古書というのは、なぜこうも妙な匂いがするのだろう。 見かけも薄汚れ、……ものによってはそうでもないものもあるが、独特の匂いがするのはどれも変わらずだ。 いずれにしても、本来、オレが好きなものではない。 (……なんかこう、バッチイ感じもするしなぁ) オレの背丈を上回る高さの本棚を見上げ、踏み台に乗って一番上の段の棚の仕切りと本の隙間に埃叩きを突っ込むと、目に見える埃がもわっと白く煙って降って来た。 「ゲッ……」 思わず顔の前を必死に手で払い、ゲホゲホと咳き込む。 しかしその咳き込みはその場に空しく響くだけで、辺りに人気もない。 この古めかしい古書店は都会より少し外れた路地に建っており、知る人ぞ知る……な穴場だが、穴場というには少々世辞が入りすぎている。 店自体も天井は高いものの広くないし、そんな中に古書がぎゅうぎゅう詰め、空気もそう良くないし、本だってたまに陰干ししてやらなきゃカビちゃうんじゃないかといった感じで、定期的にオレが外に積んでは取り入れて、としている。 店にたまにやって来る常連客は、いかにもマニアックといった……何かこう、ああ好きそうだなあといった男性客と極少数の女性客ばかりだ。 だから店内に客が居ることは稀、大抵はバイトのオレと、店長だけである。 未だ収まらない咳き込みを抱えたまま、奥に進むと、レジの外れで椅子に腰掛け、のんびりと本を読んでいる店長の姿が見えた。 初老というわけでもないのに、銀髪の男。彼は生まれつきそうらしい。 メガネをかけ、マスクをしているから素顔はほとんど窺い知れないが、前にその素顔をちらりと見たことがある。 たいそうなイケメンだった。 けれど彼は、そのことを気にもしていないようで、外見に力を入れている様子もなく、どちらかと言えば野暮ったいイメージだ。 年季の入ったワイシャツに毛玉がそこそこついたセーター、地味なズボンという格好でもイケメンなら何でも格好よく見えるんだなとオレは感心した。 「……大丈夫?」 ゲホゲホとむせながら寄って行ったオレの様子にやっと気づいたようで、店長が顔を上げた。 「カカシ先生、もうちょい掃除した方がいいってばよ……あっちの奥の方、埃すげーもん……」 声を詰まらせながら訴えると、分かっているのかいないのか、「あー……」とやる気のない返しをして、店長……こと、カカシ先生はオレが指差した方の棚に目をやった。 実際には「先生」ではないのだけど。 この古書店は、エロ仙人とオレがのたまっているオレの伯父が元々経営していた。 だもんで、オレはガキの頃からこの古書店に暇つぶしに足を運んでいたが、エロ仙人は本好きな傍らで、昔から作家になるのが夢だったそうだ。 よく、客の来ない店の片隅で、まだ小学生のオレにレジを任せてペンを手に原稿に励んでいた。 そして数年前、何と奇跡的にも何とか賞とかいう本の大賞を取って、そっちが忙しくなったらしい。 店にまで手が回らなくなったと、或る男を引っ張って来た。 それがカカシ先生だった。 カカシ先生は元々教師だったが、先生曰くあまり向いていないと感じていたそうで、そんな折、旧知の仲であるエロ仙人から声がかかり、この古書店の経営を引き継ぐことになったのだそうだ。 オレがカカシ先生を「先生」呼びなのは、元教師だという情報を知ってから口にした悪ふざけが癖になったもの。 小学生の頃から古書店でバイトをしていたオレが、「これからはこいつに任せることになった」とエロ仙人が連れて来たカカシ先生と出会ったのは、いわゆる必然だった。 もちろんカカシ先生とて急に経営を投げられても困るわけで最初の一、二年はエロ仙人もたまに古書店に顔を出していて、それから数年が経った今となっては、エロ仙人が古書店に顔を出すことはほとんどなく古書店にはカカシ先生とオレの二人きり――と言っても、二階はエロ仙人が住む部屋なので、エロ仙人が降りて来たり、オレ達が二階に上がったりすれば顔を合わすことはしょっちゅうだが――といった状況だ。 カカシ先生は基本的にやる気がなく、日がな一日眠そうな目をしている。 本が好きだそうで、暇さえあれば……というか、実際暇だからよくこうやって店で本を読んでいた。 客が来れば対応はするが、掃除はオレ任せだ。 「とりあえず、マスクした方がいいよ。そのままじゃナルトが埃吸っちゃうでしょ」 ともかく現在、むせて掃除を訴えるオレにカカシ先生が他人事みたいに言うから、オレは、だったらマスクしてるカカシ先生が掃除すりゃいいだろと内心思い口を尖らせてみせた。 買えば手に入るだろうが、今の今言われたってマスクなんかない。 「持ってねーってばよ」 すると、カカシ先生は自分の身の回りにマスクがないかと探すような素振りを一瞬見せたが、ないことを悟ると、次にのんびりと信じられないことをのたまった。 「……じゃあ、これする?」 そう言ってカカシ先生が手に取ったのは、今の今まで先生自身がしていたマスクである。 整った口元が見える。 間接キスをも超越するようなマスクの貸し借りは、唇もだし、吐いた息すら共有するような……。 普通に考えてとんでもない提案に、オレは「……しねェ」と眉を寄せた。 あっさりカカシ先生から離れて、未使用のマスクがないかエロ仙人に訊いてみようと二階に上がる。 その最中、オレの頬は熱くなっていた。 結局、エロ仙人もマスクは持っていないとのことで、でっかい風呂敷を貸してもらい、それをマスク代わりにして掃除は続行したのだった。 カカシ先生にはちょっと天然が入っていそうだと思う。 元教師なぐらいだし、店の経営を任されるぐらいだから頭はいいんだろうし、たまにすごく頭の良さそうなことも言うんだけど、何と言うか自分のことにあまりにも無頓着なのだ。 身なりもだし、自分がモテることにも。 店にやって来る極少数の女性客は実はカカシ先生目当てで、きっと古書に興味もないんだろうに、先生におすすめの本を訊いたり、本についてあれこれ語りに来たりしていて、でもうちは客が滅多に来ないから一度食いつかれると先生はそれにかかりきり。 古書店とはいえ一応客商売だから、それが多少長時間に及んでも、ちゃんと笑顔で対応している。 「ナルト。レジ番お願いしていい?」 カカシ先生に声をかけられ、見るとやっぱりいつもの、先生目当ての女の人が先生の隣に居たから、オレはウンと頷き、掃除を中断したけど、何だかなぁと思っていた。 (別に相手なんかしなくていいのによ……) もやもやする。 カカシ先生と入れ代りでレジに入ると、今まで先生が座っていた椅子の上に、先生が読んでいた本が置いてあった。 椅子にかけてそれを見てみれば、オレにはよく分からない小難しい古書だった。 こういうのが抵抗なく読めるなら、オレの高校の勉強ももうちょいはかどるのかもしれないけど。 手に持ち、本を鼻に押し当てる。 すぅと空気を吸い込んでみると、やっぱり独特の……何とも言えない匂いがした。 でも、カカシ先生が熱心に読んでいたものだと思えば、何でだかちょっといい匂いのような気もしてくる。 今日もまあまあ長い接客のようで、カカシ先生が女性客を相手にしているのはおよそ一時間を超えたんじゃないかといった具合。 なぜそんなにアバウトな時間指数かと言えば、じっとしているのが苦手なオレが一時間近く経過したところで、うとうととした眠気に襲われたからだ。 だからその後のことは、 「……それでですね、この間、おすすめしていただいた本を読んでみたんです。古さを感じさせないというか、逆に斬新に思えたぐらいで。カカシさんのおすすめって本当に……」 「申し訳ないですが、今日はこのへんで……。またお願いします」 レジカウンターに突っ伏しそうになっているオレに気づき、カカシ先生が笑顔で女性客を帰して、オレに寄って来たことをオレは知らない。 そのあたりあまりに眠くて、起きなければと思いつつ目が開かず、ただ、同じタイミングで二階から降りて来たらしいエロ仙人とやり取りするカカシ先生の声は、夢うつつの中でも聞こえた。 「何だ、ナルトは居眠り中か。締まりがないのォ」 「まあ、掃除で動き回った後、オレがレジ番させちゃいましたから疲れたのかもしれません。……自来也先生はお出かけですか?」 「ああ。打ち合わせだ」 どうやらそのまま出かけて行ったらしいエロ仙人の足音が遠ざかった後、 「……」 ふと、オレの髪に大きな手が触る感触があった。 それで重い瞼をどうにか開けると、目を細めて笑い、オレを見ているカカシ先生の顔があった。 古書というのは、なぜこうも妙な匂いがするのだろう。 見かけも薄汚れ、……ものによってはそうでもないものもあるが、独特の匂いがするのはどれも変わらずだ。 いずれにしても、本来、オレが好きなものではない。 ずっとそう思ってきたけど、 (オレ、カカシ先生のことが好きなんだってばよ) だからかな。 最近、その匂いを吸うと、胸が甘くも苦しくなるのは。 きっと、その匂いでカカシ先生を連想するからなのだ。 FIN(20141121) 前へ 次へ戻る1/1 |