【灰と蒼】 今日はやけに静かな一日だった。嵐の前の静けさ、なんていうが、今思うと実に的確な表現だと思う。 朝から何の事件もなく、珍しいほどのんびりとした時間を過ごしているうちに、瞼が重くなってきたので挨拶もそこそこに自室に向かう。 昼間から眠るのはあまりよろしくない行動ではあるが、落ちてくる意識の重みに理性は耐えきれなかった。 そうして、ベットに横たわりながら意識を沈めていたときだった。 ずしりと腹の上に重みを感じて、うとうとと沈み始めていた意識を浮かべた。 突如として湧いた重みを不審に思いながらそちらに視線を投げると、見えた白銀の髪。 「……灰、か?」 思わず呟いてしまい、彼がこの呟きに起きるかと反応を窺うが、ぴくりとも動かない。 どこから、とか、いつの間に、なんて疑問は聞くだけ無駄だということは今までの経験でよく理解しているので口には出さない。 態のいい枕にされているようで、すこし腹の下で憤りが渦巻くのを感じるがいつもの察しの良さをどこかに置き忘れたのか、やはり動かない。 角度的に表情が見えないせいで寝ているのかは確認が取れないが、規則正しく上下する肩は彼が眠っているようにも見せていた。 正直、野生の獣を連想させる警戒心がある灰がこんなにも無防備に寝姿を晒すことは稀なので、この状況が幻なのではと思い始める。 なんて考えていても、腹にかかる重さは嫌味なくらい現実味を帯びている。 「……寝てる、のか?」 囁くように尋ねる。返ってこないかと思えば、か細い声でゆっくりと返答が投げられた。 言葉を返すのすら億劫だというように、窮屈そうに肩がもぞりと動いた。 「今だけ、もう少しだけ、こうさせて」 普段聞かない声音に眉が寄るのを感じた。 「何かあったのか」 「いや、なーんもないよ」 返ってきた答えはあっさりとしたもので、裏を読もうとも、追及するなと語る雰囲気に何も言えずに黙る。 それでも、彼の力になりたくて、でもどうしようもないからそっと手を伸ばして白銀を梳いてみる。 どうやらそれは彼の気に障らない程度のものだったらしく、くすぐったそうに小さく笑い声が洩らされただけで終わった。 「いいね、それ。すっごい気持ちがいい」 掠れた声に混じる高揚の色を見て、再度髪を撫でようとして、灰の異変に漸く気付いた。 彼に振動を与えないように身をわずかに起こして、唯一肌の出ていた首元へと手を伸ばす。 す、と撫でればびくりと震える肩。 「熱い……」 「んー」 「体調管理、しっかりしておったのでは?」 誤魔化そうとするように、ぐるりと体を半回転させて顔を此方に向け、微笑みかける灰の額を軽く叩いてみせる。 「まあまあ。何でも好きに出来るわけじゃないから、たまにはこういうこともあるさ」 カミサマじゃないんだから。 なんてことないように呟かれた言葉は、重く、危うい。 普段の彼の姿からは想像つかないようなその姿に眉根を寄せていると、灰はまた笑ってみせる。 「そんな顔しないでよ。大丈夫。死ぬわけじゃないんだ」 「……縁起でもないことを言うな。というか、なぜわかったのじゃ」 目を閉じたままだというのに、的確に此方の感情を読んでくるこいつに、自分の表情の全てを見透かされたような気がして唇を尖らせた。 それすらも読んだかのように、灰はまた小さく笑った。 「分かるよ。だって、他でもない蒼のことだしね。お前は俺に何かあっても、誰にも言わない」 「……分からないぞ。もしかしたら、紫苑やらに声をかけるかもしれんぞ」 「分かってるでしょ?」 疑問符なんてあってないようなものだ。 反論も何も出てこなくなった口を噤む。 灰の言っていることは正しい。 たとえ灰自身に頼まれたとしても、きっと蒼はそう簡単には語るようなことをしないだろう。 雄弁は銀、沈黙は金だ。 加えて、自分だけが見れる彼のこの姿に仄かな優越感すら抱いている。 そういった感情も見透かされているような気がして、唇をかむ。 自分の惨めで汚い感情も、全てを見透かされているようで、胸が痛い。 今度こそ黙り込んだ蒼に、それすら予想通りなのか、楽しそうな笑い声を残して頭を伏せた。 何故、自分なんだ。そう思うことはある。 しかし、そういった些細な疑問よりも、目の前にある重みがひどく心地よい。 何もかも見通す神様のような存在である少年は、蒼の独占欲に似た感情を煽りながらその弱さに似たものを隠そうとする。 逆らいたいとはとてもじゃないが思えない。それにしたってとても対等とは言いづらいようなこの関係。 ずるい、とは思うが、それ以上に、自分にだけが見れるこの丸めた背中が愛おしくて愛おしくてたまらなかった。 いとしいということ どうしようもなく、好きなんだ いとし・い [形] @ふびんである。 A恋しく慕わしい。 出典【広辞苑】 |