◎ かんじゃくのゆき
ぴ、ぴ、と機械が鳴く。
たくさんの管に繋がれた細い身体が情けない。
あのまま眠ってしまえばよかったのにと、霞む視界で考えた。
街を濡らしていた冷たい雨は、いつしか白い雪に変わっていた。
あの人の訪れは、ない。
この頃にはもう、僕は全てを諦めていた。
あの人からの関心も、もしもを期待する心も、―――自分自身の命でさえ。
食欲などなくて、それでも義務的に口に詰め込もうとする度に吐いてしまう。一度あの人がこの部屋にやって来て抱きしめてくれる夢を見てからは、眠ることすら恐ろしかった。
緩やかに、そして確実に弱っていく僕に気づく人はいなかった。
藤本さんは、僕の知らない誰かの世話役に任じられたらしい。その人はとても綺麗な人で、あの人の惜しみない寵愛を受けているのだと、組の人達が言っていた。
綺麗で、強くて、優しい人。
僕なんか敵うはずもない。
唯一の価値だったこの身体も、こんなに痩せてしまっては抱きたいとも思わないだろう。
僕はもう、要らないのだ。
その答えに行き着いたとき、僕は無意識のうちに扉に手をかけていた。
久しぶりに歩く街はひどく静かだった。
降り積もる雪に、全ての喧騒が吸い込まれる。
世界はどこまでも白くて泣きたいくらいに穏やかだ。
『―――どうした』
静寂のなか、あの人の声が蘇る。
『ふ、汚い捨て犬だな…行くとこねぇのか』
父親の暴力に耐え兼ねて家を飛び出し街をさ迷っていた僕は、今ほどではないにしろかなり衰弱していた。
そうしてただじっと見上げるだけの薄汚れた僕に手を差し延べて、あの人は笑ったのだ。
『拾ってやるよ、―――ポチ』
その瞬間、僕の心臓に嵌められた首輪は、価値を無くした今でも、確かにこの胸に存在しているんだ。
雪に足を取られて、倒れるようにして膝をつく。
そのまま身体を横たえれば、一気に全身の力が抜けた。
眠たい。
とてもとても、眠たい。
人のざわめきはもう聞こえなくて、ただ、あの人の腕の温もりだけを想って、僕は静かに目を閉じた。
次に目を覚ましたのは、たくさんの機械に囲まれた真っ白な部屋だった。
その独特な匂いに、ここが病院であることを理解する。
ああ、僕は眠ることができなかった。
身元が分かるものは持っていなかったはずだけど、もしかしたら組の方に連絡がいったかもしれない。
情けない。
主人の帰りを待てずに逃げ出した挙げ句、こんな迷惑をかけるなんて。
ぼんやりとした思考の端で、ふと誰かが言い争うような声が聞こえた気がした。そしてそれは、少しずつ僕の居る部屋へ近づいてくる。
「――ですから! まだ意識が戻っていないんです!」
「知るか。俺には関係ない」
「若頭…!」
ひどく、懐かしい声だと思った。
けたたましい音と共に開いた扉から姿を現したのは、予想に違わず、久しぶりに見るあの人で。
その後ろで、藤本さんが息をきらせて目を見開いていた。
「ポチさん、意識が…っ」
それに応える前に、視界に影が落ちる。
僕を見下ろすその端正な顔に心臓が引き絞られた。
嗚呼、首輪は確かに存在している。
「……何故、逃げた」
重たい声に苛立ちを乗せて、けれどその瞳は揺れている。
彼らしくないそんな態度に、僕は思わず笑ってしまう。
逃げたかった訳じゃない。
死にたかった訳でもない。
僕は、貴方に殺されたかった。
貴方は来ない。
ならばせめて、貴方がくれたこの形のない首輪に心臓を止めてほしかった。
静かで淋しい真白の世界。
貴方以外を想わずに済む、そんな場所で。
それを伝えたいのに、渇いた僕の口はうまく言葉を紡げない。
動かない手を無理矢理持ち上げれば、あの人の大きな手に包まれた。
その熱だけで、生きていた意味があると信じられる。
その手を僕の左胸に導いて小さく微笑む。
―――ここには、たしかにまだ、首輪があるのだと。
その瞬間、あの人は僕の傍らにがくりと膝を着いた。
「…死ぬな……っ」
眦に、涙が伝った。
閑寂の雪
(その世界で、貴方を見つける)
やむにやまれず離れていたらポチは瀕死でショックな若頭。
多分両想いなのにお互い相手の気持ちはよくわかっていない模様。
若頭視点もいつか書けたらいいですね…
リクエストありがとうございました!!
[
back]