※10年後


いつも、いつまでも思っていたことがあった。


口にすればそれは、苦いのだろうか。はたまた、砂糖菓子以上に甘いのだろうか。まだ幼稚すぎた自分には全く想像もつかなかった。せいぜい、クラスの女子共が騒いでいる。というような感覚でしかその物事を捉えていなかった。否、捉えていた。
そもそも、実を言えばそんなものに今だかつて興味を覚えたことなどこれっぽっちも思い当たらないのだ。端から見ればなんとも無愛想な子供だったろう。それを言えば当たり前かもしれない。なんせ愛想を尽きる為其の時をがむしゃらに走り回っていたわけではないのだから。
正直、自分でも驚いていた。まさか、こんな、こんなにも――。

「あつっ」

はふはふ。じりじり。ひりひり。みんみん。
舌を出し、犬のようにべろべろ。少し火傷を負った舌先が、無駄に外界との接触に敏感になっていた。思わず手元の水筒に目を向ける。コップからはゆらゆらと白い湯気。間違えた。
冷めるまで待とうと、隣に置いておく。蝉の音が今の時期を知らせ。目に映るせかいは新緑に満ちて。
ぐたり。横になる。使い古されては、仕舞いには放置された神社の裏。ぎしぎしと黒ずんだ木の板。温度も無く、ただ静かに疲れた身体を癒し。とことこと、忙しなく働く蟻んこが目の前を横切っていった。何となく、物思い立ちポケットからクッキーを取り出し小さく粉々にして直ぐ下の土の上にばら撒いてやると、後から直ぐからわしゃわしゃと匂いをたよりにかやってくる小さな兵士。せっせとただ本能のまま動いていた。

木漏れ日から差し込む光。太陽が裸の石畳を照らす面積の大きさから、今だに現在時刻が昼の刻だと気づかされる。そんなひとり、地元の棄てられた社にて暑さをしのぎ。
きっと、神職関係の人に今の状況が見つかれば怒られるんだろう。罰当たり云々かんぬん観音様。薄々自分でもなんとなく頭の片隅、そんなことも思ってみたりもしている。だけれども、生憎自分は感じたり、見えない体質な為どうにもこうにも説得力が無い。どちらにしろ、罰当たりな行為は散々昔やらかしたような気がする。過去を知らない人物に話せばどんな反応が返ってくるのだろうか。細々と。


にゃおぅん。
ぱたり、聞こえる声。猫の声。何処に居るのかと目を追う前に、すでに社の中から這い出して隣にやってくる。
何時もの事ながらので、鞄からごそごそとマグロ缶を出そうと手を探る。其の間、直ぐ傍にやってきた猫。黒い毛に金色の瞳。のそのそと尻尾を楽しそうに揺らしながら。
どうやらこの猫はこの境内にて勝手に住んでいる野良猫らしい。とある日弱っている時に、少し看病をしてやったらこのようにいつのまにか自分から顔を出すように懐いていた。確かにこの場所は散歩コースのひとつなので、月に何回かは足を運ぶのでそれでも普通に慣れていてもおかしくない――のかもしれない。どちらにしろ、こちらとらも慣れてしまったのでいつのまにかキャットフードを買っては与えるようになっていた。

「ふびゃっ」

と、いきなり短く鳴いた(正確には吼えた)声。すぐさま猫を見れば、先ほど自分が置いていたあのアツアツなお茶に口を出していたらしく。

「……馬鹿」

「にゃうっ」

確かに好奇心はよろしいことだが、これは自業自得としか言いようが無い気がする。猫なんだから猫舌だろうに。――なんてことを思っていたら八つ当たりか、引っかかりに来たのでなんとかなだめる。まんざらでもないが、何だか罰が当たった気分だった。かといって自分は断じてマゾスティックな傾向では無い。一切。
なだめ終わると、マグロ缶の蓋を開けて猫の前に出す。すれば、先ほどのこと等忘れたかのようにぱくぱくと口に運び始めた。
其の姿は、名前の主となったとある人物とは随分かけ離れており。思わず笑みがこぼれ。

「――ったく、お前は……お前達はほんとう名前は似てても真逆だな」

はてな。なんともわけのわからない事をこの人間は呟いた。だなんてこの猫――リュウは思ったのだろうか。そんな猫の思考なんて知らずに、人間は勝手に想い馳せる。
確かに、この黒猫の名前はとある想い人から取ったものである。後になって、自分でも何故そんなことをしたのか、恥ずかしさで思い出すのさえ躊躇ってしまう。それでも、雨の中横たわっていた姿は少なからず彼に似ていたからだろうか。雫に浸る黒い猫。
リュウの少し長い毛をなでる。それは、またあの人とは違った感触がし。
と、膝に乗ってくる猫。どうやら鞄を狙っていたようなので持ち上げて、避けると前足をこちらに預けてきた。それはまるで二足歩行を試そうとする赤子のようで。

「もう無いぞー。」

むう、と少し不機嫌そうなリュウがこちらを見上げる。その上目づかいに思わず心射止められそうになるが、そうはいかぬと踏ん張る成人人間。

「じゃあ、また今度来る時何か買ってくるよ。流石に大量には無理だけど。」

少し笑いながら言う。すれば、満足そうにひとつ鳴いて、足を下ろしたかと思うとふっと走り去る。
最後にまた、こちらに振り返り、にゃおん。ひとつわらって草むらに飛び込んだ。


「……流石食いしん坊」

さて、今度からどんなのを持ってこようか。あんまり食料ばっかりじゃ健康に悪いから、少し遊び道具でも持ってこようか。あ、でも運動の面は野良だから大丈夫か……?いやいや、だがしかし。ぐるぐると廻る思考。それでも、ひとり楽しそうにほころんで。石畳の上を歩く。
それと、同時だったろうか、彼の知らせを待ったポケットがぶるぶると鳴きだしたのは。

いつも、いつまでも思っていたことがあった。


口にすればそれは、苦いのだろうか。はたまた、砂糖菓子以上に甘いのだろうか。まだ幼稚すぎた自分には全く想像もつかなかった。せいぜい、クラスの女子共が騒いでいる。というような感覚でしかその物事を捉えていなかった。否、捉えていた。
それでも、ふとそう思っていたのだ。もし、自分に最愛のひとが、恋とやらを体験できる日が来るのであれば、自分はその愛に尽くそうではないか。しあわせに、生きようではないか。
そうやって何時の間にか割り切って、ひとつのダイヤルだけを守ってきた。だから、こうして少し、離れていたって。自分は彼の傍にいよう、と。自分だけでも、彼の味方になろうと。
そうやって、生きてきたのです。


さあ、甘く苦いクッキーが砕ける前に電話に出ようか。



(はい、こちら幸運を持つ愛猫の跡)