口火G


どういう意味だという勇人の声は動揺に揺れていた。
対して隼人はくすぐったく笑いを零すだけ。
「そのままの意味だけど。俺は勇人の為なら何だって出来る。勇人を守るためなら人殺しでも出来るんだ。あいつに媚を売るのなんて屁でもない」
大きく見開いた勇人の瞳に利央の意地汚い顔が一閃した。
「あいつはね……無理に強要した訳じゃないよ、勇人。確かに誘いはしてきたけど、そこまで強引じゃなかったんだよ。別に断ることも出来た。でも誘いに乗った方が勇人をきつい眼で見ないかなと思って」
ふと葬式での利央の眼が蘇る。心底、勇人を小馬鹿にした眼だった。そういえば、あんな眼で見られたのは後にも先にもあれきりだ。ここに来てからも利央は一切、勇人に興味を示さなかった。
「そんな」
ほつれた糸は徐々に形を織り成し、一つの可能性を形成し始める。それは一度はまさかと考えたことのある、だが一番目を背けたい可能性だった。
自分を守るために隼人は。
死にかけた金魚のように勇人の薄い唇が開閉する。
「そんな、そんなことなのか。そんな小さくて、馬鹿なことの為に、お前はあいつに、あんな男に……」
「馬鹿なことなんかじゃない。俺は勇人が大好きだから」
隼人の正面切った言葉。それを認識した刹那、勇人の喉からひいぃぃっと引き攣れた悲鳴が飛び出した。
支える力を失せた足は無様に折り曲がり、下半身は土塊まみれに成り果てる。パニックに陥った脳は尻餅の状態のまま後ずさる単純な行為すら封殺した。スニーカーの底が一心不乱に乾いた土を掻き回す。
背後の炎は高熱を放っているのに勇人の体は氷河に漬けられたように凍てついていた。
これ以上、弟の話に耳を傾けてはいけない。予感がする。とても、とてもいやな予感だ。
「なあ、勇人……」
隼人の足取りは優雅さすらあった。なめらかに、気品よく、震える勇人を追い詰める。
青褪めた勇人の顔を覗き込むようにして屈んだ隼人は小学生らしからぬ、うっそりとした笑みを浮べていた。
「いい加減、見ないふりをするのは止めてくれる。そういうのは結構、辛い」
「何の話だっ」
「今更だろ。俺が好きって言葉を口にするたび嫌そうに眉を顰めるくせに」
ちがう、ちがう。自分は、俺は隼人に好きと言って貰えて嬉しい。嬉しいんだ。それは兄として誇れることであって。
「嘘。俺のこと気持ち悪いと思ってるんだろ」
ちがうっ、ちがうっ!
「違わない。昔からそう。勇人は俺が贈った花を受け取ろうともしなかった。ずっと勇人のことを考えて、死ぬほど勇人が好きで、それをちょっとでも知ってもらいたくて大事に取ってきた花だったのに。勇人は俺も好きだって言い返すこともしない。全然気持ちを返してくれない。愛してないんだろ、俺のことなんか。見ないふりするなよ。ちゃんと目の前にいる俺を見てよ」
ちがああああうっ! 俺はお前を、弟を、愛しているんだっ。心の底から!
「じゃあ証拠を見せてよ」
はっ……
「死んだ女より愛してるっていう証拠を見せてよ」
しんと静まり返った闇夜に、火花の飛び散る音だけが漂った。
一瞬で冷却された思考は自分の言葉を理解できるまでに回復している。
知らぬ間に隼人の顔は唇が触れあいそうなほど接近していた。炎に照らされた、てらてらとした下唇に自然と自らの喉が鳴る。何故。
「俺に任せてよ」
瞬間、何のことか分からなかったが隼人の眼に映りこんだ炎の柱を見て震え上がった。
「俺が利央に上手く言ってあげる。勇人のせいにならない。俺と勇人、二人でずっと生きていける」
「どうやって、」
「真央のせいにする」
冷たい空気が喉を通り抜ける。
隼人の顔は今まで見たこともないほど喜悦に歪んでいた。
「俺はここに来てから、この屋敷で一番狂ってるのは利央だと思ってた。だけど違う。さっき確信した。一番狂ってるのは雨竜真央だ。あいつなら放っといても自分がやったと言うさ」
何が何だかわからない。さっき。隼人はさっき、何を見たのだろう。
「だから証拠を見せて。見せてくれたら万事、全てが上手くいく」
さあと近づけられた唇が勇人を誘惑する。
「だ、駄目だ。俺たちは兄弟で、血の繋がった兄弟で」
予感があった。これをしてしまうと全てが終わる。何もかもが終わり、気味の悪い現実が自分たち兄弟を巻き込み、押し流してしまう。
小刻みに震える瞳孔は隼人にどう見えているのだろう。こちらをじっと見つめる隼人の眼は、すらりとした猛禽が木の上で狩りのチャンスを窺っているようにも見えた。
「すき」
不意に、火明かりのルージュを引いた唇が勇人の思考を抜き取った。
「すき。だいすき。俺は勇人を、兄弟以上の気持ちで愛してる」
舌ったらずの子供のような口調で隼人が言った。言ってしまった。流し台の下から恥ずかしげに俯き、コスモスの花を差し出す、かつての隼人が眼に映った。
どこかの線が、切れた。
細い肩を両手で鷲掴み、あらん限りの力で引き倒す。必然的に歯がかちあうほど唇が重なった。
唇の間から隼人の呻きが聞こえる。もうどうでも良い。焼き切れた理性は自らの舌を隼人の咥内に押し入らせる。温かい中を縦横無尽に荒らしまわる。互いのくぐもった息だけが五感を支配する。
ずっとこうしたかった。こうして、隼人の全部が欲しかった。それがいつからだったのかは、もう分からない。
脳味噌の内容物がすべて隼人に支配される。隼人の顔や、手や、足や、股の間にまでも勇人は屈服してしまう。
唇を離すと性急な動作で隼人を中庭の草むらに投げ込んだ。高校生の容赦ない力に小さな体はあっけないほど転がった。痛みに呻きながら隼人が仰向けになった所で上から飛びつくように覆い被さる。
「あっ!」
繊維が悲鳴をあげそうなほど勢いよくシャツをたくしあげると隼人の頬に赤みが差し込んだ。たまらない思いが込み上げる。その思いの指し示すまま小ぶりな二つの桃色をした突起にむしゃぶりついた。
「あ、あ、勇人……ゆうと……」
熱に浮かされたような隼人の声。パンツの中が熱い。小さな膝頭にそこを押し付けると隼人の全身がびくりと跳ねたが、それも一瞬だけのことだった。
隼人は脇腹を忙しなく這う右手を優しく掴むと、そっと隼人自身のそこへ導きだしてしまう。
はっと顔をあげると隼人は泣き笑いのような笑顔でこちらを見ていた。
小さくて、今にも消えてしまいそうで、マッチの火のように儚くも温かい、隼人の笑顔。
「すき」
「俺もだ」
ぽろりと零れ出たのは恐らく、本音。実兄という盾を外された、弱々しい本音だ。
隼人の手が首の後ろにまわり引き寄せられる。間近に迫った首筋に愛おしさが込み上げ、思わず舌で愛撫した。
耳の近くでしゃくりあげる隼人の体をぎゅっと抱きしめる。腕の中で発火する熱い炎は、一生手放すことを許されない。
だが、これで良かった。この火に炙られることが自分の真の幸せだったから。


勇人の背中越しに見える、屋敷と嘗め尽くす炎の海。隼人の眼が混濁した光を放っていたとしても。昏く口角が釣りあがっていたとしても。
幸か不幸か、それら全ては勇人の視界に入り込む事はなかった。


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