ジワジワと鳴き叫ぶセミの大合唱に思わず耳を塞いだ。つい数週間前には情けない姿だった入道雲も、いまでは立派に成長してもくもくと青空にそびえ立っている。容赦のない直射日光に照らされて、私はもう一度汗を拭った。
「……なんて言えばいいんだろう」
学校はとうに夏休みに入った。それなのに、わざわざ日差しを浴びながら通学路をだらだらと歩くのには、もちろん訳がある。
「……全国出場おめでとう?準々決勝残念だったね?……っていうか私、部外者じゃん……」
関東大会。きっと何も知らない者からすれば、山吹は良い結果を出したと言えるのではないだろうか。準々決勝では黒いユニフォームのチームに敗れたものの、その後の試合では勝利を収め、全国出場決定。出校日の集会でも表彰されていたっけ。
試合のあと、千石は笑っていた。にへらにへらと、今日は運が悪かったのだと、なんでもないような顔して笑っていた。そして部員たちは誰一人気を悪くする様子を見せず、むしろ千石を気遣うように曖昧に笑む。その時私の脳裏に浮かんだのは、彼が1人黙々と練習に打ち込む姿。……千石はまた、努力を隠したのだ。そう気付いた時、私は思わずその場を後にしてしまっていた。
「……いるかな。千石」
無人のテニスコートを通り過ぎ、一つ先の校舎の裏へ歩を進める。知らず知らずのうちに息を潜め、曲がり角からほんの少し顔を出した。少し冷たい風が前髪を浮かせ、額をくすぐる。
「……いない」
校舎のせいで日陰になっているそのスペースはがらんとしていて、それが実際あるべき姿ではあるはずなのに、なんだか不思議と違和感がある。おそらくここで練習をしていた千石の印象が強すぎたせいだ。一歩踏み出して、あの時千石が立っていた場所に足を向けた、その時だった。
「みょうじ、さん……?」
普段のにやけ顔はどこへやら、目をまん丸に見開いた千石が背後に立っていた。呆然と呟くその声に、彼に会いに来たはずの私もなんだか居心地が悪くなってしまって、曖昧な声をあげながら不自然に笑んだ。
「えーっと……」
「ぐ……偶然だねみょうじさん!いやあ、まさかこんなところで会えるなんて、俺はラッキーだなぁ!」
「千石」
遮るように名を呼ぶと、千石は今度は眉を下げて困ったような表情を浮かべた。そりゃそうだ。私がここにいては、千石は練習ができないのだから。
「えー、と」
今度は千石が言葉を濁す番だった。彼の表情は想像以上にくるくると変わり、なにを逡巡しているのか手に取るように分かる。夏休みなのに、なぜ私が学校にいるのか?なぜこの場所を知っているのか?そして、どうやってここから出ていってもらおうか?……おそらく、そんなところだ。それが分かっていたから、千石が迷いながらゆっくりと口を開いた途端、私は彼の言葉を遮った。
「あの、」
「千石ってさ」
「は、はい」
「私、なんて言うかさ」
「うん……?」
「私……私さ、千石のこと嫌いだったのに、さ、私が嫌いだった千石は、ほんとの千石じゃなくて、ほんとはちがくて、でも知らなくて……だから……」
「ちょ、ちょっと待って、話が読めないって!っていうか今嫌いって言った!?」
千石に会ったら言おうと組み立てていた文章が、焦りでバラバラになって飛び出してくる。戸惑う千石に制されて、私は一度深呼吸をした。
「ええと、だからね」
「うん」
急かすでもなく、私が落ち着くのを待っていてくれた千石は、じっと私の目を見て頷く。ぶちまけられた感情が整理されていくのを感じた。よし、と小さく呟いた声に反応して、千石も聞く姿勢をとる。
「試合。見たよ」
「ほんと!?」
一瞬、千石は嬉しそうな顔でにへらと笑む。だが、すぐに気まずそうに頬をかいて視線を落とした。きっと、彼の脳裏にもあの黒いジャージが浮かんだのだ。
「せっかく見に来てくれたのに、かっこ悪いとこ見せちゃったみたいだね……あはは」
「……うん。かっこ悪かった」
「直球!みょうじさん酷い!」
オーバーにおどけてみせる千石の姿は、確かによく知らない者から見れば、何も考えていないお調子者にしか見えないな、と改めて思う。だが、今の私はもう、その『よく知らない者』ではないのだ。
「だけどね」
「へっ?」
「必死になって練習してた千石は、かっこよかった」
ポカン、と呆けた顔はあまりにも間抜けで、込み上げてくる笑いを堪えきれない。くふ、と漏れた声に気付いた千石は、ほんのりと顔を赤くして頬を膨らませた。
「わ、笑わないでよ!……っていうか見てた?んだよね、ここに居たってことは。……恥ずかしいなぁ、もう」
「こっそり見ちゃったのは、謝る。ねえ、千石」
「なんだよぅ」
呼びかけても拗ねたようにそっぽを向く。いつもにへらにへらとだらしない笑みしか見たことがなかっただけに、今日の千石の姿はなんだか新鮮に感じた。もし、初めからこんな姿を見せられていたら、私は素直に彼の誘いに乗っていたのだろうか。……いや、きっと興味すら持たなかったに違いない。四ヶ月に及ぶ彼からのアプローチは、意外にも私の中で少々意味を変え始めていたようだ。
「全国大会の日程と場所。教えてくれないかな」
「え、みょうじさん、それって!」
「応援するよ」
彼と友達になら、なってもいいかもしれない。そんな風に思ったのだ。
「ほんとに!やっったぁ!!え、本当に嬉しい!!」
「……喜びすぎじゃない?」
「ねえ、ねえ、もし勝ったらデートに、」
「行かない」
……少し前言を撤回したくなった。
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