男が王都に足を踏み入れて、もう数日経とうとしていた。


「〜〜〜ギーヴ様!!!」

「おっ、来たな」



家族で経営している、エクバターナにあるその酒場はなかなか繁盛していて、馴染みの客も多い。その中でも一際人目を集め異彩を放っている客が、現れた少年に対し面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべていた。



「来たな、じゃありませんよ!何でこう、いつも返ってきたら王宮に直行してくれないんですか!」

「王宮は堅苦しくて好かんといつも言ってるだろう。久々の王都の葡萄酒や女たちを楽しむくらい勘弁してくれ」

「いけません!いつもいつも、陛下だってあなたのお帰りを楽しみにしてらっしゃるんですよ!」



少年、もとい国王に仕える侍衛長のエラムはひどく憤慨しており、男、もとい巡検使兼宮廷楽士のギーヴは耳に小指を突っ込みながら聞き流す。

ギーヴはアルスラーンの即位後、平和な時は一応巡検使として方々を回っては自分の帰りたい時に帰ってくるという生活であったが、最近は何故か王都に帰ってきてもなかなか王宮に姿を見せようとはしなかった。

そのうち、あの楽士殿がもう王都にいるらしい、という噂がアルスラーンの耳に入り、ギーヴを探してきてくれないか、と依頼されたエラムが連れに来る、ということが慣習化してきていた。そしてギーヴがいるのは、いつも決まってこの酒場なのである。それが余計にエラムを苛立たせていた。

ことん、と音がしてエラムの説教は止まった。2人がギーヴの座っている前の机の方を見れば、もう一つ葡萄酒の入った器が置かれている。

顔をあげれば、そこにはにこりと笑みを浮かべた少女が立っていた。



「まったく、私何度も王宮に行かれなくてよろしいのですかとお伺いしましたのに、またエラム様を怒らせているのですね、ギーヴ様」

「美しい看板娘がいて、更にはうまい葡萄酒のある酒場を離れられるわけがなかろう」

「相変わらずお上手ですね、エラム様もお務めご苦労さまです。葡萄酒、よければ飲んで行ってくださいね」



ナマエの言葉にエラムは赤面した。



「い、いえっ、私はギーヴ様を連れ戻しに来ただけなので、お構いなく!」

「いつも大変そうですもの、おこがましいでしょうが、これは私からの労いです。どうぞ」



そう告げて可愛いらしい笑みを浮べて店の奥へと戻っていくナマエを、エラムは視線で追ってしまう。ぼんやりと彼女の働く姿を見つめ続けているエラムを見て、遂にギーヴはぶふっと吹き出した。



「礼の一言くらい言えないのかお前は」

「んなっ、いつも不遜なギーヴ様に言われたくありません」

「俺は女には礼儀の限りを尽くす、一緒にするんじゃない。で?これは飲むのか、飲まんのか」



ギーヴは大層つまらなさそうな様子で肘を机につくと、エラムに問う。ギーヴの質問に、エラムは迷い、悩み、そしてギーヴの向かいに座った。どうやらせっかくナマエが出してくれた葡萄酒をさすがに無下にはできなかったらしい。

店の奥で、そんなエラムの様子を見てほっと嬉しそうに息をつくナマエが見えた。

ギーヴはまったく勘弁してくれ、とため息がつきたくて仕方が無いが、原因を作ったのはそもそも自分だったことを思い出すと、それをどうにか堪えながら自分も葡萄酒を口に含む。

この店は確かに元々ギーヴの馴染みであった。まだまだ少女ではあり自分の相手には少々若すぎるが、看板娘のナマエは可愛らしく、葡萄酒も美味いので気に入っていた。

そして一度だけ、本当に報告すべき点があまりにもなかったので、王都に帰ってからも面倒くささから王宮に足を運ぶことなくこの酒場やら妓館やらにて楽しむのを優先したことはあった。どうやらその時もそれがアルスラーンの耳に入ったらしく、彼に頼まれたエラムがギーヴを探しにやって来て、この酒場にて捕まった。

その時に、どうやらこの真面目な少年は、ここの看板娘に一目惚れしてしまったらしい。そしてそれに気づいたのは、なんとあのアルスラーンである。

お忍びでエラムと2人きりで城下を歩いている時に、ここの酒場を通る度にちらちらとナマエの姿に目をやるエラムに気づいてしまったらしい。まったく、国王の護衛失格じゃないか、ダリューンに怒られるぞ、とギーヴがその話を聞いた時は思ったものだが、同時に仕方がない。恋とはそういうものである、あのエラムですらそうなってしまうものか、と少し感心もした。

さて、国王からどうかしたのか、と尋ねられたエラムは、慌ててここはギーヴ様の馴染みの酒場です、と答えた。しかし明らかにエラムの視線の先には可愛らしい少女がいたために、アルスラーンは親友の恋を応援したくなったのだろう、すぐにギーヴを呼び出して事情を説明した。

おぬしは色恋については得意なのだろう、どうかエラムに協力してやってはくれないか、と国王自ら頼まれてしまっては断れるはずもなく、まじか、と思いつつもエラムを飲みに誘うと、ギーヴ様と飲むなんて何を企んでいるのか怖くて行けません、と尽く断られた。そしてエラムは1人で酒場には行かない質であった。

と、まあそういう事情もあって、アルスラーンの了承を得た上で最近のギーヴは王都に帰ると王宮に行く前にここの酒場に足を運び、自分の帰還の噂が王宮に届くのを待った。さっさと報告してさっさと仲間をからかって、うるわしのファランギースの顔を堪能したらまたさっさと旅に出たいので、なるべく早く届くよう王宮付近をうろうろしつつ、馴染みの酒場に入り浸り、待った。妓館に行きたくても、とにかくアルスラーンがエラムにギーヴを連れてきてくれと命じるのを待った。

そんな彼の努力の甲斐もあって、いつもいつも目立つギーヴを連れ戻しに来るエラムを覚えたのか、ナマエとエラムの距離は少しは縮まったらしい。お互いの名前も知り、歳も知り、エラムが現れると必ず多くはないが会話をするようにはなった。

というか、ナマエも完全に同年代であり、国王に仕え、真面目で誠実そうで、それなりに整った顔立ちのエラムのことが気になっているのは明らかである。



「なあ、エラム。今度から王宮に直帰してやるから、お前ここに毎日飲みに来いよ」

「はあ?仕事があるのにそんなことできるわけないでしょう。あまり陛下のお側を離れたくないので直帰はしてください、お願いします」



別にエラムは鈍くはない。単純に色事に慣れたギーヴにばればれであることが恥ずかしいのだろう。誤魔化すエラムに、お前陛下にもばれてるからな、と言いたい衝動をギーヴはどうにか抑えた。それどころか恐らくギーヴの勝手気ままにしか見えない行動を注意するようアルスラーンに進言した臣下たちはみんな知ってる気がする、とも考え次は1人で笑いを堪えた。実際、ギーヴに直接最近の勝手な行動について注意してくるのはエラムだけである。

それにしても、と相変わらず得意でもない葡萄酒をちびちび飲みながらナマエのいる方向を気にしているエラムの顔を眺めてギーヴは呆れる。

女性を口説くことに関して、むしろ口説かない方が失礼だと考えているくらい羞恥など感じたことがないので、なんで俺が王都を留守にしている間に事が進んでいないんだ、さっさと自分のものにしてしまえよ、と説教したくて仕方がない。

だが、基本的にエラムはギーヴの言うことを聞いてくれないし、ギーヴとしても簡単に事が運ぶのはまあそれはそれで面白くなかった。

要するに彼は面倒とは思いつつも、最近のパルスが平和で退屈故に、いたいけな少年の恋を面白がっているのである。



「ほら、行きますよギーヴ様!」



気がつけば葡萄酒を全て飲み終えていたエラムが、自分の横に立っていた。ギーヴは、いくら色事に関してはこの私にお任せ下さいと年若い国王に進言しているとはいえ、やはりこの役回りは損だ、と思った。もうお前ら好き合ってるんだからさっさとものにしちまえとやはり言うべきだったかな、とまだ自分の杯に残る葡萄酒をあおった時。




「あ、あの、エラム様、もう行かれてしまうのですか……?」



お。ギーヴはそう思った。ついに女の方が動き出したじゃないか。

エラムの反応を見るべくすぐに自分の隣を見やった。



「ナマエさん、」

「あの、今度は是非エラム様も飲みにいらしてくださいね、お待ちしてますから」



う、あ、え。

エラムはおかしな音を口から発すると、みるみる顔を赤くさせた。茹でダコだ。ギーヴはエラムの顔を呆れた調子で眺めながら、やっぱり忠告は控えた上で、自分の主君に如何に面白おかしくこの真面目な少年が恋に関しては情けなく、そしてそろそろ自分は王宮に直帰できそうですと報告するかを考えた。

160918
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