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11.恐れていたこと




「姉様―・・・今日行くんですか?」
「あ、ああ・・・そうか、天は家庭教師の日か?」
「そうなんですよ・・今日は時間的にあまり都合が良くなくて、行けないんです」
「そうか。・・・私、今日を最後にしばらく町へは出ないから。ちょっと事情があって」
「えっ、なんかまずいことでもあったんですか!?」
「取り敢えず天は大人しく勉強してなさい。帰ったら多分話すから。・・じゃあまた後で」
「ちょっ・・姉様まだ話し終わってな・・・・」
咎める天の声を後ろに聞きつつ、逃げるようにまた蘭は町へ向かった。
心の中で天に小さくごめんと謝りながら。


拓人たちの家でいつもぴょこぴょこと活動している人影が今日はなかった。
「信助は?」
「今買出しに出かけてる。量がそんなに多くないから拓人さんはお留守番しててください、とさ」
天気が悪くなりそうだから早く帰って来いよ、とは言ったんだけどなと拓人が優しく微笑んだ。
確かに重たい灰色の雲が空を覆っている。雨が降りそうだというのに、蘭丸は傘を忘れたことに今更気付いた。

拓人が不意に、低い棚の上に置いてあったものに手を伸ばす。
「そうだ、これ昨日忘れていったろ」
差し出されたのは紛れもない蘭丸の銀時計だった。
「忘れるなよ、こんな高そうなもの。・・・大事なものだろう?」
「あ・・・・うん、そうだな。気を付けるよ」
渡されて手に落ちた時計はいやに冷たく、そこで自分の手が熱いことにはじめて気がついた。
顔に手を軽く当てると、顔の表面はうすら冷たく少し気持ちが良かった。

「何してるんだ?」
そんな蘭丸を見て、拓人が不思議そうに聞く。
「なんだか手が熱いんだ、別に何かしたわけでもないんだけど・・・」
そういった後に、一瞬間があって拓人の手が蘭丸に伸びる。瞬間的に目を見開き、え、と小さく吐息のような声が漏れた。
頬に当てられた手の上に、拓人の手が重なる。
動揺する蘭丸に気付いているのかいないのか、拓人がふわりと笑う。

「本当だ、手、熱い」
目を逸らそうにも逸らせなかった。
見ることを半ば強要された(本人にそのつもりはまったくないのだろうけど)彼の笑顔が、見たこともないくらい綺麗で、くらりと世界が揺れた。
「っ、拓人、手」
慌てて手を離してもらおうと軽く身を引くと、拓人ははっとしたように手を離した。
「ご、ごめん」
「う、ううん・・・」
自分のされていたことを思い返すとまた顔が熱く、それは拓人も同じようだった。
微妙な空気を振り払えればと蘭丸は本来言いに来た用件をあげた。
「あのさ、拓人、俺たち・・・ちょっと事情で、しばらく此処に来れないかもしれないんだ。ていうか、来たら周りの大人にばれそうになってる」
「・・・そうなのか」
「またほとぼりが冷めた頃に、絶対此処に来るから!・・・俺たちを忘れないでいてくれ」
「ああ、忘れない。約束する」
何故そこまで、と問い詰めもせず了承してくれる拓人にほっとした。
それと同時に後ろめたさも感じる。
「・・・ごめんな」
「蘭丸が謝ることはないだろう」
違うんだ、俺は嘘をついているんだ。自分が王族だって言うことを隠して、蘭王女だということを隠して。本当は蘭丸なんて町人はいないんだ。

言えるわけがない。
罪悪感が今までにないほど湧き出してくるのと、正体を隠してしかここに来れないことが、今とても悲しい。二つの感情が入り混じって目頭が熱くなる。どうしよう、泣きそうだ。
「・・・蘭丸?おい、どうしたんだ・・・」
押し黙った蘭丸を覗き込んだ拓人に過剰に反応してしまい、その拍子に涙が零れた。
ぱたた、と床に雫が落ちる音が響く。
「・・・・・っごめん拓人、俺っ・・・!!」
耐え切れなくなって、家を飛び出す。
「蘭!!」
呼ぶ声は耳に届かない振りをして、絶対に振り返らないと決めて走った。
降る雨はもうすっかり強くなってきていて、傘を持たずに走る体は少し経てばずぶ濡れになる程度だ。
冷たい雨に体力を奪われながらも、昨日と同じように走る速度を緩めずに王宮に向かう。
頭の中は真っ白とも、色々な思考が入り混じってぐしゃぐしゃとも言える状態だ。何も考えられないが、何かを必死に考えているような感覚を持つ。
今蘭は走ることしか出来ず、ひたすらに足を動かした。


・・・―自らを引き止めるときの拓人の言葉に、違和感もなく。



倉間に驚かれ、浜野にもどうしたのかと聞かれながら王宮にまるで転がり込むように帰った。
速水にはいつもの数割り増しで心配されつつ、湯船には浸からずシャワーだけ浴びた。
冷えた体に温かいお湯は心地よかったが、それでもその間も涙はずっと止まらなかった。何故かはわからないが、後から後から流れてきて止まることを知らないように流れ続ける。
あまり泣かない、泣くまいと育ってきた故に自分が泣いていることにすら恐らく戸惑っている。
深呼吸を繰り返し、少しずつ自分を落ち着かせる。

ほとんど涙が止まったころに蘭はバスルームから出た。
まだ頼りなさげな足取りで部屋に戻り、ソファに腰掛ける。未だ余韻の残る目の熱さが少し鬱陶しかった。きっと鏡を見たら自分は腫れぼったい顔をしているのだろう。
何がこんなに悲しくて辛いのか。自分に問おうにも頭は考えることを放棄し、少し熱っぽい。

あそこで過ごせないことが寂しい。それしか今思い当たる点がなく、本当にそうなのだろうかと自分を疑う。
自分を見失っている?一瞬その言葉が過ぎるが、そんなバカな、と悶々とする。
落ち着け、ただの一時の動揺だ。すぐに過ぎ去る。そう思考するも落ち着きが現れるはずもない。

控えめなノックの音がした。主が大体誰のものかわかる、恐らく速水だ。
少し顔を合わせるのに気が引けたが、用事があってのことなら追い返すのは筋違いだ。
「開いてるぞ」

「蘭王女、王様がお呼びです」
入ってきたのはドレスを持った速水で、いつもにまして神妙な顔つきでそう言った。
「父上が・・・?」
「・・・・・婚約の日程について、お話があるとのことです」
「・・・・っもう、決まったのか」
「動揺する気持ちもわかります、ですが今はとにかく早くお着替えください、王様がお待ちです!」
「あ、ああ・・・・」

必死な速水に押されつつ、慌て気味にドレスに着替え、蘭は父王の待つ間に向かった。



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