\ らくがきおきば /

しにたがりさん

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彼が屋上から飛び降りた、と聞いて出た自分の声は至極冷静なものであった。
それを伝えに来た彼女も、私の返事を聞いて一瞬眉を潜めたが、すぐ元の位置に戻した。
なんていうか、慣れだ、こんなものは。そんな私の心情が、声色に表れたのだろう。彼女も落ち着きを取り戻したようだ。

「とりあえず、生きてはいるんだろう」
これは彼女に対する問い掛けではなかった。自問自答、のような、ええと、反語とかそういうような。

「説明する必要は、ないんでしょう。案内はするわ」

そう。彼が死ぬはずがないのだ。
屋上から飛び降りた、なんて言っても、あのチキン野郎の事だ。どうせ2階立てくらいのビルとも言えないビルから、下にはご丁寧にふかふかのマットを敷いたに違いないのだ。

私は黙って彼女の後を追った。
彼女は来たときとは大違いで、ゆっくりと歩いていた。



「ハロー、俺の天使」
案の定、彼はふかふかのマットに埋まっていた。私を見るなり素っ頓狂なことを言い出す彼を、靴のまま踏みつける。

「いい加減にしろよ、迷惑なんだ、お前は」
「いやあ、やめたいのは山々なんだ。やっぱり怖くて」
それみろ、とんだチキン野郎だ。
しにたい、なんて口癖のように、事有る毎に口にするくせに。私の目の前でだって。
いざ死のうとすると、怖くなるらしい。とんだビビりだ、ペテン師だ、最低野郎だ。

彼女は、もう帰ったようだ。

「しにたいなら勝手にしねばいい」
お前になんかに優しい言葉をかけるなんて、時間と酸素の無駄だ。しんでしまえ。

いつものことだ、と流せればよかった。無性に不安になってしまったのだ。私としたことが。こんな奴の前で。

「ううん、ごめんね」
「意味がわからない、受け答えができていない」
まったくこれだから最低野郎は。言語までもが不十分野郎か。

「ごめんね、もう、やめるから」
やめるって、何をだ。しにたいと思うことをか?

「だって、そんなに泣くんだもん」

馬鹿野郎。泣きもするわ。

会うたび毎回毎回しにたいなんて目の前で言われて、しかも一応恋人だ。そんなこと言われて平気な図太い神経の持ち主がいたら会ってみたいものだ。

ようするに、私は。
「どうでもいいの、お前にとって」
「よくない」
「なら、なんで」

なんで、目の前でしにたいなんて言う。
お前なんか、居たって何にもならないと。生きたいと思う理由にならないと。

なんで、私を好きになった。


「すきだよ」
「……しってる」
「こわかったよ」
「なにが」
「きみが離れていくのが、」


なんて、なんて。

本当に、馬鹿野郎だ、お前は。

「離れるのが怖くて、逃げようと思った。けど、やっぱり怖くて」
「………うん」
「やっぱり、やめるから、すきだから」
「…うん、」


「一緒に居てね、ずっと」

「だから、泣かないで」


そんな安っぽい言葉でも。
しにたがりの彼から出た言葉は、私の頬をびしょ濡れにするには充分だった。





2011/10/09 23:14