小説 | ナノ






 何故、私はこいつと歩いているんだっけ?
 数分前まで泣いていたせいでしぱしぱする目を擦りながら、こっそりと隣を窺った。
 卒業式の帰り、夕陽に染まった通学路を、気がついた時にはクラスメイトであるジャッカルと並んで歩いていた。正直、学校からここまでどうやって歩いてきたのか覚えていない。号泣しすぎて嗚咽までしてしまったせいで頭が上手く働いていないみたいだ。

 私が通う立海は、名前の通り大学に附属した中学校だ。卒業すると言っても、半数以上がそのままエスカレーター式に附属高校へと進む。だから本当はそれほど悲しいはずがないのだけれど、卒業式という雰囲気にのまれたのか、私は教室で大泣きし、クラスの人達にからかわれた。泣き出した生徒は私一人だったのである。
 現に今も隣を歩いているソイツは、いつもどおりの涼しい顔を夕日に向けている。……最もこいつの肌の色なら、泣いて目もとを赤くしても分かりにくくて誰も気付かないんだろうけど。

「少しは落ち着いたか?」

 そんなことを思っているといきなり目が合って、びくりと肩が跳ねる。こっそり見つめていたのがバレたのだろうか。慌てて視線を前へと戻した。

「だ、大丈夫。大体、なんでジャッカルと帰ってるの、私」
「そりゃ……クラスで誰も泣いてないのにみょうじ一人だけ号泣して、かと思えばメイクが落ちたのなんだのってトイレに駆け込んで出てこねえし、そのあいだにみんな帰っちまってショック受けてたから、俺たちテニス部と帰ることになったんだろ」
「そ、そうだけど!テニス部のみんなは……」
「方向が違うだろ。ついさっきブン太と別れたとこだし。またぼーっとしてたのか?」
「き、気づかなかった」

 そういえばさっきの分かれ道、しばらく立ち止まった覚えがある。きっとあの時丸井くんが別方向へ向かって、ジャッカルは手を振ってじゃあな、とか言っていたんだろう。そんなことにも気づかない程ぼんやりしていたなんて。

「ま、待って、じゃあ仁王くんと柳生くんは?あの二人もこっちの方向じゃなかった?私バス一緒だもん」
「あいつらは寄る所があるとか言って、学校出てすぐの交差点で別れたぞ」
「うそぉ!」

 学校出てすぐの交差点ってあそこよね、とその風景を頭に浮かべるが、その二人と別れたところは全く思い出せない。というか、そこをさっき通ったということも覚えていない。

「じゃあえーっと……柳くんは」
「柳はブン太の前に別れた。ほら、古本屋があるだろ、あそこだ」
「えええ……じゃあ真田くん」
「真田は柳生と仁王の次だな。コンビニ前のバス停」
「じゃあ幸村くんは」
「幸村はそもそも一緒じゃなかっただろ。赤也の様子見に行くってコートの方に」
「そうだったっけ……」

 額に手を当ててうんうん唸る私をジャッカルが呆れたように見ていたが、私のあまりの悩み具合に今度は心配そうな顔で見つめてきた。……これは頭の心配をされている気がする。ジャッカルにだけはされたくない心配だ。頭髪的な意味で。

「みょうじ、そんなに俺と帰んのが嫌かよ」
「えっ、いや!!そんなことは!!」

 予想と違う言葉が飛び出してきて思わずぶんぶんと首を振る。そんな過剰な私の反応が可笑しかったのか、ジャッカルは軽く吹き出したけれど、私の方は笑う余裕なんてこれっぽっちもなかった。
 なんてったって、図星だったのだから。

 ジャッカルが嫌いなわけでは決してない。見た目は一瞬怖そうに見えるけれど、実際は優しくて気がきくから話していて楽しいし、クラスの男子の中ではよく話す方だと思う。
 しかしそれは大勢といる時だ。例えば廊下でふと出合った時。例えば授業でペアを組んだ時。例えば……成り行きで一緒に帰ることになった時。何故だか気分が落ち着かなくて、急に居心地が悪くなる。その場から逃げ出してしまいたくなるのだ。私は男が苦手なんだろうか?と思ったこともあったが、別の男子と話す時は別になんとも思わないので、それも違うのだとすぐに考え直した。
 結局考えても原因は究明できず、これまではなるべくジャッカルと2人きりにならないことでやり過ごしてきた。教室でわいわいと話すだけならば、問題なく楽しく会話できたのだから。
 
 だが今は、正真正銘の2人きり。現在位置から私の使うバス停まで徒歩10分と言ったところだ。意識してしまうと余計に緊張してしまって、なるべくジャッカルの方を見ないようにするしかなかった。

「じゃあ、よっぽどショックだったんだな」
「へっ!?なにが?」
「だから、卒業。泣いてただろ。そのせいで、他の奴らが帰ってったのも気づかねえくらいにぼーっとしてたんじゃねぇのか?」
「あ、ああ、そのこと。うん……なんだか急に悲しくなっちゃって。みんな附属高の方に行くのに、不思議だよね」

 落ち着かない気分は変わらないが、いくらか自然に会話が出来てホッとする。2人でいるのが苦手とはいえ、ジャッカルとの会話は楽しくて好きなのだ。彼の言葉にあはは、と照れ隠しの笑いをひとつ上げ、つい彼の方を見る。……すぐにその行動を後悔した。
 ジャッカルは言いづらそうに、深刻な顔で口を開いた。

「……俺、外部行くんだよ」
「え、っ」
「つーか、みょうじは知ってると思ってた。だからあんなショック受けてんのかなー……って……うわ、俺自惚れ過ぎて、はずいな……」
「し、知らない。聞いてない」
「……わりいな、直接言いづらくて」

 どこ行くの、条件反射で飛び出た問いに、知らない名前の高校が返ってくる。知らないよ、そこ、と私。電車乗り継いで40分ってとこだ、とジャッカル。

「あれ、じゃあ、もう会えないの?」

 たっぷり1分、考え込んで思い至った事実は口からこぼれ落ちる。その事実を理解するのにさらに30秒。頭の後ろのところが冷えていくのを感じた。

「会えねえことはないだろ。引越しはしねえし。……ただ、まあ……そうしょっちゅうは会えねえな」
「そ、……っかぁ」

 きゅう、と喉の奥が詰まる。まるで泣き出す直前みたいな気分だ、と思った途端、隣でジャッカルが慌てた声を上げた。

「な、お、おい、泣いて……!」
「……やだ」
「は?」
「ジャッカルと離れんのやだぁ……っ!」
「え、ちょっ、みょうじ!?」

 卒業式の時の比ではない。込み上げる感情は大粒の涙になって溢れ出す。こうなるともう抑えなんて効かなくて、私がわあわあと泣き叫ぶ声は人通りの少ない道に響いた。ジャッカルが慌てふためく姿がなんだか面白いな、なんてどこか冷静な自分が思う。

「い、いきなりどうしたんだよ」
「なんかわかんないけどお!ジャッカルと会えないのやだよおお!!」
「あ、会えるって!学校違っても!連絡とかすっから!」
「ほん、とぉ……?」
「本当だ、約束する」

 ぽん、と頭に優しい温もり。人を安心させる笑顔を目にした瞬間、再び感じるざわざわとした落ち着かなさ。彼と2人になるたび悩まされた、その感覚。ああ、これって……。不意にすとん、と何かが腑に落ちた。そしてそれに連動するかのように口が勝手に動く。

「わたし、ジャッカルのこと好きだ」

 いつの間にか着いていたバス停。プシュウと音を立てて停車したバスは、立ち尽くした2人を置いて、誰も乗せることなく発車した。

「……おせえよ、言うの」

 呆れたような、困ったような、しかし嬉しそうな笑顔が胸を締め付ける。もう居心地が悪いなんて少しも思わない。ただ、次のバスができるだけ遅れてきますように、と胸中で祈った。そうすれば、彼との2人きりの時間を今度こそ楽しむことができるだろうと、そう思ったから。

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