貴方という人は
「臨也さんって、かわいそうな人ですよね」 「よく言われるよ」
顔色一つ変えず即答する彼をまっすぐに見つめたまま、言葉を続ける。
「そうではなくて…。なんていうんですかね」 「なに」 「すごく…寂しい人だなって」 「よく言われるよ」 「だから、そうじゃなくて…友達がいないとか、嫌われてるとか、 それ自体は自業自得じゃないですか。分かっててやっていることでしょう」 「まあね」
手元のコーヒーを揺らし、一口。 私の言葉も飲み干すように、なんてことのない顔で。
「そんな生き方しかできない。人間を愛していると言いながら、人間を理解できない。人並みの愛を知らない。 そんな自分を変えられない…本当は、歯がゆく思ってるくせに」 「面白い考察だね」
また一口含むと、机に置いてこちらを見てきた。 鋭い視線に気圧される。だけど、返答は遮らない。
「そうだね。確かに理解できない。例えば綺麗な女の子がいたとする」
ぴっと指を立て、説明する素振りを見せる。 自分を客観視しかできない時点で話は大体見えてくるのだが、それでも私は心を向ける。 彼の言葉を逃さない。彼の心を逃さない。
「可愛い、好きだ、付き合いたい、キスをしたい。実に健全な欲求だね。そういう感情があれば、 独り占めしたい、閉じ込めたい、壊したい。そういう自己欲に塗れた感情もある。 うん。誰しもが多かれ少なかれ持っている感情だ。俺はね、それを等しく好奇心に変えてしまうんだ。 【愛】という形容で、火種を心待ちにしてしまう」 「それを変えたいと思ってるんでしょう」 「変えたいとは思わないさ。変えられないとは思っているけれどね」
君の言う通り、俺はこうでしか生きられない。そんな呟きは、再び飲み始めたコーヒーと共に彼の奥へ押し込まれた。
瞳から、指先へと視線を移した。 綺麗な手。甲にも傷跡一つ見当たらない。
かつてそこに血が流れていたことを思い出す。
「臨也さんでも想像するんですよね。こうでない生き方もあったんじゃないかって」 「…やたら踏み入れたがるね。料金を徴収するよ?」 「情報屋さんはそんな風に心の距離を取るんですね」 「あのね」
コン、と机とカップの隙間が高い音を立てた。 一瞬時が止まり、すぐに動き始める。彼の表情も、すぐに力が抜けた。
「君が何を言いたいのか、考える気もないけれど、これ以上俺について話すつもりはないよ」 「臨也さん、化け物は嫌いでしたよね。園原杏里も」
唐突な私の台詞に、眉をひそめてみせる。
「だけど前、狩沢さんが園原杏里をかばった時。 人間の選択したことだから、尊重しようって言ってましたよね」 「それが?」 「わ、私も人間だから。私のしたことだって、聞きたいことだって、受け入れてくれればいいじゃないですか」 「俺も人間だからね。残念だけど、不快なものは不快なんだよ」
ぐ、と言葉に詰まった。なんだかんだ私は人間で、臨也さんは人間が大好きで、だからある種安心していたんだ。
普通の人間である限り、臨也さんに嫌われることはない。 でも普通の人間であるからには、いずれ飽きられる。利用もされる。弄ばれる。
別に揺さぶりをかけようとしたわけじゃない。従順な犬でないアピールをしたわけでもない。
だけど、あの時。
手のひらに強い打撲の痕を残し、珍しく疲弊を隠さず帰ってきたあの日。 拉致されちゃってさあなんてその所為にして、でも私はその傷の意味を知っていた。
「臨也さん」 「君はさあ」
遮るように発し、だけど臨也さんはくるっと椅子を回して私に背を向けた。 いつもなら視線で威圧するのに。考えてることが読めない。
「どうしてここに来たんだっけ?俺と仲良くするため?」 「……」 「いいのかな?君の復讐の調子はどう?俺に近づいて、弱みでも見つけた?」
弱み。 そう呼ぶべきかは分からないけど、思い当たることはある。…とはいえ。
それをぶっこんだら、こんな反応をされたわけだが。 仕方が無いから、正直に思ったことを告げる。
「…弱みは見つけてません」 「へぇ」 「でも、代わりに。…いいところは見つけました」 「――――」
は、なんて声が聞こえた。…なんだかそれだけで少しすっとした。 やっと笑みも零れてきて、肩の力も抜ける。
ややあって振り返る臨也さんは、なんとも微妙な表情をしていて。 沈黙を認識するのを許さないように、はあと大きく溜め息をついた。
「聞くよ」 「臨也さんは人間としての基礎的優しさを捨ててはないですよね」 「……へぇ?」 「ううん、捨てきれてないですよね。貴方は、…人間だ」 「知ってるさ、そんなこと」 「知ってても、言って欲しかったんでしょう」
今度こそはっきりと戸惑いを見せた。瞳孔を開いて、言葉を失って。
沈黙した。
「一緒にいて、観察してきた私には分かります。貴方はちゃんと、貴方の大好きな人間です。何一つ変わらない人間です。 だから、安心してください。そうやって思わなくても、貴方は」 「分かった。…分かったからさ、俺を励まそうとするのは止めてくれ」
そんな風に片手で表情を隠そうとするから、私は立ち上がって腕を取った。
今は傷の無い手。 私なんかに片腕を取られるようだから、かなり油断していると思う。 人を食らい続けてきたような性格の彼より、上手に立つなんて。
憎んでいようが、なんだろうが 。 一緒にいれば、時間を共にすれば、吐き気は収まらなくても、呼吸はできる。
彼の体温を握り、鼓動を聞く。掌が熱くなる。
「臨也さん、呼吸の仕方知ってますか」 「なにが言いたい」 「分かってる癖に」 「分からないさ。独りよがりの抽象的な例えを強要されても、全てを理解できるほど俺は万能じゃない」 「人間ですもんね」 「君ね。そろそろ怒るよ」 「もう怒ってるじゃないですか。臨也さん」
そう、私は貴方を怒らせたかったんだ。
「怒ってますよ。気づかないんですか」
全てを愛情に変えて、可愛いねえなんて高見を決め込んで、いつも一歩引いている貴方が。
こんな小娘に対して、感情を許しているんですよ、なんて大袈裟に。
でもだいじなこと。伝えたいこと。
「……変な子だよねえ、君は」
臨也さんは呆れたように、諦めたように言った。
「まだ臨也さんの話をしているんですけど」 「降参。勘弁してくれ」 「いやです。だってずるい、私ばっかり、貴方を見てきたんだから」 「君ばっかり?」 「私になんか興味ないんでしょう、今までも、今も」 「…ふうん」
ああ、まずい、だめな気がする。唇が止まらない。これ以上は、
「そういうこと」
…これ以上は、踏み込まれてはいけない、だって、
「ふうん」
臨也さんは2度頷いた。今度は私が黙る番だった。 でも今黙ってしまうのは非常にまずい気がする。
違う、違うんだなんて子供みたいに手を振って、だけど臨也さんは表情を変えない。 自分の話をしていた時と、何一つ。
「臨也さ、」 「興味ないね」 「あ、…」
離された腕を確かめるように振り、その跡に目をやる。 私はといえば何故だかバツが悪くて、伏せた顔が戻せなかった。
「…いま私が話したかったのは、そんなことじゃないんです。 そんなことどうでもよくて、考えてなくて、考えてほしくないし、今はそうじゃなくて」 「俺には繋がって聞こえるけどね」 「そうじゃない…!」 「うん、いいよ。そうじゃなくしてあげよう」
言い訳と共に息を飲み込む。 随分一緒にいたって、分かることと分からないことがある。分かりたいことと分かりたくないことがある。 分かってるつもりのことと分かってないつもりのことがある。分かるべきことも、分からなくていいことも。
ああ、何を言いたいんだろう私は、余計なことまで口走った。 さっきまでは順調だったのに。
「隠し事を問い詰めるほど、君に興味はないから安心しなよ」 「…皮肉屋」 「『私には分かる』んじゃなかったの?」 「分かりますよ。分かるから、貴方がこれからどうするかも、想像がつくから嫌がってるんじゃないですか」 「そう、それなら仕方ないね。諦めなよ」
諭すように、臨也さんは言う。
表情は依然貼り付けたままだけれど、その声がどこか嬉しげに聞こえるのは、
「君が好きになったのは、折原臨也だろ?」
多分私の、気のせいだ。
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