復活 | ナノ


影がかかると気付くだろうから、あまり上体を倒さず彼女の手許を覗き込む。今は少し考え事をしているのか、手は止まりかけていた。


「(…何、これ)」


…はっきり言って、内容がまるで理解できない代物が書かれていた。科学の図解を更に複雑怪奇にした様な絵、とでも言えばいいのか。言葉も日本語ではなく、かといって英語でもない。見た事もない国の文字だった。
…この学校でそんな内容は学ばないハズだ。そもそも、日本の中学生が勉強する物ではないと思う。

隣には一応理科の教科書が広げられている。
遊んでいるわけではないのだろう。考えていても埒が明かない、僕は苗字に訊ねる事にした。

顔をぐっと近付けて質問する。目は驚きに見開かれ僕の顔に釘付けになっているようだった。
自分で言う事ではないけれど、僕のこの顔につられてくる女共は少なくなかった。

彼女の反応からして答えるかと踏んだが、残念ながら思いの外ガードが固かったようだ。顔だけで寄ってくる女よりは好感が持てる気がする。

僕を見つめる苗字、しかし途中からその双眼とはなぜか視線が交わらなくなった。顔じゃないならどこを見て…、

…首?

まさか。…欲情してるのか?一般的にそういう事はまだ早いのではないだろうか。

顔も照れるというよりは、何と言うか…ご馳走を目の前にし必死にそれを我慢する子供みたいだった。

頬も赤味が差すどころか、何だか顔色が悪いようにも見える。でも僕に対しての嫌悪感とも違う気がする。嫌そうな顔はしてないし。…やたら目が輝いてる気はするけど。

具合が悪いのだろうか?先程まで書類を運んだり校舎内を飛び回っていたりしてたはずだけど。…しかし屋上での事もある。やはり何か患っているのだろうか。

こんな反応を返されたのは初めてだった。…ある意味新鮮ではある。

そして、聞こえた――苗字が、喉を鳴らす音。

ワオ、それじゃ本当に僕が食料みたいじゃないか。一体どんな意味で食べたいんだろうね?

そこで、先程から気になっていた苗字の口許をよく見るため彼女の顎を捉えた。
恋人同士でよくやる体勢かもしれないと頭の隅で考える。

だけど――触れた瞬間、またもや驚かせられる羽目になった。


「!(っ…冷た、)」


彼女の肌は死体よりも血の通わないような温度だったから。指先が凍える。何だ、この異常な冷たさは。

しかし今は先に訊こうとしていた、開閉を繰り返すその口から垣間見える白い牙について口を開いた。

“ヴァンパイアみたいだ”

彼女は僕の台詞に対し、小さな反応を示した。でも、はっきり言って妙だと思った。一体何に対して驚く必要がある?


「(…そういえば、)」


何となく以前どこかでこんな事があった気がして記憶を振り返りたいところだったが、今はそれよりもまだ彼女に訊きたい事が色々とあった。

しかし、ここで邪魔が入った。

何だか外がうるさい上に揺れる校舎。
苗字もとっくに気付いていたようだが、それからがあっという間だった。

部屋に飛び込んできた草壁と風紀委員達。別に甘い雰囲気とかそんなモノではないが、邪魔された事には変わりないので草壁を代表として沈めておいた。

少しでも僕の印象が残ればいいなんて自分らしくないと思いながらも、その冷たい唇と顎から色を感じさせるように手を離してみる。
…赤くなるより、遠い目になってたけど。…。

彼らに話を訊きこの学校で暴れている得体の知れない犯人を咬み殺すため、苗字に言外にまだこの部屋にいるよう伝えてから僕は部屋を出た。
勿論飛ばした武器の回収も忘れずに。




部屋を出る時に見えた彼女の両目が、(死んだような目付きながらも)紅い光を放っていたように感じたのは、果たして僕の見間違いだったのだろうか。


***


グラウンドがどこの爆破テロかと言いたくなる惨状でおまけに犯人も見つからず仕舞い。
それに関わったらしい教師はわかったが、肝心の根津とかいう奴は学歴詐称が発覚したので当たり前だが解任だ。新しい教師の手配もしなければならない。
全く、面倒事ばかりじゃないか。

他の風紀委員達にグラウンド工事の業者手配は任せ、僕は不完全燃焼のまま苗字の勉強する執務室へと戻ってきた。
部屋を出てからかなりの時間が経過してしまっている。

頑張りすぎたのか、彼女は静かに寝息を立てていた。退室時に紅く感じられた両目は、今は閉じられている。
もしかしたら夜遅くまで勉強しているのかもしれない。…その割にはあまり振るってないみたいだが。

だけど、今の僕はグラウンドでの事件もあり苛立っていた。勉強したいと言ったのは苗字だし起こしても問題ないだろうと、彼女の頭目掛けて自身の武器を振り落ろした。


「…っ!」

「ワオ」


その時、苗字の目が限界まで開いたかと思うが早いか、気付いたら僕の仕事机の近くまで回避していた彼女の姿があった。

瞳は普段の色だ。…考えすぎか。

まさか寝ている時まで隙がないとは。
――素晴らしいね、君には恐れ入ったよ。


「!?ひっ雲雀さんん!?寝込みを襲うなんて卑怯じゃ…。
…、もしかして私、寝てました?」

「今自分でそう言ったじゃないか」

「ギャアア寝顔見られたァ!ってそうじゃない、寝ちゃってすみません!つい一週間程起きっぱなしだったもんですから…!」

「…は?」

「って何言ってんだ私!雲雀さん今の発言はなかった事に!」

「…そんなに寝てないのによく僕の攻撃をかわせたね。そもそも眠っている時まで神経を研ぎ澄ませてるなんて…君って殺し屋か何かかい?」

「んなわけあるか…ッ!…あー…るわけないじゃないですか!」


…驚いた。そこまで起きていられる人間がこの世にいるなんて。この子に風紀の仕事を手伝わせればはかどるかな、なんて考えてしまった。
戦闘も問題ないと思う。…少なくとも、敵の攻撃を回避する、と言う点に於ては。

どんな反応を返すか面白そうだ、訊いてみようか。


「ねえ、それだけ寝ないで平気なら風紀の仕事手伝ってよ」

「!?なっ何言ってるんですか、私、女ですよ?
それに…恥ずかしながら私、成績悪いんです。勉強しないといけませんから」

「うん、知ってる。そこの机にも答案用紙が置いてあるしね。酷い点数だ」

「ヒギャーッ!」

「…まあ、手伝えってのは冗談だけどね」


半分本気だけど。その言葉は口にせず、長机から答案用紙を引ったくり鞄に隠す苗字を見ながら(…また手の動きが認識できなかった)、そういえば彼女の成績は地を這う程の物だった事を思い出した。
…それにしては随分難解な内容を書き連ねていた気もするが。

ふと時計を見る。時間も大分経っているし先程の事件の事もある。そろそろ潮時か。


「苗字、今日はもう戻っていいよ。他にやるべき仕事ができたからね」

「ホントですか!?…あ、いや、ありがとうございます。じゃあ今勉強道具片付けますね」



「――待って。…そこのノートの2ページ、貰ってもいいかい」


僕が退出を許可した途端笑顔になった苗字。あからさまなその態度に少しムカついたが、異様なその難解図面が彼女の謎を解く何かに繋がるような気がして、気付いたらそう声をかけていた。


「へ?ここのページを…ですか?…あー、わかりました。じゃあ鋏貸して頂けませんか?」

「その机に乗ってるから使っていいよ」


流石にノートごと取り上げはしない。これ以上彼女の成績が地に堕ちるのは僕の本意ではないからね。並中生があまりにも馬鹿だというのも気に食わないし。

仕事机のペン立てに入れてある鋏を取り、丁寧に切っていく苗字。見開きの二枚分を切り終えたわけだが、そういった何気ない動作も素早かった。


「はいどうぞ。じゃあ片付けますね」

「うん」


そしてあっという間に勉強道具を片付けた苗字は、これまた素早く部屋を去っていった。

彼女から貰った二枚の紙を見下ろす。相変わらず何が書かれているのか意味不明だが、一応その手の専門家に解読させてみるか。

…今日は思いがけないところで邪魔が入ったけれど、次はこうはいかないよ。

暫くの間部屋には――心なしかグラウンドに向かう以前よりも強まってるような――甘い香りが残っていたが、換気する気にはならなかった。




それにしても…冷房を付けてたとはいえ、やけに部屋全体がひんやりしているように感じるのは、…僕の気のせいだろうか。


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