少女は戦意を喪失していた。
アレは怪物だ。
どうにかしなければならない、という生存本能と、どうにもならない、という理性の悟りが少女を苛む。後退した足下に散乱する硝子の破片が、パリ、と乾いた音を立てる。
殺らなければ、殺られる。
そんな簡単な方程式が少女の脳裏を駆け巡った。
本来屋上があるべき空間には、煌々と輝く月と闇夜の黒が穿たれていた。そして、うず高く積み上がった廃墟をも思わせる瓦礫は、先刻までこの病院の天井だったモノ達だ。強制的に穿たれた巨大な穴の所為で、十階の高さのある建物の階には歪な吹き抜けが出来、最早仕切りを無くした唯の白い直方体と化していた。倒壊せずに持っているのが奇跡と言っても過言では無い惨状である。

其処に対峙していたのは双つの小さな体躯。
漆黒を纏う血染めの少女と
純白を思わせる血濡れの少女。

黒衣の少女が満身創痍であるのと対照的に、白衣の少女は、血に濡れてはいるにも関わらず、敢然と屹立していた。察するに、点々と白に染み込んだ赤は返り血のようだ。白の少女自体に傷はないらしい。
更に言えば、白装束から伸びた手には、武器らしきものは握られていなかった。対する黒装束は、仔細に見ると其の右半身が、矮躯に似合わぬ大仰な機動機巧に覆われていた。それなのに何故か、両者の戦闘における優劣は逆転している。

不意に、白少女が消失した。しかし黒少女は、動じることなく右腕を高らかに掲げる。其を覆う漆黒の機巧は瞬時に形状を変化させ、巨大な電磁自動散弾銃が具現した。
少女は、低姿勢になり、黒装束を靡かせ、硝子の破片を撒き散らしながらの助走と加速、電磁を一挙一箇所に放出させ、叩きつけるような散弾の反動を利用し、爆発的に跳躍。一気に六階の高度に躍り出る。
黒少女は自分より二階ほど高い位置に、白い影を認めた。構えた散弾から電磁の雨が降り注ぐ。流れ弾が白壁に蜂の巣状の風穴を開けた。しかし消失するように移動する白装束に、弾丸は擦りはしても、白濁とした防御膜の前に火花と砕け散るのが関の山だ。

ーーやばい、この儘じゃ、先刻の二の舞…
あの不可思議な防護膜と跳躍力さえ攻略出来れば、と黒少女は臍を噛む。見ている限り、アレは生身だ。物理的な攻撃が、当たらないのが問題なだけで、あの喉に武器を突き立てる事が出来れば、間違い無く死んでくれる。
しかし、どうすれば。
現状では手段が思いつかない。焦燥した少女の握る散弾銃からは、唯徒らに電磁の塊が消費されていく。

残る弾丸があと一巻きまで達したその時、しかし黒少女はある事に気がついた。消費した弾丸は無駄ではなかった。
散弾で攻撃している間は防御の為か白少女の消失は不可能なのだ。しかも幸いな事に、白少女の具現から消失までには二秒を要するらしい。

ならば。

思考が終わるか否か、少女は対空に耐えられず堕ちて行く軌道を外側に修正し、病院の白壁を破壊する勢いで蹴り崩した。壁から壁へと跳弾の如く跳躍と破壊を繰り返しながら、白装束との距離を詰めて行く。その間も散弾での追撃の手は緩めない。白装束は防御膜の殻に籠もった儘だ。
今度こそーー
対長距離用の自動小銃から、接近戦に有利な電磁高圧銃へと変化させた機巧を相手に向ける。散弾の雨が止み、白少女は防御を解除した。
次の消失まで、時間にして二秒。生身に近い白装束を電圧死させるには十分過ぎる。
少女にはもう目の前にある殺すべき敵以外に何も見えていなかった。今度こそ勝利を確信した黒い影は一気に肉薄しーー

刹那。
おとを、きいた。
途轍もなく大きな塊が、轟音と共に、堕ちて来るおと。
少女は見誤っていた。
頭上に穿たれた空を。

「さよなら」

白い少女は、くい、と指を動かし、
ーー空を、堕とした。

「ーッ!!?」
理解できる筈もなかった。
何が起こったのかは解らなかった。しかしどうなるかは判っていた。
理不尽な暴力、抵抗不能な絶対的法則、
ブラックホールを想起する巨大な暗黒の質量の塊、其れ即ち重力が、堕ちて行く黒い影を押し潰した。
抗えない負荷に迫る地面、少女は成す術も無く、静かに。
その先に訪れる運命を受け入れた。











*PREV END#

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