幸福論
「私は幸せか?」
それは問いかけだった。
自問自答でない、問いかけ。
しかし、どう答えて良いやらのその問いかけを口の中で持て余す内に、
「いや、知っているんだよ」
と、恐らくは初めから此方の答えなど望んでいないように、言葉は続けられた。
「私にとっての幸福は、君の幸福足り得ないと」
「それは」
「幸福と不幸は反比例だ。光と影のように」
「…はぁ」
けれど、もう一度問いかけは為された。
曰く――私は幸せか? と。
「…幸せに、見えますよ」
「そうか。ならば私は"幸せ"なのだろうよ」
笑い方は三日月だった。
歪んだ三日月はそして、
「では、どうすれば君は幸せになれる?」
それは誘(イザナ)いに他ならぬ。
「…………」
だから誘われるままに、己の利き手をスイと上げ、
「幸せは、奪うモノだ」
――問いかけの答えは、はたして正しかったろうか?
幸せって、なんだろうね?