どこまで答えて大丈夫だろうか。 言葉を選ばないと、私だけでなく母まで巻き込む問題なんだ、失敗では済まされない。 まあ私を何だかんだで大事に(多分)してきてくれたイオン相手だから、言うべき範囲を誤ったとしても大丈夫な気はする。今更何を伝えても受け入れてくれる気だってする。…だけど。 嗚呼そうだ、そのカオもしかして…とか言われないから十中八九まだなんだろうけど、一応訊いてみよう。 「あー、あのさイオン。質問で返すようで悪いんだけど、この顔に見覚えってあったり…する?」 「……ないよ。ナマエのお母さんにそっくりだと思っただけ」 「…そ」 やっぱり、ナタリア姫に会った事はまだないらしい。嘘は吐いてないと、勘というより長年一緒にいる私から見てそう判断できる。 疑いたくはないけど慎重にならざるを得ないから許してほしい、ごめんイオン。内心呟く。 けれども導師という立場上それも時間の問題かもしれない。 原作では確実に会う事になってはいた、だけどそれは今のイオンじゃなくて――、 …今、の? ふと思い出した原作知識に、イオンに私のこの世界で私的には一番隠さなきゃいけないし隠し通したかった厳秘に付すべき生い立ち故の真の容姿がバレた時のように、いやそれ以上かもしれない、また。 背筋が凍り付いた。 …どうしていつどこで、イオンは“レプリカ”と入れ替わった? そして――そうせざるを得なかった理由は。 あ、イヤだ。考えたく、ない。 気付いてしまった、いや思い出しただけ? 毎日が目の回る程忙しくてでも何だかんだで楽しい事もあった、考える暇がなかったくらいには。だから今なのか。 今は私の問題だけど、つられて思い出してしまった内容に、そうして生まれてしまった不安は急速に加速していくもの。 冷静に答えなきゃいけないのに、思考が上手く纏まらない。 いや、彼の事を優先したい。一言でもいい、怒られても。音素の筵だって。 気付いたのなら一刻も早く訊くべきなんだ訊きたい訊かなきゃ。 後悔先に立たずなんて、今まで散々身を以て知ってるじゃんか。 (この場でイオンと対面してる現実が最たる結果とも言えるだろうよ)。 私より、彼の話題へと腰を折って誤魔化すのは、酷く狡くて卑怯だとわかってはいる。 文句の一言二言覚悟して、口火を切ろうとした。 …けれど。 「…ナマエ、顔色悪いよ。…そこまで、僕には答えにくい事?」 「…、預言がらみだからつい……って、待ってよ…」 この時に至ってしまうまで、そしてこの瞬間私は今の人生においていわゆる、“母親失格”だったのだと思う。しかも、最低最悪級。 その飛び抜け具合は、ある意味ラスボスと肩を並べられるのではないだろうか。 「イオンも…いや、あんたの方が……顔色、悪い」 「!!」 私を心配する彼は、街中で遭遇した時には気付かなかったしさっきまで私に連続変化させて楽しむ(?)程には(しかも未だに私は姫似のまま)元気だった筈。 なのに何で。何なの、何その顔色。 私と質の違う顔色の悪さ。それは―― “病人”特有の、 「…違う、ナマエの勘違いだよ、全然違う。それより、」 珍しく狼狽えるイオンに、嫌な現実を見てしまった気がした。 「ちょ…何が、何が違うって言うのイオン…私――顔色のコトしか、言ってない」 「!な、んでもない、僕は何ともないんだよ…!そ、んな事より、ナマエの、話…うっ、 …ゴホッ……」 私の言葉が発端になったのか、泳がせていた目を見開きそれこそ長く共に生きてきた私でさえ見た事もないような恐いカオをしたイオンは、その上激情を爆発させたんだと思う。そしてそれは、彼の身体にはとてつもなく悪い、負担のかかる行為だった。 ちょっと何でそんないきなり怒鳴るの気に障ったなら謝るから、等と宥める暇はなかった。 ぱたた、とイオンの法衣と床に舞った――私が本能的に求めてやまない、そして彼の本来出てきてはいけない場所…口の端から、滴り落ちた――鮮血に、私は長年治癒術を扱ってきた者としての直感を激しく呪いたくなった。 認めたくなんかなくて、イオンの魂の波動をただの感知モードからある状態に切り替え、よくよく見極めてみる。…波動を感知するなんて反則技を持つ悪魔だからこそ、成せる所業。 名前顔の時は色んな事態に備え…まあ吸血衝動が主だけど、両眼とも予め深紅にしていた。けれども今は姫似のカオつまりオッドアイ。眼球に力が集中するから吸血鬼の血を引く私は色が染まり…両方とも同じ血色に統一されただろうけど、そんな事気にしてられない。幻覚でオッドアイのままに見せかける事は、吸血衝動だと体力も同時に費やす事になるから唯一の欠点的に誤魔化せないんだけど、今回の注視の場合は別に特に問題もなく出来る、だけどそんな余裕はなかった。 気持ちが追い付いてってくれなかったからだ。 私はずっと滅多な事では、“その”行為をしないで今まで生きてきた。 普段からその目で周りを視ていたら、わかってしまうから。 彼の魂は、身体から僅かに離れつつあった。 ――長くない、人間の証拠だった。 悪魔にゆかりのある者には、わかってしまうのだ、その者の寿命が。 だって魂を感知するくらいだものありえない能力でもなかろうよ、第一今更自身の身に起こりすぎた事象からしてありえないなんて、言葉どころか気持ちあるいは、疑問すら私にはもう生まれるハズもない。それくらいにはマヒしてしまった。 ただ、流石に自分自身の身体・流された血なのだからどういった仕組みかは理解せざるを得なかった。…それが、こう。 “悪魔は魂が好物、故に死にかけているまたは死期の近い生き物に過剰反応する。何故なら、身体から魂が死出の旅に向かうため抜け始めるから。有り体に言えばご馳走の気配を嗅ぎ付けているため” そうして、そんな私の中での常識を頭のどこか遠くでぼんやり浮かべながら私は、イオンへ向け治癒術を展開しようとした。 私の話題から離れられて良かったなんて一瞬もよぎらないくらい、私は本気だった。 なのに。 「…っやめろ!!」 「!…くっ!」 気付いたら、目も眩むような衝撃波が。 イオンの、ダアト式譜術が――目前に迫っていて、私は術を中断せざるを得なかった。 冗談で音素を飛ばされたコトは幾度となくあった。だけど…イオンの最も得意とする彼が導師たる所以である実力その物を、明確な攻撃の意志を孕む譜術を差し向けられたのは。 ――初めて、だった。 私達が暴れかけたせいで、私室に置かれた恐らく大事であろう書類がバサバサと宙を舞う中、私はそれらには全く目も向けず寸暇もおかないまま叫んだ。 長年生きてこようが、情けなくも痛いもんは痛くそれどころではなかった。だって、私の胸の奥底まで一気に突き刺しやがった何か…ハッキリ言うなら怯えは経験的に慣れすぎてて微塵も湧かなかったけど、やっぱり衝撃だったしそして、ただ――悲しかった。 そう、そんな感情を誤魔化し殺すような勢いで。 「ちょっとイオン!!あんた何考えて…!、」 「……ごめん。気が変わったから、今日はもう休むよ。話はいつか、ナマエが話しても良いって思える時が来たらで、いい。顔も…戻していいよ。悪かった。 お休み」 さっきまでのやり取りは何だったのというくらい、あっさり私に背を向け私室の奥に引っ込んでしまったイオン。 だけど、今までの私達の人生においてきっとこれも…初めての、私へ対する拒絶だった。 今追いかけても、きっと今度こそダアト式譜術で暴れられて、それこそ彼の寿命を縮めてしまうかもしれない。 明日になったら…イオンが落ち着く頃、いの一番に駆け付けよう。一晩寝れば大分気持ちに余裕が出てくれる筈。視たから、まだ時間は、ある。 そういえば姫似のままだったっけ、とぐちゃぐちゃな感情から緩慢な術運びでいつもの顔に戻す。 だけどせめて少しでも彼の負担を減らすかと、荒れかけた部屋と床に残った――鮮血を、綺麗にしようとしたけど私は抑えきれなかった。 …声だけは、奥にいるイオンに聞こえてしまうから流石に我慢したけど。 冗談抜きで胃だとか心の臓だとかとかく内臓という内臓全体を得体の知れない何かにむずと握り潰される感じがしたし、身体は勝手に前屈みになって私は何の抵抗もないままその場に膝から崩れ落ちた。 あまりにも急に角度を変えられたせいで、頭上に鎮座してる導師守護役用の頭飾りがずり落ちそうになったし、打ち付けた両の膝頭も鈍く痛んだ。 それでも膝を着く瞬間の音は殺した辺り、変な見栄が働いてるらしい自分が滑稽だった。そしてまた、気配や音を絶し慣れた証拠でもあったのだけれど、今はそんな自分の一般人からかけ離れた異質さの何たるかとかはどうでもよかった。 誰も見てないし、とこちらは深く考えず感情に流されるままだったから一掬のなんてもんじゃない、私の目から次から次へと溢れ出る――涙は、顔を両手で覆ってはみたものの全てを受け止めきられる筈もなく指の隙間という隙間から零れ落ちて、雪の女としての証拠…液体にはならず固体の、氷あられのままに床へと。 鮮血の現実まで転がっていった。 この深淵世界この身体そしてこのカオに生まれてから――エベノス様には申し訳のなかった事だけど、彼の崩御でさえ私には近所の優しいおじいさんが亡くなってしまったくらいの感覚、悲しさだったからここまで感情は突き動かされなかった――初めての、さながら声無き慟哭だった。 そして、私から出たモンだけど、きらきら光って浮氷さながらに鮮血と混ざり合うソレは真紅によく映えていて、現状と酷く不釣り合いだった。 28名の導師守護役や彼と純粋に親しかった人間、そして残り二人の導師守護役である私と…アリエッタ。 それらの人達が、私とアリエッタが、イオンと暫くの面会禁止を言い渡されたのは――翌朝の事だった。 |