クラウディ
のどかなお昼どき。
「ま、正臣ぃぃーっ!!」
俺は隣の部屋の恋人に名を呼ばれた。 隣の部屋への扉は開けっぱなしなので、彼女の大声が聞こえてくる。
―珍しいな、架月があんなに大声を出すなんて…。
不思議に思いつつ隣の部屋へ行くと、
「まっ、正臣!」 「どうした?俺の魅力で発狂したのか?そうかそうか、でも今更だな!安心しろ、俺は最初からお前の魅力に―」 「ク、クククモがぁぁぁ!!」
俺の台詞を遮って叫ぶ架月。
―クモ?
架月の震える指先には―、なるほど、一匹のクモがいた。 けれどそいつは、どう見ても1cmを越えていない。
―そんなに叫ぶほどか…?
呆れた目で彼女を見るが、彼女は涙目で俺を見てくる。その瞳には怯え以外の何もなかった。
「―……つーか、可愛いな。その顔。今すぐ抱きしめていい?」 「うう……早くなんとかしてよ正臣ぃ……」
やっぱり俺の誘惑は無視する架月。 つまり本気で怖いのか。俺の存在よりクモかよ。 ちょっといじけた気分になったが、とりあえずクモを廃除してやることにする。
「しかし意外だなー。架月、こんなクモが嫌いなんだ。……よっと」 「ひゃっ――。……だって…気持ち悪いんだもん……」
そこらへんにあった新聞に乗せ、外へ出す。 念のため、糸を切るように新聞をくるくる回しておいた。
「…うし。ほら、もういないって」
まだ足ががくがくしている彼女に声をかける。 すると架月は頷いた後、安心したようにため息をついた。
「よかった……。正臣がいなかったら、私死んじゃうとこだった…」 「なんでだよっ」
思わず彼女につっこんでしまう。 それはいくら何でも大袈裟過ぎだ。 しかしまあ、おかげで可愛いところが見れた。
「―さて、邪魔ものもいないし、愛を確かめ合おうじゃないか!」 「………新羅さんみたい」 「おぶぁ!?俺変態じゃん!」 「セルティさんに対する新羅さんにそっくりだったよ?」 「まじかよ……」
いや、自分でも寒いかなとは思ったけどね? さすがにそこまでとは……ちょっとショックだ。
「まあ、落ちこまないで」 「いやー……」 「大丈夫だよ」
そう言って彼女は、まだうるんだ瞳で俺を覗き込む。
―………ッ。
こちらから覗き込むことはあっても、覗き込まれることは少ないので息を止めてしまう。
―…うるんだ瞳とか、絶対狙ってるよな……。
そうでないことを十分に理解しつつも、そんなことを思ってしまう。 そのまま彼女はにっこりと微笑んだ。
「クモを退治してくれるような、そんな強い正臣を私は好きになったんだから」
どうしてもどきっ、としてしまうが……、
「……それってつまり、クモを退治してくれたら誰でもいいと」
そんな結論を出し、ため息をつくのだった。
―ま、それでこそ彼女か。
多少無理矢理にテンションを上げ、今度は自分が優勢になるように言葉を紡いだ。 彼女の頬が、恥らいで紅潮するように。
fin
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