深淵 | ナノ


でももし仮に、僕がナマエの影響を然程受けず秘預言を詠む前までの人生の中預言に疑問や嫌悪感を一度も抱かなかったとしても、自身の死を知った時点で僕の預言に対する考えは歪んでた気がする。だって人の生死、それも自分の早すぎる終わりを、星に決められてて尚且つ抗えないなんて。そんなの勝手だとか理不尽だとか思わない筈がない。
皆が皆そう思うかは別としても(まあ閲覧権のない人間は秘預言を調べた時点で死罪行きだが)僕ならきっと、そう考える。そうして、怒り、挙句の果てに、残りの人生すらどうせ決め付けられてるんだし…もう、と、どうでもよくなるんだろう。ナマエや――アリエッタを、除いて。

それでさ、「こんな預言に汚染された世界なんて消えてしまえばいい」とか、ね。ヴァンのあのレプリカ計画とやらに素直に、加担していたんだろう。あれは極論だろうが何だろうが、預言を憎む人間の目には理想的に映っているんだろうから。現実的にはおよそ見えないと僕は思うけど。
僕はそういう道徳的な点ではナマエの許で育った一人間として、いわゆる普通の思考を持ってると思うし。

僕自身、確かに気に入らない輩の排除を何の抵抗もなくやってきた。それは否定しない。それでも、いくら預言に支配されてるからってオールドラントの住民を丸ごとレプリカと差し替えるなんて正直、狂ってる。

だから当然、さっきのはただの仮定でしかないから僕は絶対に賛成なんかしてやらない。表面上はさておき。
我ながら大した演技力だと自分で自分を称賛したくなる。

だからこそ不自然に見られないようあえて僕はナマエをあの日、今から約2年前。丁度アリエッタが教団に来た当日、ヴァンに紹介したりしたんだから。
彼女を守る為だからって、存在まで隠さんばかりにヴァンの目の前で彼女を扱えば却って目の敵にされる恐れがある。どうやらヤツは僕を、というか導師という教団トップの地位的にかはたまた能力的にか何としてでも自分側に付かせたいみたいだし。単純に僕の一番身近に位置するナマエが邪魔って腹なんだろう。
しかし(悪い意味で)鋭い上よく切れる、ヤツは最悪な事に主席総長。文武両道に秀でてるせいで僕も迂闊に動く事が出来ない。
しかも僕に負けず劣らずの非道ぶり。目的の為には手段を選ばないって、ね。レプリカ計画なんてヤツの残忍性がよく表わされた最たる証拠だよホント、ある意味感心する。

そんなヤツが相手だ。
僕がヘマをすれば――ナマエを危険に晒す。


「(だけどヴァンがザレッホ火山に行くとは…聞いてない)」


それなのに今のこの状況は、ヴァン自身がレプリカ作製に携わってたとはいえ劣化した分(とか言うとナマエにまた何か言われそうだよね、私室を飛び出していった時が良い例だ)をザレッホ火山に廃棄するという最後の仕上げ(これもまた、彼女の不興を買うかな)は研究員の役目であって直接手を下して、処分した訳ではないのに。
ナマエに何かあるとすれば、そこらの雑魚じゃ彼女に歯が立たないだろうからヴァン関連しか考えられないと踏んでいたのに、その可能性が皆無。

一体何が起こっているというのか。
――彼女の身に、一体何が起きたというのか。


「(ナマエがこんなに帰ってこないのも、レプリカ作製時期が…ずれたせい?こんな事なら、)」


「預言を詠んでおけば、良かったのか?」と。
散々預言に対し否定的な意志を主張してきたそんな僕ですら今のこの状況があまりにも不安で、思わず預言に依ってしまいそうだった。

心の声は頼りなさげにしかし確実に、病んだ胸を侵食していくかのように広がっていく。

“もしも。いいや今からでも。一度くらい。ナマエの為だ――”

胸を侵しながら続く預言嫌いな僕からしてみれば忌み事そのもののような内容は、自分でも情けないと思いながらも後悔と、賭けたくはなくとも、本の少しの期待に染まっていくのを止められない。
それは例えるなら、どうしても解せない問題に差し掛かったりして答えのページはすぐ手許にあって簡単に見てしまえるのに、それをひたすらに我慢する。そんなもどかしさ。

だってかの――戦争ですら、無傷で帰ってきていた、あのナマエが。たとえ傷を負ったにしても、掠り傷程度だったナマエが。

たかだか魔物しか居ないザレッホ火山付近に向かっただけなのに。パダミヤ大陸の平原や森の魔物ごとき、ナマエの敵ではない筈だ。例えばアリエッタ、人間が使役する魔物に比べれば統制が取れてる訳じゃなし。

人間、盗賊もいるかもしれないが、そもそも戦いのエキスパートである軍人とは比べ物にならない。ましてやナマエは僕の、子的立場の贔屓目を抜きにしても優秀だ。
彼女は導師守護役の長でありしかも謡手、いわばヴァンという主席総長直属の部下である六神将の中間階級とほぼ同等。彼女とは面識がないかもしれないがその地位は、あのヴァンの右腕、奏手である六神将が一人、『リグレット』のすぐ一つ下の階級に当たるのだから。
本当はもっと上でもいけそうな気もするんだけど、ナマエは何ゆえか妙に上に行きたがらないからとりあえずその地位に納まり返っているみたいだった。

魔物の話に戻るけど、そんなナマエは彼等を従えるアリエッタと同じ。
よって魔物と意思疏通を図れるから任務完遂が基本のナマエ(だからこそその昔僕の世話係に任命されたんだろうし)からして魔物退治の任務の場合は致し方ないとしても、それ以外で運悪く魔物に遭遇したとしても余程狂暴でもない限り交渉したりして穏便に済ませていたのを、他人に知られるのは控えたいからと(特に得体の知れないヴァンとか、まあ僕がそう促したんだけど)僕やアリエッタ(と、アッシュ)の前でしか披露してなかったとはいえ、僕はよく知っていた。
でもまあ、その線で行くとレプリカの手前だからって魔物と平和的な解決法は取れなかったと考えるのが妥当かな。あ、でもどうだろう。奴らは僕と忌々しくも同じカオだ(だってレプリカだし)。ナマエは僕のこの顔に対しよくカワユイカワユイ連呼してたから(…ていうか男に言う言葉じゃないよね、ソレ)靡きそうでは……ある。ナマエを信じてない訳ではないけれど、彼女はどうやら見た目に弱いらしい節があるのをハッキリ言って、僕は否定しかねる。
…癪だけど、アッシュも整っている方である。

魔物が親であり兄弟姉妹であり友達でもあるアリエッタといると魔物への警戒が緩みそうになるけど、それでも魔物を甘く見てはいけない事は僕だって普通に理解している。それでも極悪なのや相当質の悪い奴でもない限りナマエには敵わないだろう。
ナマエの譜術(しかもダアト式譜術まで習得済み)や体術がずば抜けてるってのもあるけど彼女は元音律士、戦わずして魔物を眠らせ戦闘回避とかはたまた幻術?なんて聞いた事も無いような、しかし相手を惑わせる効果があるとか何とか(実際モースの目は晦まされていた)――何にせよ、彼女は色々な戦闘手段を持つというか、業がとかく多い。多分、挙げ始めたらキリがない。

また、ナマエはその体術に見合うかの如く足だって速い。それを長く保つだけの体力もある。
確かに教団からザレッホ火山まではかなりの距離があるけれど、普段研究室に籠りっぱなしの研究員と現役の軍人であるナマエの脚力の差なんて火を見るより明らか…、

と言いたいところだけど、実をいうと教団の常日頃まず人の立ち入る事のない瀬戸口というか、研究員達はザレッホ火山側の裏口付近の譜陣を使って火口付近に飛ぶと僕はヴァンから聞いていた。ま、それはそうだよね、ダアトから火山までなんて辻馬車とか利用するならまだしも徒歩で移動だなんて距離からして馬鹿げてる。一体何日間かかるって話だ。
因みに一応その譜陣は隠されてはいるもののそもそもその裏口自体寂れて久しいから、上層部や古株くらいにしか知られておらずあまり意味を成してはいなかった。ついでに言っておくと、少しでも教団員の目に触れないよう教団内ではなく裏口を出た先にひっそりと展開されてたりする。

つまる所皮肉にも、ナマエの素早さが仇になったって訳だ。何故なら僕が裏口の譜陣の存在をナマエに伝える間もなく、彼女は私室を飛び出してしまっていたから。

せめて昔ナマエに教えた、火山内の遺跡に教団から直通の『旧図書室』に、向かってる事を祈って、いやあそこの譜陣から飛ぶといきなり内部でしかも造りもよりにもよって――教団の機密事項まで絡んでるせいで複雑だから、あまり良い手とはいえないか。
だからこそ、非力な研究員達は旧図書室の譜陣を選ばなかったんだろうし。

一応僕もつい自分が病人である事も忘れ咄嗟に廊下に躍り出はしたけど既にナマエは私室前の廊下に唯一繋がる譜陣に向かい扉を通過したのか、細いその通路には誰も居なかった。ナマエの、その身にいつも漂わせている薔薇の香気だけをその場に残して。
(昔、その香りが薔薇だと気付ける程の年齢になった頃僕は香水?とナマエに訊いた事があったけど、「まあそんなトコよー」と曖昧な返事が返ってきただけだった)。

しかも僕は僕でムリに動いたせいか、普段自分が身に付けてる法衣と違った顔を覆い隠す作りの教団服を着ていたとはいえ口許だけは出ていたからこそ即座に出来たのだけれど――そこを押さえるしかなかった。
そうして蓋に使われた自身の片手にもその花の象徴とも言える色が咲き誇っていて(正直咲くなんて可愛いもんじゃない量だったが)。折角の薔薇は鉄にかき消されてしまった。

時が、迫っているのに。

どうせ病気と件のレプリカ作製案も、半月前僕のそれをどうにかしようとしたナマエを追い詰めない為の時間稼ぎだったとはいえバラしたんだ、だからこそコトの次第を知ってしまったナマエとはなるべく残りの時間を――一緒に。今更遠ざけたって無意味なのに。
今もこの先も、恐らくアリエッタにだって僕は会えないのだから(そう仕向けたのは他ならぬ自分だが)せめて、残り僅かを。だからレプリカ作製日の朝っぱらから、何の抵抗もなく私室に通しすらしたのに。

でもそうやってアリエッタを理由に持ち出すのはナマエには悪い事、わかってる。でもこれは仕方ないんだ。
ナマエと違って、アリエッタは強くはなってもそれは腕前の方であってまだ心は、脆いから。多分、泣くだけでは済まない。特に、アリエッタは僕の命を自分のそれより上に見る傾向がある。これはナマエとアリエッタをヒトとして育てている内に、段々わかってきていた事実。元より、彼女が初めて人間らしい感情を向けた相手は、僕だった。しかも、良い方向。
そんなアリエッタの精神に僕の死は、重い。

…、ナマエが帰ってこないの、案外僕の打算の報いだったりして。

不安はどうやらラクな思考に逃げたがるらしい。


(2/4)
[back] [top]
- 36/122 -
×