深淵 | ナノ


出身地ははっきりしたが成る程、そのせいなのか王女殿下を見れるなんてと熱弁を振るうナマエは、いつになく食い付きが凄まじいように思えた。
…いつも、ヴァンのヴァの字が出るだけでどういうわけか挙動不審になるのに、それがない程には。

あいつも、国民だけでなくダアトに長年住んでいる彼女の耳に入るくらい活躍しているのだと、ふと誇らしくなった。
今の俺とは関わりはなくなってしまったが、きっと幼い頃の“約束”を果たそうとしてくれてるんだろう。勿論約束云々以前にも、あいつが国民を愛してるからこそだろうが。

公務といえば導師がらみかそれ以前の事を指すのだろうが(話で聞いたが5歳で入団とか…早すぎねぇか?)、残念ながら機会に恵まれなかったんだろう。
正直、世話になりっぱなしというのも俺としては納得のいくところではない。たまには恩を返すべきだ。

俺は気がついたら、口に出していた。


「……そこまで言うのなら連れてってやる。ヴァンには俺から言っておくさ」

「…え、まじ?アッシュやっさしー!どこぞのおヒゲには似ず可愛く育って…ハッ!じゃないこれがデレか!違うか!
まあいいや、よっしイオンにお願いして次のお休みその日にずらしてもーらおっと!

えへへ、ありがとアッシュ」

「…ああ」


よくわからない単語が飛んできたが(いや、何となく誰を指してるのかは…まあ俺もその部位には同感だ)、よっぽど嬉しかったのか丁度昼食が終わったので鼻歌混じりで食器を片付け始めたナマエ。

ああして喜ばれるのも悪くないもんだな。
俺らしくない、とあいつは驚くのかもしれないが、俺は口許が緩むのを抑えきれなかった。

ヴァンは他の人間を連れていくと言えばあまり良いカオはしないだろうが丁度いい、嫌がらせだ。奴が俺にした事を考えれば、このくらいわけないってもんだろうよ。
まあ、あくまでナマエのためであって、ヴァンへの仕打ちは後付けだがな。

さて、何て言いくるめてやるか。あの食わせ者がどんな顔をするか見物だな。

俺はナマエを手伝おうと皿を片手に立ち上がり、そんな悪巧みをしながら流し台の前に立つ彼女に近付いたのだった。

――だが、そんな邪な事を考えてた俺はこの時、ナマエの喜ぶ表情が料理の話で覗かせたモノと、質の違う笑い方だった事に気付かなかった。
あ、また、と思わなかったのがその証拠。

…あるいは、俺より長く一緒にいる導師ならわかったのかもしれなかったのだが。




それから、約束の休日が来て。

ナタリアと、俺と瓜二つな――レプリカルークが、本当はあいつと俺の秘密の遊び場だった所で仲良く…とは言ってもナタリアが一方的に話してるようだが、そんな場面を遠目で俺達二人、つまり俺とナマエは建物の影からしゃがみつつ眺めていた。

俺達の格好だが、神託の盾の制服だとダアトや教団以外では微妙に目立つので、お互い私服だった。

ナマエが纏っていたのはレースが沢山あしらわれたワンピースで、何でも、彼女の母親の趣味らしい。時折仕送りとして贈られてくるのだそうだ(そして乾いた笑いを溢す彼女)。…似合ってるとは…思わなくもない。言わないが。
普段、休日の際彼女の私服姿を目にする事もあったが、やはり全身ピンクの導師守護役姿に見慣れてるせいか(とは言っても彼女はその役職に就く前からその色まみれだったが)俺は何となく落ち着かない気がした。…何故かは自分でもよくわからないのだが。

しかしそれはナマエも同じだったのか、いやむしろ彼女の方が自身の感情を理解していたのだろう「わほっアッシュの私服姿いつ見てもカッケー!」とハッキリ告げてきた。
…俺は彼女から顔を逸らし(その時は場所はまだダアトだったので)「さっさと行くぞ」、としか返せなかった。頬に集まる何かに、自分で自分がよくわからなくなった。…だから何でだ。

…それはさておき、レプリカをナマエに見せる結果になってしまったが、俺が離れない限りいずれ知れる事実。気にしたところで意味はないだろうよ。
それに、この距離ならそんなに顔付きをハッキリ認識できやしないしな。ナタリアもぼやけて見えてるだろうからそこは申し訳ないと思うが、これは仕方のない事。あまり近付くわけにもいかないからな。
ヴァンは内心どう思うかは知らないが、俺の知ったこっちゃねぇ。

そのヴァンはといえば、一応気を遣ったか何なのか、待ち合わせ場所で待ってるから気が済んだら来いと席を外していて、この場にはいなかった。
因みにこのバチカル行きにナマエも連れていく話を伝えた際、苦虫を噛み潰したような顔はすれども異は唱えなかった。
どうせ俺の機嫌を取りたいとかそんなんだろうから、はっ…ざまあねぇな。


《……!……?》

《……》

「(あいつの声も聞き取れない…か。
…以前にも一度来て虚しくなったが、あの時はまだレプリカは作られたばかりでボケッとしてたのはわかる、だとしても今では一応人間らしくなってる筈だろーが…畜生、少しは楽しそうにしやがれってんだ!

ナタリアはお前を見てるんだぞ…!)」

「ナタリア姫、あんなに頬染めちゃって…だけどえっと、ルーク様?にプロポーズの内容を思い出してほしいって一生懸命お願いしてるのに対する彼ってばつっけんどんだね、何だか見てらんないよ。
や、バッチリ見ちゃってるけども私達、現在進行形で」

「…!おま、」


隣にはナマエもいるのだからと殺気をどうにか抑えイライラしながら遠巻きに見ていた俺は、ここからは聞こえないとはいえ覗き見してる事に変わりはないからだろう、心なしかいつもより小声で呟く彼女の、その内容に思わずギョッとした。

ナタリアはルーク…昔の俺との“約束”の話をしてたらしいが、その話を聞かれてしまった事より(とは言っても俺が言った事なのだとレプリカの件がバレない限り知られるわけはないのだが)、この距離で言葉を、表情を認識したナマエに驚きを隠せなかったからである。
二人に向けていた視線を顔ごとナマエに向け(首がボキッと嫌な音を立てた)、隣にしゃがみこむ彼女の横顔を凝視してしまった。

そんな俺を余所に、ナマエはトドメの一言を放った。


「…にしても、彼の顔立ちも声色も何かアッシュ似だと思わなくもないけど――全然違うわな」


俺に話しかけるつもりでもなかったのだろう最後まで忍び音のままそう締め括ったナマエは「…で、アッシュ君はさっきから何じろじろ見てくれちゃってんのナマエさんも羞恥心くらいあるんですよー」と、とっくに俺の視線に気付いてたらしく、ふいっと俺がいる側とは反対の方向に顔を背けたのだった。

…そういえば導師が「ナマエは規格外なトコロが多すぎるんだよホント謎過ぎ」と彼女に愚痴っていたのを見た事がある(そして遠い目になるナマエ)。この異常な五感もそれに含まれてるんだろうか。


「…よしっ満足満足!アッシュは?」

「俺ももういい…そろそろヴァンの所に戻るか」

「りょーかい。…じゃあさようならーナタリア姫とルーク様ー…!特にルーク様、あんま姫を困らせちゃいかんよー」

「…行くぞ」


気になる事はありすぎる。しかしここで突っ込むのは覗き見という立場上あまり宜しくないし、俺も元来静かに話すのは得意ではない。

一人無理矢理自分を納得させた俺は、二人に聞こえない程度に手向けるかの如く呼び掛けるナマエに、目を伏せた。

――本来、あそこに立つのは俺だったのに。

だけど、そう一瞬悔しく思えども。

あいつらに背を向け歩き出した俺に、普段の癖なのか足音を立てず気配もなく移動するナマエが、ちゃんと付いてきているか確認するため振り返る。

まだ恥ずかしかったのか彼女は、顔を目一杯下に向けつつ(少し悪い事をした気になった)一応は俺に続いていたので、俺は再び前に向き直った。

――そうだ。もしあそこに、今でも俺がいたのなら。

俺と今現在共に歩む彼女、ナマエとは一生巡り逢わなかった事になる。

もしもなんて不確定な言葉、預言に縛られたこんな世界じゃ大した意味も持たないし正直俺は嫌悪感しか浮かばないが、だけど今。
俺に色んな事を教えてきてくれたナマエが、もしもいなかったらと頭をよぎった時、それは嫌だと即座に思ってしまったのも――紛れもない事実だった。


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