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10.銀時計が告げるもの




「よし、今日はこの辺にしておこうか。丁度時間だしな、よく出来ました」
「ありがとうございました・・・・お茶、持ってこさせますね」
「ああ、ありがたい」

今日は家庭教師と勉強という予定であった。
風丸の教え方は簡潔であり、わからないことを質問するとまたそれに判りやすく答えてくれる。やたらと急かしたりもしない。
怒りもしないし怒鳴りもしない。どことなく飄々とした調子で教えてくる態度が、蘭は嫌いではなかった。

とはいえ勉強が好きでもない蘭は数時間机に座って問題を解いているのは疲れるのは当然で、風丸の終わりの指示が出たときは安堵のため息をついた。
ふらり、とドアに向かう疲れた様子の蘭を見て、風丸は苦笑いをした。

紅茶を飲みつつ、二人はいつものように雑談を始めた。
「この茶葉、うちでも飲んでるな。もしかしてあの紅茶専門店の『Sun-Garden』で買ってる茶葉か?」
「あ、はい。あそこの茶葉は質が良いらしくて・・・三国さんが言ってました」
「三国?」
「厨房を任されてる人です。この王宮の食べ物はあの人が管理して選んでるので・・・」
「へぇ。『Sun-Garden』の店主、蘭は知ってるかな」
「あの赤い髪の人ですか?」
「それそれ。そいつ基山ヒロトって言うんだが、俺の古い友人なんだ。紅茶専門店ともう一つ、孤児院もやってる」
「孤児院・・・・あのいつも賑やかな教会の?」
「『お日さま園』って言うんだ。ヒロト本人もあそこで育った。色々あったが・・・・能力の高い奴で、たくさんの方面で成功してるし、顔も広い」
「すごい人ですね」
「そうなんだ。俺がこないだ言っていた例の“頭脳派”の一人だよ」
「じゃあその人も・・・反乱軍、ですか」
「・・・もしも機会があるならよってみるといい。まあ王女にはなかなかそんなチャンス来ないだろうが」
「そうですね」

蘭は心の中で、本当は毎日のように抜け出しているから寄ることもそんなに難しくはないんだが、とは思ったが、流石にそのことまで風丸に言うことはできないな、と適当に受け答える。
あのことを大人に知られるのはまずいと思ってのことだ。

「今日は何曜日でしたっけ」
「土曜だ」
「そうですか・・・ありがとうございます」
土曜日は予定も用事も特別なものはない。それは拓人たちもそうらしいので、毎週土曜も他の空いている曜日と同様によく家を訪ねる。
家庭教師は曜日が不定期なのだが、よく外出する午後過ぎの時間帯には被らないことが多い。少なくとも、いままではそうである。
改めて蘭がちらり、と時計を見やる。それとほぼ同時に、風丸がソファから腰を上げた。
「時間かな。そろそろ行くよ」
「あ、はい」
「それじゃ、またな」
「次の予定はいつですか?」
「明後日かな。後にきっと世話係周辺から連絡が行くと思うが。蘭、勉強しとけよ」
「・・・はーい・・・・」
そう言って風丸は蒼の長い髪を揺らし、振り向かずに蘭に手を振った。
ドアが完全に閉まる頃には、もう蘭はいつものように町へ行く準備を始めていた。
天も誘おう、と軽く心を弾ませながら。


蘭はいつも自分の懐中時計を持ち歩いている。
幼い頃両親から貰った一級品、銀の時計だ。
王宮内にいるときは自分の机の小物入れに必ず入れておく。
町に出かけるときは時間を確認するのに必須なので持ち歩く。

シンプルながら気品のある彫刻が施されたその時計は、いつも蘭の傍らで静かに存在を主張していた。

「・・・・忘れた」
「その時計をですか?」

拓人たちの家を訪ねた帰り道、ぽつりと微妙な焦りを含み放たれた言葉。
姉は元来た道を振り返り、ち、と軽く舌打ちした。その行儀の悪さにか、それとも時計を忘れたことにか、またまたその両方かに妹は苦笑いをする。
「取ってきたらどうです?俺、ゆっくり目に帰りますんで。急いで取ってくれば余裕で間に合いますし、多分拓人さんも気付いて追っかけたりもするかもしれませんし」
天馬の最もな意見に蘭丸も軽くため息をついてそうだな、同意する。
「走って行ってくる。大して距離もないから先行っててくれ」
「ゆっくり行ってますね、気をつけて」
別れ際の言葉に何に気をつけるんだ、と心の中で突っ込むが、そういえば拓人との出会いは自分の不注意によるものだったことを思い出し、走りながらも微妙な心境に陥ることとなった。

そう離れた場所で忘れ物に気付いた訳ではなかったので、思った以上に早く家が見えてきた。早く済ませてしまおうと思い足に力を込めかけ、一瞬踏みとどまる。
拓人の家のドアをノックして、おかえりなさいと迎えられたその人は、背が高く、髪は長く蒼く、白と黒の服を纏った―・・・とても見覚えのある、いやつい数時間前まで対峙していた人物であることをほぼ確信した。

「なんで、風丸さんが・・・・」

前に進むことを放棄した足は後ろに進むことも忘れてしまったのか。段々と下がってくる気温に身を小さく震わせながら、その一言を呟くことしかできなかった。
やがて本来戻ってきた理由を思い出すが、その用事を果たそうにもまともに顔を覚えられてる風丸に対峙して自分があの蘭王女だと隠しとおせる訳がない。
下手したら両親や王宮に報告が行くかもしれない。それは一番避けたいところだった。

結局蘭丸はドアをノックすることはせず、ようやく動いた足に全力を込めて王宮に向かう道を走った。


「姉様、時計は戻ってきましたか?」
「・・・いや、途中までいったんだけどな。取っては来なかった」
「え、どうして・・・」
「多分行くだろうし・・明日でもいいかな、と思ってさ。特別不便と言うわけでもないから」
不思議そうな顔をしつつ、それもそうですねと納得した天馬に少し急いで王宮に向かうよう誘いかける。
結局小走りで王宮の門をくぐった。拓人たちの家に戻ったときから異常な速さで脈を刻む心臓にわざと負担をかけて誤魔化す。
本当は走らなくても心臓は痛いほどに脈を打っていたことに、蘭丸は気付かないでいたかったのだ。

「あの人は・・・・気付いてるかもしれないな・・・」
自室のベッドに横たわり、独り言を呟く。さっきの出来事がずっと頭から離れないでいた。
信助はあの家の大人に、「蘭丸」たちのことを話してしまったと言っていた。
どんなことを話しているかまでは知らないが、その話の少女と蘭に似た印象を持つことはそう難しくはないだろう。そして、蘭の脱走を懸念する考えを持つことも。
油断を惰ったか、と小さく舌打ちをする。まったくの偶然と言えないことでもないのだが、後ろ暗いところがある分自責の念に駆られるのは人情だ。

「明日・・・・行って、しばらくやめておくか・・・」
またぼそりと呟いた。
危険性はなるべく回避しておきたい。家庭教師はどうしようもないが、町へ抜け出すのをやめるのなら簡単だ。
いつかほとぼりが冷める頃にまた町に出よう。その為に明日拓人たちにそう伝えなければと決めて、夕食に呼ぶ声が聞こえるまで、浅い眠りについた。




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