特別な人に
『キャァ―――ッ!!』 『幽平く―――んっ!!こっち向いてぇ――っ!!』 『かっこいぃ―――っ!!』
―…ああ、煩い。 一躍有名人となった、羽島幽平こと平和島幽は少しうざがっていた。 ―…結構暇なんだな…。 彼は普段はそこまで邪険に思うことはなかったが、最近は追っ掛けのファンがうざったくなってきた。 理由は簡単。
「…幽平さん、行きますよ」 「はい」
ワゴン車に乗り、手を振ってその場を去る。 いつもの無表情だったが、彼をよく知る者―例えば彼の兄、平和島静雄ならその中に苛立ちが混じっていることに気付いただろう。 ―早く彼女に会いたい。 どこぞの男子高校生のような考えを、幽は本気でしていた。 ―早く、彼女に癒されたい。 もっとも、その高校生とは違い、彼の言う彼女には名前も身体もきちんとあったのだが。
―ガチャッ
「おかえりなさいっ」
幽が仕事を終え、マンションに帰って来ると、彼女がいち早く迎えてくれた。
「…ただいま」 「今日もお疲れ様」 「うん」
彼女はテキパキと幽の荷物やら服やらを片付け、食事の用意を始める。 その間にした何気ない会話で、幽は癒されていくのがわかった。 彼女が自分の少ない言葉に反応し、笑ってくれる。話を聞くばかりじゃなく、適度に話題を振る。そんな性格の彼女が幽は好きだった。
「え、じゃあ今日はお義兄さんに会ったんだ」 「うん。ばったりとね」 「そっかそっか。…ふふ、よかったねぇ。幽はお義兄さん好きだもんね」 「……尊敬してるよ」
幽は彼女の手料理を食べながら、兄のことを少しだけ喋った。 彼女も静雄のことを嫌ったりはしていない。さっきの言葉も、本心からだろう。また、静雄も彼女のことを気に入っているらしく、彼女と話しているときは全くキレなかった。 彼女は全てを許し、包み込むような雰囲気を持っているのだ。そういうところから、幽は彼女に癒されている。
「…それ、おいしい?」 「うん」 「本当?よかったぁ…」 「初めて作ったんだ」 「うん。よくわかるね」 「初めて作った料理を出すときは、いつもそう聞くから」 「…本当?…えへ、バレバレだ…」
次からは聞き方を変えよう、と頷きながら、彼女は箸を延ばして自分の作った料理をつまんだ。
「…ん、おいしい」
それから恥ずかしそうににこっと笑う。 幽も若干、本人にしかわからない程若干笑みを浮かべた。 それを知ってか知らずしてか、彼女は幽にこんな提案をした。
「ねぇ、明日、お義兄さんとこ行こうよ」
明日は久しぶりの休日。 幽は、彼女が自分と同じことを考えていたことに嬉しくなり、今度は誰にでもわかる程微笑んだ。
「うん」
けれどその笑みは、限られたごく僅かな人間にしか向けなかったのだが。
「………大好き」
fin
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