くああ、と一際大きな欠伸を聞いて、困った目を向けた。

「ナルト。お前、今日何回目?」

「んー、だって眠くてさ……」

答える傍からまた大口を開けてこぼれる欠伸に、師は心外という心境だ。


亥の刻も過ぎた夜更け、提灯の燈った飲み屋にてカカシは教え子であるナルトと肩を並べて座っていた。
もっとも、まだハタチを迎えてもいないナルトは酒を飲めもしないのだが、今宵、二人がこうしているのは以前からの約束にもとづくものだ。

里が落ち着いている昨今、カカシはナルトやサクラと班を違えて行動することが多かった。
今や強くなりすぎたナルトがカカシの手に余る――というのも若干あるが、おおまかには隠密系の任務がカカシ個人に依頼されることが多いからだ。
そうしてかれこれナルトとは、ひと月以上、同じ班で過ごすことはなかった。
これまでずっと身近にあったのに、共通点がなくなると、途端に遠く感じるものだ。
里の通りで同期の忍と仲良く話しているナルトを見かけることはあったものの、声をかけるほどの用件はなかった。たまに見かけ、通り過ぎるだけ。
ナルトは目立つ。金髪碧眼、オレンジ色の上下服というルックスもさることながら、生まれ持った雰囲気そのものが。
いつも、カカシばかりがナルトの存在に気付き、ナルトの方はカカシに気付いていないようだった。
そんな折、一週間ほど前だろうか。珍しく、ナルトの方がカカシに気づき、「カカシ先生、久しぶりだってばよ!」と声をかけてきた。
今度、飯でも一緒に食おうと、そうカカシを誘ったのはナルトだった。

つまり、それが今日この夜のことなのだが、ナルトはカカシと約束していた時間に現れず、つい小一時間ほど前、「ワリィワリィ」と悪びれもなくやって来た。
今宵急きょキバらに誘われ、カカシと会う前に飯を摘んできたらしい。
ナルトが遅れた為に、行こうと思っていた一楽は店を閉めていて、夜が更けてもやっている飲み屋へと仕方なく足を運び、こうしている。
食欲が満たされ、任務の後の疲れもあって睡眠欲が増進されているのか、ナルトはカカシと顏を合わせてから片手では足りないほど欠伸を繰り返していて、腹も満たされているからと料理にもあまり箸をつけなかった。

「カカシ先生……なんか機嫌ワリィの。せっかく久々に会ったってのに」

頬杖をつき、だるそうにこちらに目線をくれるナルトに、カカシは眉をひそめた。

「あのねぇ……お前が言うの?せっかく久々に会うってのに、待ち合わせには来ないわ、飯食って来てるわ……」

「だって、カカシ先生のことだから一時間や二時間の遅刻は当たり前だと思ってたんだってばよ。こういう時は意外と時間厳守なんだなー」

カカシは答えず、グラスの酒を呷った。
横顔にナルトの視線を感じるが、あえてそちらを見ないようにする。
機嫌が悪いわけじゃないが、かんばしくも思わない。先約を後回しにされ、蔑ろにされることは。

――誘われた時、心弾み、楽しみにしていただけに。

「つーか、カカシ先生だって任務の集合時間に遅れることなんてしょっちゅうだったくせによ。勝手だってばよ、ちっと遅れたぐれぇでそんなに気ィ悪くしなくてもいいだろ?」

二人きりの待ち合わせと任務での集合を一緒くたにしているのか、反省の色もなくナルトが口を尖らせる。
カカシが尚も答えないでいると、ナルトはしばらく押し黙ってカカシを見ていたが、反応を返さないカカシの態度に、さすがにマズイと思ったのか「カカシ先生」と身を乗り出し、カカシの顔を覗き込んだ。

「あーもう!オレが悪かったって!次、会うことあったら遅刻しねぇから!……ンな怒んないでくれってばよ」

そう言うナルトは少し決まり悪そうで、焦っているようにも見える。
察したカカシが「……ま、いいけどね」と返すと、ほっとしたように表情をゆるめ、ああだこうだと近況を話し始めた。
そんなナルトを後目に、カカシは考えた。

(……そうか)

カカシは、ナルトに冷たくすることがない。
師として、上司として、ナルトが判断を誤ったり、早まったりした時には厳しい顏で諭しはするが、それは冷たいという感覚とは別物だ。
任務や忍としての在り方と切り離したプライベートにおいて、カカシがナルトを突き放したことは一度たりともない。
まるで保護者のように見守り、時には甘やかし、安定した接し方をしてきた。
そんなカカシとの関係に慣れて、ナルトは甘えているのだろう。二人きりの待ち合わせに遅れてもカカシなら難なく許し、蔑ろにされたとしても呆れて諭す程度だと思っていたのかもしれない。
だから思わぬ反応を返されて、不安そうにカカシを見つめ、焦りを見せた。


ナルトと会った数日後、カカシは里の通りでナルトを見かけたが、いつもの如く、声はかけなかった。
任務の帰りだろう。サクラやサイと冗談を言い合いながら歩いている。
カカシの視線を感じてか、ナルトがカカシに気付き、ぱっと表情を明るくする。だが、カカシはそんなナルトから視線を外した。

「あれ?カカシ先生!」

カカシの態度に驚いたように口を噤んだナルトに代わって声をあげたのは、ナルトの視線の先を追ってカカシに気付いたサクラだ。

「久しぶりですね〜!カカシ先生も任務の帰りですか?」

「いや、オレは今から出るところだよ」

「近頃、全然任務一緒にならないですよね。ヤマト隊長だと、堅苦しくて肩が凝るってナルトがうるさくて」

サクラに話を振られ、ナルトは、ハハ、と笑ったが、その表情は曇りがちだ。カカシに目を逸らされたから、どうしてだろう、気のせいだろうかと窺うような視線がカカシに向けられている。

「また今度、皆でご飯でも行きましょうよ。カカシ先生の奢りで」

「相変わらず容赦ないねぇ、サクラは。ま……、また今度ね」

ナルトの方を見ないままカカシが答え、片手を上げて言うと、サクラはにこやかに見送ったが、ナルトはその隣で立ち尽くしていた。
話に戻ったサクラやサイの横で、一人、カカシを気にして振り返り、去りゆく背中を見つめる。
「ナルト、どうかしたの?」とサイに声をかけられ、「あ、何でもねーってばよ!」と笑顔を張り付けて二人に向き直った。
その背後、歩いているカカシは、背中に注がれたナルトの視線に気付いていた。
わざとナルトから視線を外し、わざと気付かないふりをしたのだ。

それからも、カカシは偶然ナルトと会うことがあっても、ナルトの視線に気付かないふりをした。
以前であれば、里の通りで出会うことがあってもカカシばかりがナルトに気付き、ナルトの方はカカシに気付かなかった。
それが今は、そうやってカカシがナルトの存在を見ないようにすればするほど、反比例するようにナルトはカカシを見るようになった。
カカシの存在を意識し、すぐに気付いて、不安そうな物言いたそうな顔でカカシを見つめる。そのわりに、声はかけてこなかった。


半月ほどして、サクラが言っていた「また今度、皆でご飯でも」という話が実行に移されることになった。
いつもならカカシ班での様々な催しにはナルトがうるさいほどに口を出すが、今回は得てしてだんまりだった。
まるでしおれた花のようにしょんぼりし、俯きがちで、ラーメンも何だしと向かった焼肉屋への道中も、ほぼ口を開かない。
ただ、その視線だけは、物言いたげにカカシの背中に刺さっていた。
店に入ると、座敷のテーブルを前にカカシとナルトが隣り合って座り、向かいにサクラとサイが座った。
運ばれて来る肉を次から次へと網焼きの上に乗せるサクラが、俯き声を発しないナルトを横目に呆れたように目を尖らせる。

「ちょっとカカシ先生、ナルトに何とか言ってやってくれませんか?こいつ、最近ずっとこんな調子で、全然元気ないんです、理由を聞いても言わないし」

それを受けてカカシがナルトに目をやると、ナルトは強張ったように体を固くした。
ナルトを眺めるカカシを、恐る恐るといった風体で見返す。
カカシ自身がナルトのことをちっとも見ないようにしていた為、目を合わせたのはしばらくぶりだ。

「……何かあったのか?ナルト」

「あ、……」

訊ねると、眉を寄せた。困ったような表情をして顏を背け、「別に、何でも……」と声をくぐもらせる。

「ホラ、この調子で……ちょっと前からなんですよ。こっちの調子が狂っちゃうっていうか」

ぼやきながらも、心配しているのだろう。ナルトを見るサクラの目は気遣っている様子だ。
カカシは師らしく、ナルトに向かって柔和に目を細めた。

「ナルト。何かあったら言いなさいよ、オレが相談に乗れることなら聞いてやるから」

「……」

カカシに言われ、ナルトが目を見開く。期待と不安をいずれも含むような眼差しで、碧い瞳が揺れた。


しばしして、カカシが店の便所に行き、席に戻ろうとした時だった。

「カカシ先生」

向かいからやって来たナルトが道を塞ぐように通路に立った。声をかけていいものかどうか、ためらっているようでもある。

「あのさ……」

「……何?」

カカシはにこりと笑ったが、ナルトを一瞥すると、その横を通り過ぎた。途端、碧眼が身を切られるように沈痛なものになる。

「先生」

ぐっと服の袖を引っ張られて、カカシは足を止めた。振り返って見たナルトの顏は思いつめたような表情で、泣きそうなものになっていた。頬が真っ赤になっている。

「カ、カカシ先生……なんで?」

「何が?」

「オレのこと、避けてんだろ? 目が合ったって逸らしちまうし、前みてぇに話してくれねェ。い、今だって……」

ナルトはすがるようにカカシを見つめ、その声は上擦っていた。
距離なら、こうなる前にも任務で組む班が別々になったことで物理的にあった。だが、その時、ナルトはそのことを何とも思っていないようだった。
カカシのことを気にしてもいなかった。
カカシがナルトを見ないようになってから、初めて距離に気付き、追いすがるようにカカシを見るようになっている。
ナルトは、強い子だ。
幼い頃から度重なる逆境にも物ともせず、必死にやって来て、負けん気が強かった。
しかし、完璧な人間はいないし、反面、脆い部分を抱えている。
孤独な育ちからナルトが得て、何より大切に思っているのは仲間や師だ。
逆を言えば、ナルトはそれらを失うことを何より恐れている。命を奪われることは勿論、絆を断たれること、関係をなくされること全般に。
だからこそ、関係を切ろうとすると、必死になって追いかけてくる。なくしたくないと、頭の中をそのことでいっぱいにして。
少し冷たくしたカカシにナルトが焦ったあの夜、カカシはそのことに気付いた。

カカシは目を細め、マスクの下で唇の端を持ち上げた。
今、目の前に居るナルトの髪を安心させるように柔らかく撫でる。

「……そういう風に見えたなら悪かった。けど、避けてなんかいないさ、そんなことするわけないでしょ?」

吊り橋理論によく似ている。不安定さは思考の比重を多く取り、その分、心が揺らぐ。
安定を求めることに気持ちが奪われる。
カカシの声を聞き、頭を撫でられて、ナルトは頬を赤らめたまま困惑したように視線を揺らした。
カカシがその肩を抱き、身体を抱き寄せると、固くなり、耳まで赤くする。

「カ……カカシ先生……」

厚めのベスト越しでも、ナルトの動悸が伝わりそうだ。


カカシはナルトのことを怒ってもいなかったし、嫌いになったわけでもなかった。けれど、目を合わせないようにし、避けた。
このひと月、カカシのことで頭をいっぱいにしたナルトは、一体どんな気持ちだっただろう。
それを考えると、ひどいと思うのに、頭の芯が甘く痺れた。

そうしたのは――……

(この子が……)

ナルトが誰よりも欲しかったからだ。









FIN(20140501)





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