ピーターパンにはなれない | ナノ


ピーターパンにはなれない




「なあ、俺はいつまで子供でいられるのかな」


小さく口をついて出た呟きに、目の前の彼はぱちくりと瞬きし、そうして花が咲くように微笑んだ。


「何言ってるんだヒロ。君は永遠に変わらないよ」


ああ、その言葉を。
盲目的に信じることができたなら、どんなにか楽だったろうに。





この世界のことを、俺はよく知らない。
いつも通り朝起きて、学校に行って、授業を受けて、家に帰ろうとして―――気がついたら見知らぬ土地に迷い込んでいた。

見渡す限りの緑に呆然とするしかない俺の前に現れたのは不思議な服装をした美丈夫。
アイリスと名乗った彼に連れられるまま、訳も分からずやって来たのがこの城だった。

普通に生活していれば一生お目にかかることなどないだろう、一目で高価だと分かる調度品に囲まれた部屋で、此処が今までいたところとは違う世界なのだと教えられた。
俺は、この世界に豊饒と安寧をもたらすために遣わされた神子だという。


『君が必要なんだ、ヒロ』


甘い微笑みに乗せられた優しい言葉。
この国の王だといういうアイリスは、そう言って俺の頬を撫でた。

城の中は暖かかった。
お世話をしてくれるメイドさん達も、見回りをしている兵士さんも、アイリスの近くにいる側近の人達も、皆俺を気遣かって、俺を第一に優先してくれる。

ただそこに在るだけで愛される、夢のような世界。

―――そんなもの、誰が、いつ、望んだというのだろう。

まだこちらに来たばかりの頃、それとなく周りの人に聞いたことがある。
俺はいつまでこの世界にいるのかと。

曰く、異界から来た神子は老いることなく、少年の姿のまま、当代の王の治世続く限り恵みをもたらし、王と共にその命を終えるのだと。

この世界の民は総じて長命ですから安心してくださいね、と微笑まれた時、俺は決めたのだ。

彼らは俺を還す気など毛頭ない。
ならば、自力で帰ってみせよう、と。

何度も何度も書庫に通った。
その中で唯一見つけた俺と同じ境遇の神子が遺した手記を読み解いて。

そうして俺は今日、ようやく帰るのだ。


「――こんな所にいたのか、ヒロ」


城の敷地の中にある小さな泉のほとりに佇む俺に、アイリスがにこりと微笑む。
今晩は俺のお披露目をするという。無理矢理着せられたきらびやかな衣装は、心底煩わしかった。


「皆待っているよ。主役がいないのでは始まらない」

「……なあ、アイリス」

「ん?」

「子供のまま、変わらずに…変われずにいることって、本当はとても、残酷なことかもしれないな」

「ヒロ……?」


例えば、俺が。
世界に絶望し、愛を渇望し、明日に怯える子供だったなら、受け入れられたのかもしれない。
誰も俺を傷つけない真綿の世界で、安穏と生きていけたのかもしれない。

だけど、そうじゃない。
俺は確かに、あの世界を愛していた。

病弱な母は仕事のし過ぎで体を壊していないだろうか。
年の離れた妹の送り迎えはどうなっているのだろう。
授業で居眠りした罰に先生から課された宿題をまだ提出していない。
また明日と笑って別れた親友の顔が切なくなるほど懐かしい。

俺は帰らなければいけない。
大切な存在が、あまりにも多すぎる。
こんなわけのわからない世界で、身勝手な都合に巻き込まれて死ぬわけにはいかない。

こんなにも大事な彼らの時間から自分だけが取り残されるなんて、耐えられないんだ。


「アイリス…俺は、大人になりたいよ」

「ヒロ、何を言って…」

「優しいだけの夢なんて、要らなかったんだ。子供のままでいることが幸せだとも思わない。だから、」

「ヒロ!」


何かを察したのかアイリスが俺に向かって手を伸ばす。
それを避けるように体を傾けて、背中に迫るのは天頂に差し掛かった満月が映る静かな水面。

こちらの身体が死を迎えれば、あちらの身体に魂が還る。

神子の手記に残された暗号を読み解いた答え。
重たい装飾をまとったこの身が浮かぶことはないだろう。
たとえ間違いだったとしても、ただ流されるままなんて、俺のちっぽけなプライドが許さないんだ。


「――――――――――!!!」


獣のような慟哭を聞いた気がする。
青い視界に沈みながら、俺は意識を手放した。




ピーターパンには成れない
(そんな悪夢にさようなら)






帰れたかどうかはご想像にお任せ。
やっぱりファンタジーは短編で書くべきじゃないと思いましたまる!



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