ただ、"好き"なだけ



それはとてもリアルな感触だった。
それは当たり前か、…触れたくて、けれど触れられなかったあの唇にやっと俺は触れることが出来たのだから。軽く触れるだけの、口付けだった。本当はもっとすべてを貪り尽くすようにあの柔らかさを堪能したかった。けれど、…あの人の唇は俺のものにはならない。それを深く理解した上で俺はあの人の唇を奪ったんだ。永遠の世界に残ると決めた、大好きな姉さん。あの人を繋ぎ止められるくらい愛されたピーターが今は何より羨ましかった。…妬ましいとさえ思った。だから、って訳じゃないけど俺はきっと姉さんの心に俺という人間を少しでも刻んでおきたかったんだろう。


見慣れたはずの自分の部屋。さきに戻っていた兄さんが癇癪を起こしたように言葉を捲し立てていた。俺はそんな兄さんの声に、「はいはい、すみませんでしたー!」と軽口を叩くように適当な返事を返しながら辺りをグルリと見渡した。ああ俺たちは戻ってきたんだ。自分達がいるべき場所に。ここにはお菓子がくっついた枝も木もなければ、甘い匂いもしない。帰ってこれて嬉しいはずなのに、やっぱり素直に喜べない自分がいた。



「聞いているのか、マイケルっ!
お前が僕を無理矢理押したせいで、姉さんにちゃんとした挨拶が出来なかったんだぞ!?」

「…仕方ないだろ、あのままじゃ兄さんってば姉さんのこと無理矢理こっちの世界に連れ戻そうとしてたんだから」

「あ、当たり前じゃないか!…姉さんがネバーランドに残りたいと言ったことを一度は受け入れはしたが…しかし、僕は、姉さんと会えなくなるのは嫌だったんだ!」

「それはっ、…俺だって同じだけど!」



…仕方ないじゃないか。姉さんは、僕らじゃなくピーターを選んでしまったんだから。きっとその決断を下すまで、あの人はたくさん悩んだはずだ。けど、姉さんは選んでしまった。あの世界を、ピーターを。…それはどんなに俺や兄さんが嫌だと言っても…きっと覆りようがなかった。姉さん…と小さく呟いた兄さんはまるで捨てられた子犬みたいにシュンと項垂れている。ああほんと、…兄さんは姉さんを崇拝しすぎだ。はあ、と深いため息が出てしまった。図体ばかり大きいけど兄さんはまだまだ子供だ。…俺が言えた義理じゃないことくらい解ってはいるけど。



「あーもう!
いつまでもウジウジしても仕方ないだろ!」

「だがしかし、姉さんとはもう二度と会えないかもしれないんだぞ!?」

「それは解らないじゃないかっ!
ピーターはこっちの世界を行き来できるんだよ?今は無理でも、いつか絶対、姉さんはこっちの世界に遊びにくらい来るって!」

「だが…僕は、…っ」

「…つらいのは兄さんだけじゃないんだからな。俺だって、…姉さんに会えないの辛いんだよ」

「……マイケル」



唇に残る姉さんの熱が、ズキン、と心に鈍い痛みを走らせた。つらいのは兄さんだけじゃない。俺だって、つらいよ。離れたくなんかなかった。出来ることなら、俺もネバーランドに残りたかったよ。…でも、姉さんは俺たち三人の幸せを願った。俺も兄さんもそれぞれの幸せを願ったんだ。…きっとあの世界じゃ俺は幸せになれない。だから、これが正解なんだ。兄さんが姉さんを姉としてじゃなく一人の女性として好きなんだろうな、ってとっくに気付いてた。何故なら俺もそうだったから。だから、兄さんの気持ちは痛いくらい、俺にも解る。
…我慢できなくて、不意打ちのキスをしてしまったのは。俺が幸せを見つけられるように踏ん切りを付けるためでもあったから。



「俺は誰もが認めるパティシエになるよ。
そして、姉さんが遊びに来たときに喜んで貰えるお菓子を作れるようになりたいんだ」

「…マイケル…」

「兄さんも、姉さんが来たときに立派な紳士になっておかないとね」

「……来て、くれるだろうか」

「大丈夫だって!
…必ず、俺たちに会いに来てくれるさ。
離れていても、俺たちは"家族"なんだからさ!」



そうだ。
俺たちは家族だ。
たとえ俺たちと姉さんの間に血の繋がりはなくても。遠く離れていたって、…それは何も変わらない。築いてきた絆が途切れた訳じゃないんだから。
いつか、姉さん以上に想える相手が出来たなら。俺はその人を大切にしよう。そして精一杯愛そう。お互いの世界で、幸せになるために。けれど今は、まだ、好きでいてもいいよね?だってさ、あなたに触れた唇が、今は、忘れられそうにないから。






(甘くて切ないキスで終止符を)




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