その信徒は同じ夢を見ない
折原臨也は個を愛さない。 盲信したての頃は、それが救いだった。 けれど次第にそれが恐怖であることを知る。 人間という種しか愛せない奇妙さに、ではない。 ありきたりな粒では、いずれ飽きられ切り離されてしまうということに気付いたのだ。
私と同じような信者が沢山いた。 沢山居過ぎて、見分けもつかないほど。 偶然にも、その中に旧知がいた。とはいえ互いに顔見知り程度で、接触はしなかった。それが、ある日姿を見なくなったのだ。 棄教したのだろうと、最初はそう思ったが、その日をきっかけに些細な違和感に気づき始めた。 確かに、人が入れ替わっている。 興味がなくても名を覚えてしまうくらいの子は、今日も元気そうにまとわりついている。所謂モブとも呼ぶべき存在感の子達が、徐々に、それとなく、しかし確実に。 私は必死でそれを隠した。直感で、気付いてはいけないことだと感じた。必要以上に馬鹿のふりをして、臨也さんの目線を盗み見る。それだけで、何となく判断基準が掴めた。 残り続ける信者は、比較的問題児が多い。その方が目立つからだ。印象付く、とも言える。 臨也さんに見てもらわなければ。 私がそれまで残れたのは、恐らく初めの頃に臨也さんからの『お願いごと』を失敗したことが原因と思われた。時折臨也さんからほとんどの子に頼まれる『お願いごと』。それ自体は簡単なことだった。どこどこの会員サイトに登録して、とか、ここのキャンプ場で皆で遊んで、とか。 私が危機感を抱いてから少しして、ある時を境に棄教者が増えた。ずっと残っていた子も『辞めて』しまうことが度々あった。他の子は首を傾げる程度だったが、私は戦慄した。
恐らく、臨也さんは飽きたんだ。私達を纏わせることに。 もしくは、目的を達成し、私達は用済みになったのかもしれない。
家族も友達も切り捨ててきた私には、文字通り臨也さんしか頼れる人が居なかった。でもそんな子は大勢いた。無論、棄教者の中にも。 どうしよう。どうしよう、どうしようどうしよう。このままじゃ、捨てられてしまう。 『辞めて』しまった子がどこに行ったのか?そんなこと、考える間でもない。 『臨也さんの居ない所』に行ったのだ。だって彼女達はここに居なくて、臨也さんはここに居る。 臨也さんが居なきゃ、生きていても意味が無い。どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう。
掻き立てられるような恐怖の中、一度に3人の棄教者が出たと知らされた時、すっと心に冷たい鉄が流れ込んできた感覚がした。 次は自分だ。立ち止まって断頭を待つ訳にいかない。私は、こんなところで。 私はこれからだって、臨也さんと共に。
「ああ、君か」
私を見る臨也さんは嬉しそうな顔をした。それに心底ほっとする。ああ良かった、まだ私、生きてる。生きていけるんだ。
「それにしても思い切ったねえ。せっかく綺麗な長髪だったのに」 「いえ……どうせ邪魔でしたから」 「そう?それなら良いんだけれど。さて……」
臨也さんはくるりと周りを見渡す。いつも人数を集める時にはこの空きビルの地下の一室を使っていた。かつてパソコン教室か何かだったのか、机と椅子がいくつか並べられていて、そのまま風化していた。──ほんの、数分前までは。
今は、ただの空間が佇むのみ。変貌を遂げた数秒後にひょいと顔を出した臨也さんは、全く驚きもせず、むしろ予想の範囲内といった顔で私に近付いてきた。 瓶と消火器を両手に持ち、燃えカスと煤塗れの私に。
「一応、説明して貰えるかな」 「ああえっと、ネットで、調べました。まず瓶にアルコールで浸した布を詰めて、」 「ああうん、それもそうなんだけど。動機が知りたいな。ここは俺達にとって大切な場所だったはずだ。どうして燃やしたのかな。俺に対する反乱?」 「いえまさか!私は臨也さんを信じています。だって、こうしてほら、臨也さんはここに居る。私が何をしても、見ていてくれるじゃないですか」 「ふうん?俺が君を何処まで見抜けるか、試したってこと?」 「いいえ?試す必要なんて無いです。そんな事をしなくても、臨也さんは全部分かってるから」 「じゃあ、どうして」 「そんなの──臨也さんがそう望んだからに、決まってるじゃないですか」
持っていた瓶が抜け落ちて、ガシャン!と床に当たって弾ける。臨也さんはそれには目もくれず、ふむ、と考え込む仕草をした。
「俺が君に、そう言ったかな」 「いえ。でも私に伝えてくれたんでしょう?だってこんなこと、自分では思い付きもしなかった!それなのに、気づいたらここでこうしていたんです。そうしたら、臨也さんが来てくれた。終わったか確認しに来てくれたんですよね?そうですよね?私、ちゃんと出来ましたよ。火消しだって、ほら、一人で!」
私の話を聞く度に、臨也さんはわくわくとした表情を見せた。まるで既に飽きるまで遊び潰したおもちゃに、思いもよらない魅力を見出したかのように。
「成程ね。君は俺の意を汲んでくれた訳だ」 「勿論です!当然でしょう?」 「……くくくっ、アハハハッ!成程、『そうなった』か!」
片方の消火器も、ゴン!と音を立てて床に転がった。中身は空で、二、三度跳ねたあと、乱雑に抜き捨てられたピンに当たって静止する。 手ぶらになった両手をさっと後ろに組んだ。大丈夫、大丈夫だよ、だってほら、臨也さんがこんなに嬉しそうな顔をしてる。
大丈夫、成功だ。私はまだ、臨也さんの傍に。
「いいよ。君の望みを叶えてやろう。俺はまだ、君の救世主だよ」
不意に喉に何かが絡んで、呼吸も出来ないほど咳き込む。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった私を、臨也さんは優しい表情で背中をさすってくれた。ああ良かった、と今度は安堵の涙が押し寄せる。それからいつもの『黒服の人』が来て、私を運んでくれた。 揺られる中、視界に臨也さんが見えて、また涙腺が緩む。髪を切りそろえてあげよう、なんて声が聞こえた気がして、ありがとうございます、と返したつもりが上手く声が出ない。しかし臨也さんには伝わったようで、静かに目元を隠された。 おやすみ、と頭を優しく撫でられる。まるで魔法にかかったように眠気に教われ、私はそのまま意識を手放した。
「大丈夫ですか、こんな女、残して」 「ああ、この程度なら問題ないよ。いや、問題なかったと言うべきかな。何がするだろうと思って付けていたけれど、まさか教室を焼くとは思わなかったよ。しかもその後、消火までしている」 「何がしたかったんですかね?構って欲しいだけ?」 「まあ極論、そういうことだね。でもね、この子の面白いところはそこじゃない。この子、気付いていたんだよね。自分と同じ信者が消されてること。どうするかなーと思って放置してみたんだけど」 「折原さんを言い訳にして暴挙に出る……相当な狂信者でしたね」 「ああ。しかも彼女は、それを『理性的にやっている』」 「え……?」 「気付いたかな?彼女、狂ってるフリをしているだけだ。分かってるんだよ、俺の興味対象を。本当に狂ってしまったら、俺の切り捨てる判断も見定められなくなってしまう。もしくは狂った人間に、俺が興味を失ったら?今度は別のものにならなきゃいけない。だから彼女は至極理性的に、狂った思考回路を生み出し、それになぞらえて行動した。だから入念に準備と精査をした結果、ビルは崩壊せず、ほとんど周辺に知られないまま、あの部屋を焼いてみせた。人も殺さない。出来るだけ迷惑はかけず、それでも俺の目につくよう、最大限のパフォーマンスをしたんだ。俺が彼女をここまで残したのは単なる偶然だけど、こんな面白いものが見れるとは思わなかったよ!」 「……。そんなことをしてまで貴方についていこうとしている時点で、相当狂っていると思いますけどね」 「ククク、まあ、そうだね。しかし彼女は今、全てが上手くいってさぞかし幸せだと思うよ。人の幸せなんて千差万別。彼女が心底これでいいなら、俺はやっぱり彼女の救世主なんだよ」 「この子を手放さないんですか?このままじゃ、この先どうなるか分かりませんよ」 「彼女の努力に敬意を表して、しばらくは付き合うことにするよ。神様ごっこも終盤だったし、次の趣味までの繋ぎにはなるはずさ」 「相変わらず、悪趣味ですね」 「褒め言葉として受け取っておくよ」
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