1.出会い





「ナルト……オレと一緒に暮らす?」

一人きりに慣れつつあった時、その大人が告げた一言は、それまで乾いていた子供の胸にぴちょんと滲みた。

虚ろだった碧眼には、小さな光が差したのである。



「これがお前の椅子ね」

座るように促されて、ナルトは一回、二回と瞬きを繰り返した。

「大丈夫だよ。ホラ、おいで」

優しく声をかけられ、そろりと向かっていく。
大きめの椅子に腰掛けると、椅子の背を押され、テーブルに向かって座っているような感じになった。目の前には、二人、向き合って座ることが出来そうな食卓がある。

「飯はここで食えばいい」

そう微笑んでから椅子を引くと、脇の下を抱え、ナルトの身体を抱き上げて床へと降ろす。

「ナルト、こっち」

手を握られ、奥へと連れられて、ドアが開けられた。

「ここがお前の部屋だよ。好きに使っていいから」

部屋には、ベッドと小さな机、本棚、それに、男の子が好きそうな怪獣やラジコンカーなどが入ったオモチャボックスがあった。
戸惑って見上げると、「……皆、お前のものだよ」と微笑まれる。
その日は、良く晴れた日で、窓から差し込む光が眩しかった。見上げた大人の顔も逆光でよく見えなかったが、銀髪がキラキラしていて、見下ろす目が優しいことだけは分かった。


ナルトは、孤児だった。
生まれてすぐ両親を亡くし、物心ついた時には世話役という肩書の大人が傍についていた。
ナルトには『親』というものが良く分からなかった。
世話役に連れられ、外に出る時、父親に肩車されている子供や、母親に手を引かれている子供。そういったものを見かけることもあったが、それについてどうこうと思うことはなかった。
ただ、自分には関係のないものという認識だった。
幼い頃、周囲の大人に愛情をもらえなかった子供の心には、どこかで歪みが生じる。自分ではそんな自覚はなかったが、ナルトもやはりそういったところがあった。
満五歳となる頃には、年齢の幼さで子供らしいところはありつつも、どことなく捻くれた目をすることがあった。
世話役は傍に居たが、それは特定の誰かではなくてローテーションで代わっていた。名乗り出たわけではなく、彼らの仕事なのだと、歳を重ねるごとに分かるようになった。
彼らは一様に、義務であるという一線を越えることなく、決められたこと以外をしようとしなかった。
世話役は、三代目火影である猿飛ヒルゼンの差し金だったが、六歳の誕生日を迎える頃、ナルトは世話役が傍に付き従うことを拒んだ。食事の準備や部屋の管理など細かいことは、子供過ぎてまだ分からず、彼らに任せるしかなかったが、出かける時には一人で出掛けた。
その頃になると、『親』というものの存在がどういうものか分かるようになっていた。子供に一番の愛情を注いでくれる、守ってくれる、誰よりも味方になってくれる存在。
当然、ナルトには居なかった。
公園は嫌いだった。親の愛情を当たり前に受けて、それを当たり前に思っている幸せな子供がたくさん居る。
公園を通りかかった際、ブランコに乗っている子供と、その背中を押して笑い合っている母親の姿を見かけ、足を止めてしまったことがあった。
そんなナルトに気づいたのは、手前に居た砂遊びをしている子供で、「ママー、あの子、誰?」とナルトを指差して、その子の親は「関わってはダメよ」と難しい顔をした。
ナルトは腹が立って、その子が積んでいた砂山を蹴り崩して逃げて、背後から「これだから親が居ない子は」という侮蔑の声を聞いた。
幼いナルトにとって、子供以上に大人が怖かった。
身体の大きさでも、力の強さでも、決して敵うはずもないのに、ナルトに優しくない。大人は嫌いだった。

そんなナルトの前に、或る日、突然現れたのが銀髪の大人の男だった。大人と言ってもオジサンではなく、若い。ただ、身体は大きかった。小さなナルトが立った男を見上げようとすると、首が痛くなってしまうほどに。
その男は本当に突然、ナルトを『ナンパ』してきたのである。


***


男の住まいは、以前からそこだったわけではなく、ナルトと暮らすために新しく借りたようだった。
なぜそれが分かったのかというと、部屋に生活感がなく、男の家具や荷物までもが、まだ引っ越して間もないことを印象づけるかのように梱包されたものだったからだ。
それと、男は『猿飛ヒルゼン』の名前を出した。ヒルゼンは三代目火影であると同時に、ナルトからすると、人のいい感じもする老人だった。里で一番偉い人だからか、ナルトのことも他の人間よりも気にかけてくれる。
ナルトの住まいの家賃や光熱費等もヒルゼンが工面していた。そのヒルゼンの名前を、男は出した。

「三代目には、お前と暮らしてもいいと言われてる。お前次第だよ」

ナルトは戸惑ったが、男について来た。
男の言い方が「お前と暮らすように指示されてる」ではなく、「お前と暮らしてもいいと言われてる」だったからだ。それに、ヒルゼンが許しているのなら、少なくとも危険な人物ではないのではないか……。
そんな風に、脳内で明確な言語整理は出来なかったが、おおよそは何となく。疑い半分、期待半分でついて行った。
三時のおやつだとマグカップに注いだおしるこを差し出され、それを受け取って「これがお前の椅子ね」と言われた椅子に腰掛けたナルトは、今になって少し難しい顔をした。

「ニーチャン……だれだってばよ?」

銀髪の男は、考えるように目を泳がせて、「あれ? 自己紹介してなかったっけ?」と笑った。

「してないってばよ」

「ああ、そうか。ごめんごめん、もうしたような気になってた」

全くもってしていない。だからナルトはまだ、男の名前さえ知らない。


出会いは突然。
本日の昼下がり、ナルトが家から少し歩いたところにある公園で、一人で居たところに男が現れたのだ。
その公園は、ナルトがヒルゼンにもらったおこづかいで買い物に行く時などによく通りかかる公園で、仲の良さそうな親子を見かけるたびに嫉妬を抱く場所でもあった。
入口に柵など無いのに、ナルトには遠く、入ることが出来ない空間。
ところが、なぜか今日に限って親子連れは、公園には見当たらなかった。鉄棒や砂場に、ナルトと同い年か、それより少し年上だと思える子供達が居るだけだった。
普段、子供達が取り合いになるブランコも空いている。普段なら、ナルトはその取り合いに参加すらしないが。今日だけはオレのものだってばよ! と駆け寄り、ブランコに足をかけた。
膝を折り曲げ、大きく漕いで、押してくれるような大人も居ないから、自分ひとりで、もっと大きく。
ぶんぶんと振り子のように振れるまで夢中で漕いでいて、ふと、ブランコを囲むようにしてある柵の向こう、ナルトの向かい側に、一人の大人が立っていることに気づいた。
いつの間に現れたのか分からないが、気づいたら彼は立っていたのだ。
濃紺のアンダーシャツに、同じ色のズボン。ポケットに手を突っ込んでいる。髪は銀色で、鼻から下がマスクで隠されており、左目には、縦に走る傷跡があった。

「こんにちは」

漕ぐペースをゆるめたナルトに、男は言った。ナルトは困惑し、揺れるブランコの上でしゃがみ込み、腰を据えて男を見た。

「……」

「ここで遊んでるの、珍しいね」

なぜそれを知っているのか分からなかったが、子供が知らない大人を警戒するのは当然だ。男は素顔を隠していたし、ましてや、ナルトの周囲に優しい大人は少なかった。
ブランコから飛び降りたナルトは男の横を通り抜け、砂場に走った。先ほどまで遊んでいた子達は居なくなっていた。乱雑に砂で山を作って、その中心にトンネルを掘る。
男はゆっくりとした歩調で歩いて来ると、ナルトの傍に腰を屈めた。

「ブランコと砂遊び、どっちが好き?」

何でついて来るのだろうと思いながら、ナルトは「どっちも!」と答えた。違うおもしろさがある。
ナルトは砂のトンネルを開通させようと試行錯誤したが、なかなか難しかった。作りが荒い分、掘り進めると崩れかけてしまう。
男はそれを見て、手を貸した。

「もう少し砂を固めると、崩れにくくなるよ。来て」

そう言うと、設置されている水飲み場までナルトを促し、ナルトの手のひらに水を注いだ。汲んできた水を砂に浸透させて、男が協力して作ってくれた砂山は、確かにトンネルを掘っても崩れなかった。

「ほんとだ!」

トンネルを覗き込むと、向こう側が見える。わー! と声をあげてナルトは喜び、トンネルに腕を突っ込んだ。

「名前、なんて言うの?」

そんなナルトに、男が訊ねてくる。

「ナルト、だってばよ!」

「この辺の子?」

「うん!……あっちの方にすんでるってば!」

ナルトは、指だけでアバウトに自分の住まいを指差した。そして、その集中力をすぐに砂山に戻す。
童心は素直だ。男がトンネルを掘るのを手伝ってくれたから、ナルトは男に容易に気を許した。

「あっちの方?」

「じーちゃんが、『かりて』くれてるんだってばよ。じーちゃんはいっしょには、すんでねーけど」

かりて、の意味をナルトは良く分からないが、ヒルゼンがそう言うので真似していた。

「おれ、ひとりですんでんだってば! おてつだいさんがたまにきて、いろいろつくるの」

すると黙って聞いていた男が、うん、と言った。

「?」

会話の流れとしては少し妙な具合だったので、ナルトはきょとんとして顔を上げた。

「……知ってる」

男は、優しい目をしていた。

「ごめんね。本当は全部知ってるよ、お前のこと」

「……」

ナルトは、ぽかんとして男の顔を見つめた。
差し戻して考えれば男は最初に、ナルトに「ここで遊んでるの、珍しいね」と言った。ナルトが普段、この公園で遊ぶ機会がなかったことさえ、知っていたのだ。
呆気にとられてしまったナルトに、男は言った。

「ナルト……オレと一緒に暮らす?」


***


発言はやぶからぼうだったが、男はナルトがその誘いを断ることを計算には入れていなかったようだ。
必ずその提案を飲むと確信でもしていたのだろうか。……そうだとしたらかなりの自信家だが、ともかく、前もってナルトの椅子や部屋が用意されていたところを見ると、そうとしか思えなかった。

「オレの名前は、はたけカカシ」

自己紹介として名前を聞いても、ナルトはぴんとこなかった。特に聞いたこともない名前だ。

「……なんで、おれのことしってるんだってば?」

「お前の身近な人の知り合いだからだよ」

「みぢか……ってなに?」

ナルトの身近な人間で、且つ、カカシの知り合いである人間は現状、ヒルゼンだけだと思われる。しかし、カカシがここで言っている人間がヒルゼンではないとナルトは数年後に知ることになる。

「それはお前がもうちょっと大きくなったら話してあげる」

カカシは机上についていた肘を持ち上げると、「自己紹介の続きだけどね」と口調を軽くした。

「オレの仕事は、忍者」

「にんじゃ?」

ナルトはそれを聞いて、顔色を明るくする。

「すごい! かっこいいってばよ!」

幼いナルトに、忍者に関する詳しい知識はなかった。あるのは、完全にイメージのみだ。
ナルトが暮らす木ノ葉の里の住人の半数以上は忍である。正義のヒーローのように強くて、どんな危険な仕事だってこなしてしまうかっこいい職業だと、憧れの存在だった。

「じゃあ、ニーチャン、つよいんだってばよ!?」

カカシに何者か訊ねておきながら、カカシ自身より仕事に興味を持ったナルトにカカシは苦笑した。

「まあ、そうだな。……だから、お前を守るよ」

ナルトは、大きな目をぱちりと瞠目する。

「これからは、オレがお前を守ってやる」

カカシとの出会いは実に突然であり、鮮烈だった。





   2.子ども


結局のところ、ナルトはカカシの名前と職業しか知らないまま、カカシと暮らすことになった。大人は嫌いだったはずだが、カカシのことは良く分からなかった。
好きか嫌いか分からないというより、カカシという人間がよく分からなかった。
なぜナルトを知っているのか。なぜナルトと暮らそうと思ったのか。なぜ左目に傷があるのか。
若いのに落ち着いていて、クールな雰囲気なのに話してみると冷たくない。
ナルトがカカシと暮らしてもいいかな、と思った理由はひとつ。ナルトがカカシに見出した他の大人とは違う点。
カカシが自らの意思でナルトに近付いてきたと、本能的にそう思えることだった。


「ナルト。風呂入りな」

カカシの作ってくれた夕飯を食ったのち、ナルトが膨れた腹をさすっていたところ、しばらくしてカカシが声をかけてきた。
隠されていたカカシの素顔は、夕飯を食う時に暴かれた。
わざわざ隠しているぐらいだし、左目にも傷があったから、マスクの下ももしかしたら大変なことになっているのかも、とナルトは期待半分、不安半分。モンスターのようだったらどうしよう、と食い入るようにカカシがマスクを下ろす瞬間を見つめたが、その実、カカシの素顔は普通だった。むしろ整っていて、ハンサムと言える。
何だ、とナルトが肩すかしを食らった瞬間だった。

「一人で入れる?」

「うん!」

ナルトは、少し前から風呂にも一人で入るようになっていた。
その前までは世話役の人間が入れてくれていたが、六歳にもなればだいたい分かってきたし、仕方なくやっているであろう彼らの手をわずらわせたくなかったのだ。
椅子から飛び降りて駆け出そうとすると、「あ、ちょっと待って」とカカシが呼び止めた。歩いて来てナルトの頭を撫でる。

「やっぱり、今日は一緒に入ろうか。初日だし、風呂の使い勝手が今までと違って分からなかったら困るからね」

いやだ! というほどでもなかったので、うん、とナルトは頷いた。
脱衣所にて、もぞもぞと服を脱いでいると、カカシの助けが入った。頭が詰まって脱げなくなっているナルトの服を引っ張り、脱がせる。上衣が脱げると、後はズボンとパンツを脱いで、ナルトはすぐにすっぽんぽんになった。
まだ幼いので、恥じらいらしき恥じらいもない。
ナルトが浴室に入ると、遅れてカカシも入って来た。もちろん、裸である。
ナルトは大人の男の裸を見るのが初めてだった。特にカカシの下半身をじろじろと見たが、興味があるのはそればかりではなく、初めての、自分の家以外の浴室も同様だった。
蛇口を捻ろうとすると、カカシが上から手を被せてきた。

「熱湯が出たら危ないから、オレにさせて」

「おれ、いつもひとりで、はいってるってばよ!」

「これ、ナルトの家にあったものと同じか?」

「……たぶん」

何だかんだ言いつつ、カカシはシャワーの温度調節をし、風呂椅子に座ると、開いた股の間にナルトを立たせた。
そうされて、ナルトは「あ!」と声をあげる。
「どうしたの」と言うカカシの声を無視して、裸のまま風呂場を飛び出し、リビングに置いている荷物の中からシャワーハットを掴んで浴室に戻った。一人で風呂に入れるようになってから間もなくて、頭からお湯をかけられるのが苦手なのだ。
ズボっと頭にハットを被ったナルトを納得したように見て、カカシは温いお湯をナルトにかけた。

「洗ってあげようか?」

ナルトはいつも仕方なさそうにやっていた世話役を思い出してカカシを見上げたが、カカシの表情は迷惑そうなものではなかった。
うん、と頷くと、じゃあ一応、目瞑っててね、とカカシは取ったシャンプーの液体をナルトの頭につけ、泡立て始めた。
わしゃわしゃと髪を泡立てられて、ナルトはカカシに言われた通りに目を瞑り、安定を求めてカカシの膝を掴む。
ほどなくして洗い終え、シャワーで流すと、カカシは今度はボディータオルを手に取って、ナルトの身体を洗い始めた。

「自分でできるってばよ」

「ついでだから、今日はさせてよ」

小さな身体は少し手を引かれただけでよろめいて、されるがままになってしまう。

「……お腹、膨れてるね」

すべすべで柔らかい肌を洗いながら、飯を食った後でパンパンに張っているナルトの腹を、カカシは笑って撫でた。
ナルトはカカシの腹も同じようになっているはずと思って確認したが、カカシの腹はナルトのようにはなっていなかった。
しなやかな筋肉に覆われ、引き締まっている。
思わず手を伸ばして触ってみると、見た目以上に硬かった。

「ニーチャンの、おれのとちがうってばよ」

「オレは、大人だからね」

そう言われて、視線を股間に移す。

「毛がボーボーだし、ちんちんもでっかいってば」

「そう?……ホラ、先に身体を洗うよ」

濡れた髪や身体をそのままにして時間が経ったら風邪をひかせてしまいそうだと、カカシはナルトを促した。
小さな股間や尻、足の裏や指の隙間まで洗い終わる頃には、世話役にやってもらう時よりもかなり時間がかかっていた。
カカシに小さな子供の世話をした経験がなかった為だが、カカシが世話役よりもナルトと話してくれたのでナルトは退屈することなく、何だかんだと話をしているうちに身体を洗われていた。
一方のカカシも、自分の髪や身体をナルトに遅れるようにして洗っていたが、ナルトが傍におり、そちらの面倒に手をとられた為、自分自身の洗浄は粗雑なものとなった。
温めの湯船に一緒に浸かった後、浴室を出て走り回るナルトは「コラ、逃げるな」とカカシに掴まえられ、髪や身体を拭かれた。その時には子供らしい単純さで、ナルトはキャー!と無邪気な笑い声をあげていた。
カカシが男だからか、若いからか、今までの世話役と色んなことが違った。一番の違いは優しいことだ。
しかし同時に、ナルトは難しい時期でもあった。
孤独から誰かに構ってもらいたい気持ちはありつつも、六歳という、ちょっとしたことなら自分で出来るようになる年頃である為、カカシにあれこれされそうになると「自分でできるってばよ!」と言い張って、自分がいかに出来るかというのを見せようとする。単純に、褒められたい思いが強い。
パジャマのボタンを自分で留めて、「見て!」とカカシを振り向くと、カカシは目を細めていた。

「ナルト……お前、赤ちゃんみたいな匂いがするね」

ナルトを抱きしめ、まだ乾ききらない金髪に鼻先をうずめて、カカシは優しい声でそう言った。

飯を食い、風呂に入って、ドライヤーで髪を乾かすと、カカシはナルトを抱き上げて部屋へと連れて行った。ベッドに降ろし、頭を撫でる。

「一人で寝れる?」

「ねれるってばよ! おれ、あかちゃんじゃないもん」

「あれは匂いが赤ちゃんみたいって言ったんだよ」

「……あかちゃんのにおいってどんなの?」

「甘くていい匂いだよ。安心する」

「ふーん」

口を尖らせて言い、ナルトは布団にもぐり込んだ。
毛布を鼻の上まで被ったところで、カカシがベッドの脇から身を乗り出し、ナルトの小さな身体に覆いかぶさるように顔を寄せて来る。
ナルトは驚き、何事かと肩をすくめたが、カカシはナルトのこめかみに軽く口づけ、微笑んだ。

「……おやすみ、ナルト」

カカシが部屋の電気を消して出て行ったのち、ナルトは暗闇の中で落ち着きなく目を動かしていた。
初めての家、初めての浴室、初めての部屋に、初めてのベッド。真新しいことばかりで興奮し、すぐに眠れるはずもない。
カカシが言うには、ここがこれからナルトが暮らしていく家とのことだったが、ナルトからすると、今日だけ特別にお泊りに来ているような感覚だった。
今まで家には一人きり、食事を作りに来る世話役が居るだけだったのに。
風呂上りにカカシに抱きしめられたことを思い出し、きゅうと唇を噛んだナルトの口角は、少しだけ上がっていた。
あんな風に誰かに抱きしめられたこと、今まであっただろうか。短いこれまでの人生を思い返して、ナルトに心当たりはなかった。
もしくは、ナルトがまだ赤ちゃんで物心もついていない時に、母親か父親がそうしてくれただろうか。キスされたのも初めてだった。驚いたが、嫌ではなかった。
高揚する胸を押さえて寝返りを打ち、ナルトは思った。

(夢じゃないかな)

夢だったら、起きたらいつもと同じ家に居て、決まった時間に世話役が来て、帰って行く。また一人だ。

(夢じゃなかったらいいな)

例え夢だったとしても、いい夢だから覚えていたくて。

『オレの名前は、はたけカカシ』

(カカシ、カカシ、カカシ……)

忘れないように頭の中で繰り返し、ナルトはその夜、いつの間にか眠っていた。


しかし、やはり高揚していたからか、目は早めに覚めてしまい、目を開けた時、ぼんやりと辺りを見た。
見慣れぬ天井、見慣れぬ部屋、見慣れぬベッド。
昨日の出来事を思い出し、慌ててベッドを抜け出し、部屋を出た。キッチンやリビングがあり、もう一つ、ドアがあった。昨日にはナルトが入っていない部屋だ。
ドアノブを捻り、隙間から窺い見ると、大きなベッドがある。毛布はこんもりと膨らんでおり、その膨らみが僅かに動いた。

「……、ナルト?」

寝起きの眠そうな顔で上体を持ち上げ、ナルトを見たのは銀髪の若い男、カカシだった。
夢じゃなかったと確認し、顔を明るくしたナルトは、部屋に入らずそのままドアをバタンと閉め、扉に背中を預けた。
頬をゆるめていると、少しして内側にドアが引かれ、隙間からカカシが顔を覗かせた。

「……どうしたの。早いね」

ナルトの髪を撫でて、カカシは笑った。

「おもらしでもした?」

「してないってばよ!」

「冗談だよ。……夕べはよく眠れた?」

うん、と頷き、ナルトは目を眇めた。
夢じゃなかった。
一晩を越えて、自分はこれからこの大人と暮らしていくんだ、とようやく実感が湧いたような気がした。


カカシは日頃、日中は任務がある為、家を空けなければならなかった。ナルトを引き取った関係から長期の任務は避け、当日中に終わり、長引かない任務に絞ってもらうよう、ヒルゼンに頼んだ。
若くして、忍としてのカカシの手腕は既に他国にまで知られるようになっており、ご意見番の二人は、そんなカカシだからこそランクの高い任務に就かせるべきだと口を酸っぱくして言ったが、それをヒルゼンが押しとどめていた。
カカシだけでなく、ナルトもまた、いずれ忍の道に進むなら、傍に付き、愛情を注ぐものは必要だとヒルゼンは考えていた。
日が暮れる頃にカカシは買い物をして帰宅し、晩飯と、翌日の朝飯、それにナルトが食べる昼飯までもを準備して、ナルトが風呂に入っていないようなら掴まえて一緒に風呂に入り、ベッドに運ぶ役目までもをこなしていた。
ハードワークが過ぎた時には、ナルトを腕に抱いて入浴している最中や、髪にドライヤーを当てている最中にうたた寝してしまうこともあった。
時には帰りが早いことや休みの日もあって、そういう時、カカシはナルトを連れて買い物に行った。
前までナルトについていた世話役は自宅に来る時、常に買い物を済ませて来ており、ナルトを連れて出歩くことはほとんどなかった。あったとして、仕方なくという雰囲気が滲み出ていた。
彼らは、ナルトと一緒に居るところを他人に見られたくないようだった。だから、ナルトは一緒に居てくれなくていい、と彼らを拒んだのだが、カカシはそうではなかった。
買い物は「晩飯、何がいい?」とナルトに声をかけながらして、ナルトがよそ見をして他に行きそうになったら笑って手を繋いだ。
カカシと一緒に居ても、ナルトは周囲の人々が冷めた目で自分を見ているような気がしていた。カカシまで変な目で見られているのではないか、離れた方がいいのではないかと不安になり、眉を曇らせたが、偶然なのか、わざとなのか。

「……ん?」

カカシはそういう時ほどにっこり笑って、ナルトの手を握ったり、ナルトを抱き上げたりと、距離を縮めた。
カカシが部屋に居ない日中、ナルトは退屈し、ベランダから外を眺めたり、一人でぶらりと外を歩いたりした。
あと数か月もすればアカデミーに入学出来るようになるから、その手続きをするとカカシは言った。アカデミーとは文字通り学校だ。それも、忍者の学校。
ナルト自身、物心ついた頃から忍者に憧れていたし、ナルトの両親も忍者だったそうだ。ナルトが忍者になることは、生まれついて決まっていたこととも思えた。
ベランダから見える景色は、木ノ葉の里特有の景観だ。
丸っこく円を描いているような建造物も少なくない。建物が多く密集して、通りの方が狭いぐらいだ。
多くの人々が暮らし、家庭を持って、過ごしている。
表情なくそれを眺め、踵を返したナルトは、家を出た。

ナルトがカカシと出会ったあの公園は、今の住まいからしても、さほど遠くはなかった。
親子連れが一組と、それぞれ遊んでいる子供達が数人。
公園の入り口でナルトは立ち止まったが、意を決して中に入った。
子供を連れた親はちらりとナルトを一瞥したが、冷めた目で顔を背けた。ナルトと歳の変わらない子供達は気にする様子なく遊んでいる。
ブランコや鉄棒は他の子供が遊んでいて、ナルトは砂場に向かった。砂山の作り方はカカシに習ったし、コツも分かった。水飲み場から少量の水を汲んで来て、砂場に流し込む。
水路を作って流せば、そこは川のようだ。
遠くで見ていた子供達が物珍しそうに寄って来て、砂遊びに加わった。
小一時間ほどそうやって遊んでいたが、日が落ち、夕日が差し込む頃になると、親子連れは居なくなった。それまで一緒に遊んでいた子供達も、買い物帰りの母親に公園の入り口から声をかけられ、それぞれ「お母さん!」と声を弾ませてそちらに駆けて行く。

「手、真っ黒じゃない」

「えへへ。ねぇねぇ、今日の晩御飯、何?」

遠のいていく幸せそうな声を聞き、ナルトは砂を握りしめ、俯いた。
……いつもこうだ。その場は楽しくたって、後で一人になる。爪の中まで砂が入り込み、汚れた指を眺めていて、ふと、顔を持ち上げた。
気のせいかと思ったが、聞き間違いじゃない。

「ナルト」

もう一度、名前を呼ばれて弾かれたように入り口を振り向くと、カカシが立っていた。カカシは今日も任務に出掛けていたはずで、突然のことにナルトは目を丸くした。

「ここに居たのか。帰ろう」

「ニーチャン! なんで?」

先ほど母親めがけて走って行った子供達みたいに、カカシに向かって慌てて駆けた。
「今日は早く終わってね。帰ったらお前が居ないから捜しに来たんだよ」
手を繋ごうという風に手のひらを差し出され、ナルトは自分の手を引っ込めた。

「おれの手、きたないってば」

「いいよ、別に」

カカシはそう言うと、いともたやすくナルトの手を握ってしまう。

「ナルト、砂遊びしてたの?」

「うん」

「砂山、今日はうまく作れた?」

「つくれたってばよ!」

ナルトの手を引き、歩くカカシの歩調はゆっくりで、話す時、ナルトの顔を優しく眺める。

「晩飯、今夜は何がいいかねぇ……」

ナルトもカカシを見上げながら、その肩越しに夕焼けを見て、空はこんなにも綺麗だっただろうかと思った。
オレンジ色に焼けた空が、雲さえも同じ色に照らしている。
今まで夕暮れは寂しさしかなくて、孤独が差し迫ってくるような不安に襲われていたが、初めてその光を暖かいと感じた。
他の子供達を迎えに来る親みたいに、誰かが自分を迎えに来てくれるなんて初めてだった。
カカシは手のみならず、身体のあちこちが汚れているナルトを抱き上げて風呂に入り、その後、飯を食って洗い物まで終えると、ソファに掛けて寛いだ。ふう……と一息ついたような息を吐く。
ナルトがカカシを見ていることに気づくと、笑みを浮かべた。

「ナルト、もう寝る?」

日々を繰り返して気づいたことだが、カカシはナルトが自主的に風呂に入ったり、ベッドに向かったりする分には見守って手を出さないが、遅くなってもナルトが風呂に入らない時は自分が入るついでにとナルトを一緒に風呂に連れて行き、ベッドに向かわない時はナルトを抱き上げてベッドまで運んだ。ベッドまで運ぶ時は、ついでにおやすみのキスもついて来る。

「ねるってば」

「いいよ。じゃあおいで」

手を差し出され、腕を伸ばすと、抱き上げられてベッドへと向かった。

「……おやすみ、ナルト」

ナルトが布団にもぐり込んだのを見届けて頭を撫で、こめかみにキスを落とす。ナルトは目を細め、あからさまに口角を上げた。
ナルトは、カカシにいっそう懐くようになっていった。


***


冬が終わりを告げ、春が訪れてしばらくし、ナルトはアカデミーに入学した。
多くの子供達と集団生活をするのは初めてだが、幼い頃から多くの世話役がローテーションで家を訪ねて来ていたこともあり、幸いナルトは人見知りする性格でもなく、元気にアカデミーに通った。
勉強はあまり得意ではなかったが、同い年の子達との集団生活は新鮮で楽しかった。しかし、負けず嫌いで気が強いことから同じクラスの男の子と殴り合いの喧嘩をし、傷をこさえて帰って来ることも少なくなかった。
時には、忍であるカカシより、ナルトの方が生傷が多いこともあった。

「……またアカデミーで喧嘩したの?」

半年も経つと、ナルトのそういった生態にカカシはよく呆れた顔をしていた。
赤く腫れあがった頬に、血の滲んだ唇、切れた膝小僧。何より、ナルトの顔自体がぶすっとふて腐れている。

「もう風呂入った?」

カカシに問われて、ナルトはブンブンと首を左右に振った。

「じゃあ一緒に入ろう。……ちょっと傷に滲みるかもなあ」

浴室に入ると、カカシはすっかり手慣れた仕草でナルトの髪を洗い上げた。ナルトは少し前にシャワーハットの使用を卒業し、今は何もつけずに目を瞑って洗われている。

「今日はなんで喧嘩したの? 嫌なことでも言われたか?」

訊ねられ、ナルトは目を眇めて口を尖らせた。

「……うん」

「なんて?」

「『ばけぎつね』だから、おれとは仲よくしたくないって。親に、仲よくするなって言われたって」

「……」

「ニーチャン、『ばけぎつね』ってなんだってばよ?」

意味は分からなかったが、近頃、良くそんなことを言われるようになっていた。やーいやーいと囃し立てるようなバカにした言い方で褒められているのではないと分かる。腹が立ったから、食ってかかっていた。

「……子供の、意味もない悪口だ。気にすることないさ」

カカシは、ナルトの額にかかった泡が目に入らないように手で掬って言った。


「ナルト。ちょっと待て」

風呂から上がると、パジャマを着ようとしたナルトはカカシの手によってパンツ一枚の姿でバスタオルに包まれ、抱き上げられて、ソファへと運ばれた。

「なに?」

「一応、傷を見るから。まだあるようなら手当てしないと」

ナルトは腹に九尾が居るせいで、傷の治りが異様に早かった。家に戻って来た時に見た、僅かな傷……切れていた膝小僧の傷は、風呂に入っている最中はまだうっすらと開いていたが、上がった今、既に消え失せていた。
カカシはナルトの足元にしゃがみ、膝を親指で撫でてそれを確認した後、ナルトの顔を見た。
赤く腫れあがっていた頬や、血の滲んでいた唇も同様だ。綺麗になって唇や頬は艶々している。

「?」

よく分かっていないナルトは不思議そうにカカシを見たが、カカシはそんなナルトににこりと微笑んだ。

「あんまりひどくないみたいで良かったよ」

そう言われて、ナルトは得意満面と頬を紅潮させる。

「えへへ! おれってば、けんかけっこう強いんだってばよ! ちょっとくらいケガしたってヘーキだし、まけないってば!」

「んー……でも、喧嘩はあんまり良くないからな」

カカシがナルトの肩にパジャマをかけて立ち上がると、ナルトは袖を通し、自分でパジャマのボタンをかけ始めた。それを終えてから、ドライヤーを手に取ってソファに腰掛けたカカシの膝の上に乗り、背中向きに座る。
日常的に風呂上りはカカシがナルトのドライヤーをかけていて、いつだか最初の頃、カカシがナルトを抱き上げて膝に座らせたので、ナルトはそれ以降、言われなくともカカシの膝の上に自分から乗って行くようになった。
短い金髪をカカシの指で掬い上げられながら温風を当てられる時間は、気持ちよくて幸せな気持ちになる。あらかた乾かし終えたカカシは、ナルトを見下ろして気づいたように言った。

「ナルト。お前、ボタン掛け違えてるよ」

「え? あ、ほんとだ!」

上から適当にかけた為、パジャマには余っているボタンがある。ほんとだ! と言いつつ、直す素振りを見せないナルトに「直さないの?」とカカシは笑った。

「めんどいってば」

「赤ちゃんじゃないとか、子供扱いするなとかいつも自分で言ってるじゃないの。それなら自分でしないとね〜」

「じゃあ、赤ちゃんでいいってばよ」

「何でよ」

カカシはまたくつくつと笑うと、仕方ないとでも言うようにナルトのパジャマのボタンを掛け直し始めた。ナルトは世話をやいてくれるカカシを見上げてにんまりと笑う。

「んふふ」

ナルトはカカシと暮らすようになって、今やカカシに全幅の信頼を寄せ、甘えるようになっていた。
カカシはかつての世話役のように他人行儀でも、よその大人のように冷たくも、怖くもなかった。優しくて暖かくて、もし家族が居たらこんな感じなのだろうかと思える。

「ニーチャン、だいすきってば」

カカシは目を細めると、ナルトの身体を向き合わせに抱え直し、抱き上げて立ちあがった。

「赤ちゃんを寝かしつけないといけないから……世話がやけるよ」

口ではそう言いながら口の端を持ち上げて、金髪にキスを落とす。
ナルトは声をあげて笑い、カカシの首に抱きついた。



***






サンプルは以上です。
ナルトはこれより徐々に成長し、二部設定ぐらいまで育ちます。





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