女の子もみんな可愛い! さらには露出も半端ない!! ストーリーも世界観の設定もぶっ飛んでると聞いた! 私の中で久々のヒットの予感!! そう息巻いていたのだが、バイト後の疲労感に私の身体は負けてしまった。 私の意識がぶっ飛んでいる間に、一体何が起きたというのか。 このアニメはどうやら噂以上に、何処までもぶっ飛んでるらしい。 そう、私は、「アニメの世界」にいます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 「ふう」 磨いても磨いても中々落ちない教職員用男子トイレの汚れ。 今日の私に与えられた仕事ノルマもここで最後だと言うのに、こいつが中々手強い。 どうしたらこんなに頑固な汚れになるのか聞きたい。 「おい!新入り!!さっさとやれよ!」 「!、は、はい!すみません!」 それは数ヶ月前の事。 一言で説明するならば、 目が覚めたら部屋着でここにいた。と言った所か。 スラム街のような場所で目が覚めて、 意味が分からなくて一日中途方もなく歩き回った。 地面にいろいろ落ちているせいか、裸足の足は直ぐに怪我で赤く染まり地面に足跡を刻んだ。 少しでも自分がいた場所を、自分の家を、必死で探して、歩き回った。 まあ、当たり前のようにそれはなくて。 この時初めて分かった事がある。 人間、突然の不足の事態を体験すると、数十分程何も考えられなくなるのだ。 真っ白になった自分は、当てがあるわけでもなくまた暫く地面に赤い足跡を残した。 気が付いたら下水のような場所にいて、家が無い事実と、足の痛みやらいろいろ混ざり、目の奥が一気に熱くなって 気が付いたら、くっさい水が流れる側でひたすら泣いていた。 またこの時初めて分かったのだが、人とは結構逞しいらしい。 泣いてスッキリした頭は直ぐに「ここで生きる」事に切り替わった。 ボロボロの雨漏りしまくり、隙間風が酷い空き家に住んで、ブラックとも言える清掃業者にバイトとして雇ってもらい、その日暮らしのギリギリの生活を続けて数ヶ月。 新人イビリにも耐え、ひたすら生きてきた。 そんな日々に舞い込んできた学園からの清掃依頼。 「こりゃ、依頼も、するよね…」 お世辞にも綺麗とは言えない。 「掃除部」とか「美化委員」はないのだろうか。 箒を履けば砂埃が大きく舞い、窓を拭けば埃で布は黒く染まる、廊下なんて言わずもがな。 自分が今担当している男子トイレもそうで、流石は男子というべきか。使い方がとても雑なのだろう。何故汚れるハズのない所が汚れる。 トイレする時は狙いを定めて頂きたい。 しつこいトイレの汚れと戦いながら出てくるのは愚痴と溜息ばかり。 空はこんなに青いというのに、私はずっと暗いまま。 溜息ばかりついてはいけないと、そう思い別の楽しい事を考える事にする。 ここには、確かあのガチムチさんがいるはず。 一話で早速ガチムチ出てきて大興奮したのを覚えている! しかし、清掃依頼を受けて数週間経つけれど、一度もお目にかかれた試しはない。 まあ、下々の私がそう簡単にお目にかかれるワケないよね。 考えが甘かったな。畜生ガチムチ見たい。 再び出てきた溜息に、慌てて口を閉じてそれを制止する。 きっといつかお目にかかれる事を信じて、私は掃除を続けるしかないのだろう。 本当に人間とは不思議なもので、 生きていれば不思議と心に余裕が生まれるものだ。 数ヶ月前、あれだけボロボロに泣いた私は、今では以前と変わらないヲタク脳へと戻っていた。いや、むしろ今は供給がない分、以前より飢えていると言える。 ヲタクからアニメと漫画を取らないで。 私死にそうだ。 「新入りぃ!手ぇ動かせ!契約が掛かってんだぞ!!」 「ぎゃあ!すみません!」 この清掃依頼も、どうやら生徒会長様直々のものらしく、一ヶ月で満足のいく仕上がりならば学園専門清掃業者として契約をしてくださるらしい。 そりゃ必死にもなるよね。 でもこの学園デカすぎるから一ヶ月では絶対に足りない。 何より私が働いている清掃業社の人数が10人程度なのだ。 如何に人件費を削っているかお分かり頂けたと思う。この人数で、この広い学園を掃除するなど、想像しただけで先程制止したハズの溜息が再び復活してしまった。 生徒会長様もお金かかるんだから美化委員とか掃除部とか作ればいいのに。 今日を入れて残り一週間。 いかんいかん、掃除をせねば。 契約してもらえば、私の給料も上がるかもしれない。 両頬に気合い。 じんじんとくる痛みに目を開き、 再び便器と向き合った瞬間、外で地球が割れたような轟音と揺れ。 足を取られ尻餅をつき思わず顔を顰める。 慌ててトイレから出て窓から確認してみれば、広場には今朝方にはなかったボクシングリングが出来ていた。 その大きなリングの近くに緑髮の四天王。 あれは確か、アニメにあったシーン。 内容はイマイチ覚えていないが見覚えのあるキャラがチラホラ見える。 これぞ、トリップの醍醐味というもの! 初めて生でキャラを見れた! 「…といっても、あまりキャラ掴めてないんだけどね…」 そう、私は2話の途中で寝てしまったのだ。 この段階ではどのキャラがどんな性格で、どんな立ち位置か、まだ良く把握出来ていない。 せっかく、トリップというものをしたというのに楽しみが全くないではないか。 そりゃあ、キャラを見れて嬉しいという感情はある。 しかし、トリップしたという嘘のような話が事実だと、絶望に似た感情があるのも事実。 さて、この複雑な感情をなんと名付けよう。 溜息をついたせいで窓が白く曇る。 慌てて拭き取り、再び冷静になって窓の外で繰り広げられる光景を見渡す。 遠目からではあるが其処には、このアニメの主人公の少女が黒い服を身に纏い立っていた。 「っ、か、可愛い…!」 先程の感情は何処へやら。 ああ、悲しきかなヲタクの性よ。 第一声がこれなあたり、私は相当変態拗らせていると思う。 エロい格好で闘う主人公を見て思わず涎が垂れた。 ああ、だめだ、見ていたいけれど掃除をせねば先輩に怒られる。 外にいる主人公、纏流子ちゃんを目に焼き付けて、私はトイレへ戻る。 改めて実感したこの事実を、噛み締めながら私はデッキブラシで床を磨いた。 「キルラキルかぁ…」 先程ついた尻餅の痛みは、私を現実へ戻してはくれなかった。 back |