僅かなお腹の痛みに苦しさと疑問を抱きつつも、躊躇なく港から投げ出された母の身体は、泳ぐ意思がある筈もなく。元々の病弱な体質に加え、出産後で衰弱しきった身体、しかも軽い上に本人が気付かないとはいえまだれっきとした身重の状態である母体。あっという間に母の意識は途絶え、水も大量に飲み込んだみたいだった。 このままでは彼女が溺れ死ぬのは時間の問題。時間帯が悪かったのか、誰かが救助に来る様子もない。 今の今まで母胎にいた私は、外界で何が起きようとも流石に生まれてないのだからと様子を探るくらいしかしてこなかったし、できなかった。 しかしこのままでは母子共々あの世行き。私だって不老不死はまだ誕生すらしてないから適用されないだろうし、何よりこの女(ひと)を死なせたくない。 数ヶ月の付き合い以前にまだ直接対面もしていないけど、シルヴィアさんの愛情はしかと受け取ったのだ。 バダックさんだって嘆き悲しむだろう。彼も心優しい人だ、妻と子供を慈しんでいたのも知っている。 私は認識されてなかったけど、二人とも私が生まれればきっと――メリル姉さんと双子揃って可愛がってくれたに違いない。 「(まずはここから、出よう)」 私は臍の緒を何とかして凍らせ砕いて切断した。 久しぶりの能力使用、雪女が色濃い私が一番使い慣れてるといえど鈍って上手く冷気を自身に纏いにくかったが気にしている暇はない。 今の私ができるありったけの力を駆使し、いつも通り引き継いだ悪魔の空間移動(好きな場所に狙って移動する)術で、母胎から海へと空間を切り裂く勢いで脱出を図った。 何とか成功した結果海に投げ出されたが、人魚のスキルも同じく引き継いでいるので水中呼吸も問題なくできた。海水も然りで目にしみるなんて事もない。 赤子の状態では当たり前だが限界があるので急いで忍術で実体ある大人の身体へ変化し、母を泳いで運ぶ。 その間に母に治癒術をかけつつ、防御術も使い海水で冷えてきた彼女の身体を覆う。 やればできるもんだと感動する間もなく、次に人魚の姿を取り足を尾ひれに変えて推進力をあげ、港はどう考えても高さがあるから無理だと判断し、上がりやすそうな砂浜へと彼女を抱えながら目指し無我夢中で泳いだ。 片手には硬い何かをしっかりと握ったまま。 生まれたばかりでの全力ダイビングに息も絶え絶えになりながら浜辺へと到着後、母の蘇生を試みる。 一時はどうなる事かと思ったが治癒術に加え昔いざと言う時のため習った人工呼吸等も施したおかげで、何とか一命を取り留めたようで心底安堵した。 母が意識を取り戻したのを確認したのち私は変化を解き赤子の姿に戻り、さも今誕生したばかりですと言わんばかりに彼女のそばに横たわっている。 本当なら変化したまま今すぐ病院に連れていくべきだと思うのだが、いかんせんバチカル周辺の地理がわかる筈もなく(まあ人に訊けば良いわけだが私は一応言語は聞き取れても話すのはまだそう上手くはいかんだろう)、しかもそうすると私が彼女の子供だと伝えるチャンスが失われるに決まってるし、かといって良い方法もイマイチ思い付かず。 よって彼女の横に赤子姿で転がる事にした。 あー、うー等の声をあげて彼女の気を引いてみる。ぐう…流石赤子、言葉にならん。 目覚めたばかりの母の虚ろな瞳がこちらを向く。 「…私生きて、…っ!メリル!?」 「あーよー!(違うよ!)」 すみません姉さんじゃないんです妹の方ですよ気づいてー! 「…、メリルじゃないわこの子…。だってメリルは両目とも新緑だった、だけどこの子は左右で瞳の色が違うわ。身体もメリルとは比べ物にならないくらい小さいし…」 そうなのか私オッドアイも引き継いでたか。まあわかってたけどさ。 つーかそんなに小さいのか、私。 「こんな小さな生まれたばかりの赤ちゃんを一体誰が…でもこの子、何となくメリルに似てる気がする」 「あうあう!(良いセン行ってるよシルヴィアさん!)」 「?…ふふっ私の言葉がわかるのかしらね?ここでこうしていてもしょうがないわ――私も死に損ねた。でも…、この赤ちゃんをこのままにもしておけないわよね。 …病院に、行きましょうか」 ここから私とシルヴィアさん、いや―― お母さん、との生活が始まったのである。 *** あれからバチカルの国立病院に行き、母は入院する事にはなったものの無事に数日後退院。 私も緊急で保育器等にブチ込まれたものの(この時自分が超未熟児だときちんと理解した。因みに器官系統は全て発達し機能していたので正確には低出生体重児と呼ぶそうだ)、既に元気な赤ん坊として活動できていたためある程度大きくなった後普通に親許へ返された。 シルヴィアさんの許、つまりお母さんの所へ。 血中音素(フォニム、と読むらしい。そういえばそんな単語あった気がする)やら何やら調べた結果、母娘だときちんと証明されたからである。 母はこれでメリル姉さんと私二人、双子の娘だったのだと悟ったようだった。 何故お腹にいる筈の子が既に隣にいたのかは気にしない方向らしい。まあ海の中生まれて自分共々助けられたのだろうとのちに母は語ってくれたが。合ってるっちゃ合ってる。 余談だけど、色々と引き継いでいるせいで所々人間としておかしい赤子として私は見られ学者や研究者がもっと細かく検査させてほしいと言ってきたらしいが、しかし母はこれ以上我が子を奪われてなるものかと早々に病院から私を連れて家へと戻ってきたのだった。 そうして母は、まだ赤子で(普通なら)理解できないにも拘わらず私に泣きながら謝ってきたのだ。 「気付かずに死のうとした私を許してほしい、これからは一緒に生きていこう」と。 勿論私はしっかりと理解していたし、この先母が自殺を図る事もないと確信したため、許すも何も寧ろ私とともに再び生きると誓ってくれた彼女には感謝したいくらいだった。 だって、私の中で彼女はもう既に第二の母である。 しかしそれからが大変で、身辺整理や祖母と袂を分かつくらいならまだ良かったものを、またもや事件が起きた。 母が海へ身を投げた事は後から追い付いた祖母がそうだろうと憶測を立てたのだろうが(助けろよ!と思ったがあちらから姿は見えず祖母も老いているからどちらにせよ無理だったろうけど)、助かった事は知らないのだ。自責の念もあるのだろう、その後祖母がオークランド家へ戻る事はなく。 そして肝心の父も帰っては来なかった。 父が仕事から帰ってきて妻が恐らく死んだ事、我が子と王女がすり替えられた事を祖母から聞いたのだろう。メリル姉さんを取り返そうとバチカルの城へ乗り込み、人を殺めてしまったのだとか。 それから行方不明。 彼の妻である母にその報せが届いたのは、母と私が家に帰ってきて数日後の事。 王妃の女官として働いていた頃の、母の元女官仲間が血相を変えて知らせに来てくれたのだ(彼女は幸いな事に、母が死んだかもしれないという情報を知らなかった人間だった)。 母は片方の娘を奪われただけでなく、夫まで居なくなってしまった事実に多大なショックを受けていた。 しかし泣きながらも、私をシングルマザーとして育てると決めたのだろう。 そうして暫く、父が人殺しという噂がこの家付近に知れ渡り居心地の悪くなる中。 母は悲しい思い出に終止符を打つのにも良い機会だと思い切ってこの家を棄て、バチカルから離れ(『マルクト帝国』は敵国であるため)中立である『ダアト』へ引っ越す事にしたのだった。 王女がたとえ自分の娘であっても相手の地位からしてもう会えないのだからと、完全に諦めるためにもそうしたんだと思う。 ――それから早5年。 母胎にいた頃からやけに長く感じていたのは、この世界は地球でいう所の暦と比べ倍の長さがあるため。 “42day,Lorelei,Rem Decan” ND2004。 今日はこの世界での私の誕生日である。 メリル姉さんが生まれた日の1週間後の日付から、5年経った本日。 私は5歳となった。 そしてそんな私は、…何故かローレライ教団教会前で、これからの生活に備え大きな荷物を抱えながら、どうしてこうなったのかと頭を抱えている。 何を隠そう、今から私も神託の盾騎士団の一員となるのだ。 ここから、私のこのオールドラントでの労働という名の死亡フラグ乱立の日々が、火蓋を切って落とされようとしていた。 |