つきゆきはなひめおんかえす、 | ナノ


皇族にして最後の姫、他に女あれど気高き血を継ぐそれは生き残りが自分一人しかいないからと云う理由でこの世界、いや世界と呼ぶに値すらしない狭く限られた檻の中でたった一人囚われ生かされ続ける自分の唯一の楽しみにして許された手慰みは、“下”の世界を視る事だった。

そしてもう一つ。
自分に許されたモノは、永遠。

自分には必要のない、出来る事なら誰かにそっくりそのままあげてしまいたい、不老不死と云う名の永劫なる呪縛。自身が縛られる場所が場所なだけに毎日が同じ事の繰返しで生きる意味をろくに見出だせもせず、する事と云えば下界に思いを馳せ、ひたすらに恋う事のみ。無意味な時だけが虚しく流れる、ただの地獄。

自分は下界に行ってみたい。友が欲しい。一人は…寂しい。
そしてもしも叶うのならば、下界に住む“者”達と同じように――老いを、死を、知りたい。

こんな角材で編まれただけの冷たくつまらない文字通りの牢獄などと違って遙かに暖かみがあって力強く美しい下界を、自由に羽ばたきたい。自分には空を泳ぐ術(すべ)はあるけれども、こんな小庭程度しかない座敷牢で飛んだところで格子に用捨なく阻まれるだけ。籠と云う名の檻に空を奪われた鳥の気合とはこの事なのか。
このままではいつか気が狂う。そうなる前に死んでしまいたいのに、自分にはそれすらも許されない。

死ぬ事さえ出来れば。
こんな苦しみを味わわなくて、済んだ。

終焉が欲しい。しかし数多重、どれだけの時をつぎ込もうともここでは手に入る事はない。無い物ねだり。そして白日夢。この身はここにいる限り久遠の生を当て所なく歩む外ない。
…だからこそいたずらに時を遊ばせるのではなくせめて、全力を賭して馳せ続けていきたいのに。よしや、その先に待つのが死でなくとも…それどころか、死を迎える事自体困難を極めているこの身の事、死が可愛く見えてしまう程の辛い某かですらあるのかもしれない。それでもじっとしているよりは余程いい。その方が自分は後悔しない。絶対に――そう、暁に何が待ち受けていようとも。
終わりに向かって駆け抜けてゆく。それこそがこのような身柄であろうとも下界の者達にせめて形だけでも準える事の、追う事の出来る下界の者――人としての生いわば、『人』生と呼ぶに相応しい。虚ろなる残酷をも悉くに埋めてくれよう。終わりも実もない不滅はあまりに苦痛。それはもはや人生ですらないのだろう。…自分は真実人では、ないけれど。

下界でならば、殉ずる事すら夢ではないかもしれない。もしもももしもではなくなるかもしれない。
こことは何もかもが、違うと云う。

この身空。自分はもう、五千年も同じ姿。そしてそれは、まだまだほんの序の口でしかない。ともすると三世このまま。
自分はここでは、まだ子供に当たる。先は長い。そもそも終焉もない。

五千年も辛抱したのだ。
…そして五千年もかけて、力も蓄えた。

時は満ちた、満たした。今動かずしてなんとする?




――自分、妾(わらわ)ことナマエ。
羨望の対象を下と称したのは偏に妾が天上の生まれゆえ。下界を静かに照らす場所、妾の牢獄はここ月の都。下界からは一体どのように見えておるのか。
今から考えただけでも心が踊る。この世界は憎いけれども、下界から眺めるならば苦ではない。心が結ぼれる訳でもない。妾は淡く儚いその姿まで厭うてはおらぬ。…嫌いになど、なれはせぬ。垣間見ておった下界の海とやらに映るここは、とても美しかったから。
下界でならば月をそのように眺める事は言うも疎か、全てがきっと、楽しい。

数の少ない、おなごは更に少ない月の民。下界の者とは少々勝手が異なる所謂、仙人。そして妾は皇族の中で唯一の皇女。つまり仙女。
みな妾の事を月の姫、あるいはナマエ姫と呼ぶ。
しかしその呼び方も今日で終いじゃ。妾は今から、“ただのナマエ”になる。

ちいと仰山に語ってしもうたが結句、齢五千を迎えた今、妾の望むものは自由と死。死にたくはあるが、まずは自由を堪能してからじゃ。

下界、おーる…。…。
…ふむ、何て云うたかの。確か、何やら不思議な音の並びを発する名であった気がするがそれはまあよい。
ゆけば、わかる。

妾は今から、そこへ降り立つのじゃから。





《……儀式……最中だ……》

《……神将……!》

「…なんじゃ、騒がしいのう。ゆっくり身体を休ませる事も出来ぬではないか」


寝所を間違えた。

それが今の妾の素直な感想じゃった。

女は一般的に弱き生き物とされるが妾達月の民にその理は合わぬ。おなごの方が力は上じゃ。腕力や脚力はおのこの方が強いのは同じじゃが、仙力や神通力と云ったいわば精神面に左右される霊力的な節は遙かにおのこを凌ぐ。
妾達の真の強さは霊力の高さで決まる。いかなつわものでも仙力でどうとでも出来てしまうからな。よっておなごの方が強い、となる訳じゃ。

妾は一往皇女なせいか同族達の中でも仙力は抜きん出ていた。別に驕りではなく月の民の頂点に立つ皇族に属する血筋が勝手にそうさせるだけなのじゃが、その妾を長年閉じ込めていた程じゃ。
いつか逃げ出す為に蓄えた力はそれこそ我慢した年月とほぼ同年分、それだのに五千年分の力を以てしても、破るのは容易にはゆかず。

何とか結界を壊せたのはよいものの、妾は下界に降り立つ頃には既にくたくたじゃった。


「朽ち葉ばかりじゃ…と…」


それに妾は出来る事なら“街”、とやらにまず来てみたかった。およそ街とは似ても似つかぬ、しかしある意味様の揃うそれの如く調った周りに呆然と嘆く。
揃った調ったなどと云うと聞こえはよいかも知れぬが、あくまで色だけじゃからな…。

狙いを定めるだけの力を残せなかったのはそれはそれは痛かった。おかげで妾の視界を埋め尽さんばかりの辺りの景色はまあ何と云う事か。

砂しかない。

月にて牢獄から暇さえあれば覗いておったが、何やら縦に長い立派な街や、水に囲まれた清らなる街、はたまた不思議な…なんじゃったか、教会とか云うたか?逃げおおせておきながら贅沢やも知れぬが、なるべくなら初めはそう云った安全そうな場所に飛び込みたかった。

…今追い付かれたら、妾は逃げ切れぬ。今までは牢に封じ込められ自由を奪われるだけじゃったが、次はどんな目に遭わされる事か。…捕まる訳にはゆかぬ。

街ならまだ、月の民に外見がよく似た下界の民…そう、数多の人の子がおる。見付けられはしまい。それに運が良ければ匿ってもらえるやもしれぬ。月の民とは違うて人の子は心優しい者が多いと聞く。

妾も結界破りに月から下界へとまさしく千里の距離を旅したりで、まっこと疲れておったのじゃ。ゆえに、この砂しか…正確には、砂と散らばる壺や柱のような物、半分しかない壁だの中途半端に聳えるかつては栄華を極めたのかもしれぬ屋舎達の骸だのに囲まれた地にて、ちと休もうと思うておった。
しかも、見上げて見たところどうもこの場は光が射し込まぬ造りでもしておるのかどこもかしこも薄暗い事じゃしと、ここに落っこちたのは不本意ではあるがうたた寝には丁度良いと前向きに考える事にしたのじゃ。

つまり、少々寝てから街へ向かおうと考えておった…、


《……ってんだ!屑!》

《……のは……師匠の技……》

《……剣を……てよ。さあ!》


…のじゃが。

妾の耳はよく音を拾う。月の民はみな耳にしても目にしても非常に聡い。…妾は狭いところに閉じ込められ近くばかり見ておったせいか、目は衰えてしもうたがな。
その代わり聞く事は自分で云うのも何じゃがこれでも結構頑張ってきたのじゃ、おかげで、


「はて、一体何事なのじゃ…言い争っておったかと思いきや剣戟に打擲、はたまた水の降り注ぐ音やら果ては何か歌のような物まで聞こえてきたが…。まさか…戦?にしては少々数が少ない上、何かおかしいような…」


…遠くの騒々しさまで拾ってしまい、見事に目が冴えてしまったと云う訳じゃ。

尤も、戦は既に終わったようじゃがな。
「戦いを打ち切りたい」「取引に応じましょう」等の口舌が後から聞こえてきた。

まあ騒々しかったと云うても、僅かしか聞こえなんだが下界の調べとやらは、姫として妾もかじるどころか稽古したものじゃがそんな月の物とはまた違った趣でまことめでたげ、ほんに美しゅうてそれだけならばむしろ子守唄になりそうじゃったがな。
…じゃがのー…、歌とは陰惨たる軍場に対し妙に雅びで些かちぐはぐな気がするのじゃが…。…そっそうか!これが下界流合戦とやらなのじゃな!ふっふっふ…妾は一つ賢くなったぞ、うむうむ!
…しかし、一体どのような者が奏しておったのかの?是非ともまた聞かせてほしいものじゃ。

それにしても、みなの言の葉は何やら妾のものとは違うておるな。座敷牢にはただ友になってくれる者がおらんかっただけで見張り等はおったから、…ふむ、そやつら月の民達と似ておうて一往はわかるから助かったわい。
月では皇族達くらいじゃからな、妾のように喋るのは。

眠りを妨げられたゆえつい誰にともなく言い条を吐いたものの、しめたとも思うた。

そこで、妾はその声を頼りに少し歩を進めてみる事にしたのじゃ。…否、それでは足を使うたみたいで語弊があるかの。
妾は耳は発達しようとも長年閉じ込められておった。その上この疲労。月の民は目や耳だけではのうて本来体力もあるのじゃが、それは妾には目と同じでいつぞやか当てはまらなくなってしもうた。今では少し身体を動かしただけで全身が悲鳴をあげる。座敷牢では動く必要があらぬでようわからんかったが、今がまさにそれ。


「ほいっとな!」


よって月の民ならでは、妾はその場にふよふよと浮いた。これからが楽しみで楽しみでならぬゆえ掛け声などあげてみる。声も弾む。

何故飛ぶ事が出来るのか、それは妾にもようわからぬ。何故目や耳が優れるのか、体力があるのかと同じ事じゃ。
しいて云うならば下界を覗く為にも使うておった我等月の民の最大の特徴である仙力、これに由来するのかもしれぬ。

虚空を泳ぎ、目指すはそうした霊力を用いた仙力で焦がれた世界に、生きる民。

人の子に会える。


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