深淵 | ナノ


ただいま、ちょっと久しぶり。それなのに立場はでんぐり返る。

実は『ここ』に落とされてからは、こちら側には立った事のなかった私だったりする。



17.紛れ幸い《前編》



「…かあ…さ……おと…さん…」


とても長い夢を見ていたような気がする。
あ、普通のそのままの意味の方ですよそこの奥さん…ってああ違う違った。何が違うって、生前私もハマってゲーム漫画アニメの合間に自室で冗談ではなくパソコン基本開きっぱなしで、果ては移動の際まで携帯片手に常備というか装備して、暇さえありゃ読み漁らせてもらったものだったけれどもまあアレだそちらさんではけっしてなく、本当の意味で寝てる最中に見る夢の世界さ。これはまた懐かしい人達を呼んでしまったものだ。
…もうここに来て16年にもなるのに。

え、酷くないかこれ。最悪じゃないかこれ。
今更会える筈もない人達、いや確かにココにブチ込まれる前は何とまあ完全には私の世界じゃなかったにしろ奇跡的に再会を果たしましたが?
そして詳細は全部省略させて頂くが、それは私の意志でどうこう出来るモノでもなければ戻りたいと願ってた訳でもないというのに何なんだ、何でホント今更思い出させるんだよ。
私の無意識か何かが原因なんだろうけど視界が滲みそうだよコンチクショー。

しかしそんな今はどうでもいい私の過去話はさておき、気が付いたら白い天井どころか白に囲まれた病室で幽体離脱してたなんてのは遠い遠い私の過去。ある意味の始まりだったそれはそれこそ前の世界云々レベルじゃない。だって私はその時死出の旅に向かおうとしてたのだから――。

…って、ん?いやこれも今更だよね何故そんな事まで思い出した?
今の状況のせい――と言うか、そもそも今の私どうしてたんだっけ?


「(…あれ、)」


寝起き特有のはっきりしない重い頭しかし何だか回転は何故だかあまり悪くないそれを起こそうとして、起こすって表現になる事からして今の自分が横になってる事に気がついた。あと頭に伴い上半身も起こそうとしたのだけど、身体を支えようとした片手の自由が利かない事にも気付いた。おかげで片方の肘だけで支える羽目になり中途半端かつちょっとしくじったグラビアポーズみたいになった。ハハハ私がやれば違う意味で悩殺だがな視界から殺られる的な意味で…いやそれはどうでもよくてだな。

身体は頭と一緒で然程鈍ってる感じがしない事からそんなに寝ていなかったのだろうか。
いやホント私何がどうしてこんな状況に。


「(…?この匂い、)」


考えあぐねる中、私の犬並な、アビス風に加えるならウルフ並な嗅覚が情報を捉えた。鼻につくのは薬品のニオイと見知った人物の何だか良い感じの、ついさっき自分の血臭でかき消された私の腕に残ってたモノと似たような、香り……つい、さっき?駄目だこれもイマイチ思い出せん。

片手が何かに封じられているのでそんな微妙な格好のまま今自分が横たわるこの場の辺り全体にふと視線を上横斜めと動かせられるだけ走らせてみるに、白というよりはベージュに近い天井やら壁やら、そしてその壁の床に近い下の部分にここ約11年程ですっかり見慣れたこの場所特有のゴシック調と優美かつシャープな曲線を合わせたような紋様が彫られていてそれはつまり、


「ナマエ…!な、んで…もう起きて、」

「…おかあ、…!イオ、ン…」


ここがダアトの教会内のどこかだという事で。
他の部屋よりは控えめ抑え気味ではあるけれども。

それにも拘わらず夢の余韻かお母さんとか言いかけた私どんなうっかりだ。しかもよりによってイオン相手に間違えるとか。性別すらかすってないよいやイオンは見た目でならある意味本物の女の子ばりに可愛いけども。でも、それにしたってこのミステイクはないだろう。
おかげでほら、イオンの元からすげーかっ開いてたらしい元より大きめな目が更に見開かれちゃってるよ。…いや、ていうか何故にそんな元々お開きに?

とりあえず、イオンがこの場にいるのがここがどこであるのかを指し示す何よりの証拠だろう。

いや、それよりも。あれ。イオンの今のこんな表情私最近見たぞ。どこだ。てかうわ、こんな驚いたイオンとか珍しすぎるんだけど。約11年一緒にいた中でも滅多に拝めるもんじゃなかったってのに何事。驚いても可愛いって反則だよな…ってちゃうがな。

…ああ、ここ病室か。だからか。あんま装飾は多くはなくって、それこそ今呼んだ彼の私室みたいに質素なのは。
私は殆どと言っていい程お世話になった事はないんだけどすぐにわかったのは昔とここ最近、導師守護役としての任から私が離されたせいで治癒術師として駆り出されるイコール私の仕事場がここ病室となってたからだ。見慣れるどころか私のテリトリー気味だったわ。

何だか珍獣か未知の魔物扱いか私はというくらい驚愕して私を凝視する目前の彼、イオンが何と私の片手を握り締めてる事から、今は治療する側ではなく治療される側みたいなのはわかったんだけど。私が何とも微妙な体勢になったのはこの繋がる手が原因だった。

というか何でイオン?しかも何がどうしてそんなびっくらこいてんの?
…何で、そんな大事そうに私の手、握ってくれてるの。

ちょ、何だ何だ、天変地異の前触れか明日はアレか譜石でも降ってくんのか?それとも今からこの手は捻り上げられでもしちゃうカンジ?ゲッ、やめておくれよアナタダアト式譜術の使い手でしょうそんなんかまされたら捻挫最悪骨折あっさりイっちゃうんですけれども!?

つい防衛本能から慌てて反射的に引っ込めようとした私の右手は、イオンに痛くない程度に引っ張られて離れずじまいに終わった。防衛失敗とか。(しかも何か、さっきより更に強く握られッ…!)


「ありえない、まだ手術から1週間しか…」

「うぐ……ええっと何だいイオン、しゅ…手術って、何?何の話?」


呻くだけで留められた私ナイス!…じゃあ済みませんよねどうしよう照れ通り越してうっかり萌えかけた私爆発した方が良いかな。全国とゆか遙か彼方地球の被験者イオンファンの方々ごめん。いやそれ以前にアリエッタマジごめ……いや、ん?

いつもなら私がこうして萌欲による(イオン曰く)邪悪な笑みを浮かべるだけで何かしら、ってか主に音素が飛んできてたハズなのに、今のイオンはその私のアレさ加減には全く無反応。いやそれよりも、そんな余裕がなさそうな感じといった方が近いかもしれない。

おかげで私はびくびく真性チキンっぷり曝しながらイオンに恐る恐る問う羽目になった。…私遙かに歳上なのに。

でも、いつもと違う、違いすぎる状況は純粋に怖すぎた。


「い、イオンー?あの、何でここに…つか私どうしたんだっけ?ここ教会の病室だよね、私ここに来るような事何かしたっけ?――あと、この手は一体全体何なんでしょうかね私まだ今日はイオンの勘に障るような(萌え的な意味での)失態はやらかしてないハズなんですがね…」

「……ナマエの馬鹿」

「えええ何でいきなり罵倒…」


うっそだアナタほんとにイオンですか。

心の中ではそう思ったけど実際に私はそれを口に出す事はなかった。萌えとか一瞬でも思ったさっきの私は秘奥義でもくらうべきじゃなかろうか。アカシック・トーメント!とか叫ばれても文句は言えまいよ。

目の前のイオンはどうやら私の寝かされてたベッド脇に備えられた簡易の椅子に座っていて、私の手を握っていて。顔は泣きそうでいてしかしそう簡単には泣くような子ではないからか口をきゅっと結ぶに留め私から少しも目を動かさない。睨まれているのではない。無論笑ってもいないが、しかし直後イオンが吐いた、絞り出したかのような溜め息に本当に心の底から安堵したと言わんばかりの温かさを携えてくれている。
しかもそれどころか罵る声が、他人にはわからない程の普段との差かもしれないが、私にはわかってしまった。
震えていた。その大きな目がまるで身を切られたかのように辛そうに細められている。痛そうだ。
それはまるでその昔、エベノス様が崩御した際と殆ど同じ種のモノであって――。
そんなイオンの態度に対し言える筈もなければ、言って良い事でもなかった。

今の私はきっと真顔になってしまってると思う。だってどう反応したら良いのか全くわからない。
いやだって、あのイオンだぞ。小さい頃ならいざ知らず、今や基本冷徹冷酷冷淡…とにかく彼にはそんな冷たい態度を表す単語しか当てはまらないっていやホント。母代わりの私相手にしたってこの今のイオンは優しすぎやしないか――握る手がきつく感じる事からそれなりに力は込められてるだろうに、優しい。それは彼にしてみれば最大限の気遣いをされている証拠じゃないだろうか。

何だろ私まだ寝惚けてんのかな。あれかこれこそ夢か?や、どっちの。ダメだ混乱してきた訳わかんねー。

でも、まだ私がどうしたのかは謎のままだけどこの状況が幾つか私に答えをくれる。
彼は何らかの不手際で倒れるか何かをしでかした私を看病してくれていて、こうやって手を握ってくれるくらいには心配していてもくれていて、そして私が目覚めた事を、


「…医者にはいつ目覚めるかわからないって宣告された。でも、ぶ――」


少なからず喜んでくれている、筈。

真実は私の常人離れした諸々で明かされる事と相成ったのだが、ここでこの病室の引戸が無機質な音にて来訪者を告げた。
いわゆる、ノック音。


《ナマエママッ!!起きたの!?》

「…あれ、今の廊下から?あーい、アリエッター!マッマは今起きたところだよ入っといでー!」

「…ハァ」


来訪者、アリエッタもまさにイオンと同じくお見舞いに来てくれたんだろう。
廊下に私達の会話が漏れてたのか病室の廊下からノックもそこそこに切羽詰まったような涙声が聞こえてきて、私はベッドに寝かされるような状態だったのであろうに寝惚け以外に然程具合の悪さを感じなかったから、きっと私を心配して駆け付けてくれたのだろう心優しい、更に言うならばママ思いな彼女をさっさと呼び入れる事にした。

ここは個室だった。つまりそれ相応の何らかを私が負ったって推測出来る訳なんだけど、面会謝絶する必要性はその私の体調からして感じられなかったし現に私はイオンと絶賛面会中だ。

イオンは何かを諦めたようにこれまた珍しく若干がっくりしてさっきとはまるで意味が違うのだろうそれはもう深い溜め息をついてたけれど、彼には申し訳ないが私は止められずまた止める気もなかったため、微笑んでいた。久方ぶりの、何の他意や含みもなく零れた、心からの素直な笑みだった。

…イオンには恨めしげに睨まれたけど。


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