世間的には今頃桜が咲き乱れている頃合だという。

「ふーっ、まだ寒いねぇ」
慣れてても、やっぱり寒いものは寒いや。何もはめていない手を擦り合わせて、ふぁーっと彼は息を其処に吹きかけた。赤く熱を帯びた指が隙間から見えた。

此処ではまだ雪が降り積もり、まだ気温的には真冬を思わせる程だ。花は一輪も咲いてやくれない。
背後では車が通り過ぎ行き過ぎていく音が忙しなく奔っていく。バス停の傘の下。時計を眺めながらベンチでくつろぐふたりの影。そしてそれを傍観するひとつの地蔵は頭に雪の傘をかぶりながら。

「で、何処に行くんですか?」
「さあ、何処に行こうかなぁ」
「……決めてなかったんですか、先輩」
「あはははは。雪村は何処に行きたい?」

んー。
しんしんしらしら。目の前を歩いていった親子が楽しそうに。子供がふたり跳ねていく。まるでその姿は季節外れの金魚のようだ。
まだバスは来ないものかと、ふと時計に目をやる。そのとき、微かに見えた彼の表情がなんとも、寂しそうに見えた。
たまに彼は、そんな顔をする時がある。まるで、懐かしそうに何かを思い出すように。
よくよく考えれば、自分はそれ程彼のことを知らないかもしれない。
そういえば、誰かが彼の家族は皆昔亡くなってしまったと言っていた気がする。ただの噂だと思っていたが、その視線からあながち本当のことなのかもしれない。
――でも、それは別にどちらでもいいのだ。
確かに、本当だったとしてもそれは全て過去のこと。それが、彼の中に穴をぽっかり空かしているのならば、埋めればいいのではないか。完全に、その頃の代わりを見つけることなんて出来ないけれど、他に幾らでも埋めれる土は沢山あるのだから。

「あ、雪村バスが来たよ」
エンジン音を響かせバスがやって来る。その顔に先ほどの哀愁は残ってはいなかった。

「さて、吹雪先輩。適当にぶらぶらしましょうか」
彼のことはよく知らないし、わからないかもしれない。
だとしても、今自分は彼の隣に居て、同じ今を過ごしている。それだけで、十分すぎる。



(それが僕の選択)