物語・2
 
 私は三年前からこの魔導所で働いている。
 入ったばかりの頃は右も左も分からないことばかりで大変だったけれど、三年も経てば要領を掴めてきたのか気持ちの部分でもだいぶ楽になってきた。毎日来てくれる破魔士や依頼人達の笑顔、同職員の励ましの言葉があるおかげで、今日もまた私は笑顔全開でカウンターに座っていられる。

「ナナリーちゃん、俺諦めないからネ!」
「こちらの依頼で大丈夫でしたか?」
「大丈夫!」

 鼻息を荒くし瞳を輝かせた大柄な男性の破魔士は、依頼書を片手に駆け足で魔導所の扉から飛び出して行った。思い切りが良かったせいか、カランカランと扉についている鈴が暫く鳴っていた。
 朝から元気な人だなぁと振っていた手を下ろすと、横で同じく受付の席に座っていた後輩のチーナ・カサルに、先輩、と声を掛けられたので振り向いた。

「今の、金髪の王子様に言っても良いですか?」
「え、なんで」
「だって〜絶対毎日来てくれそうじゃないですか〜」
「……」

 口に手を当てて、困ったような面白げな顔をして私を見ていた。
 チーナのことは好きだけれど、この表情は好きじゃない。
 声量を押さえて止めれば、ちぇっつまんないです〜、なんて唇を尖らせて文句を垂れてきた。こんな風に止めておかないと何を口走るか分からないので本当に危ない。

 世界を揺るがす魔物の騒動から約八カ月余り。
 恩賞やらなんやらでおかげさまで平穏な日々を送る私には、この度、この歳にして、初めて”好きな人”というものが出来ていた。

 恥ずかしいので名前は伏せるけれど、魔物騒動の中で自分の気持ちに気づかされたことがいくつもあり、今まで嫌っていた人間が急激に好ましくなってしまったのだ。学生時代からの付き合いで、正直あちらからもだいぶ嫌われている。
 のだと思っていた。
 目が覚めてから彼の姿を認識できた途端、思いがけずに洩れてしまった“好き”の言葉は、今考えてみても恥ずかしくてたまらない。誰も掘り起こすことが出来ないお墓があったら喜んで飛び込みたい。
 それに相手は貴族で、自分は平民。現状、特に進展というものは少なく、恋人でもないし、強いて言えば飯食い友達、という立ち位置で二か月に一度くらいで一緒に食事へ行っている。
 なにせ相手はともかく、私自身恋愛というものをこの歳になるまでしたことがなく、初心者中の初心者。恋愛の教科書なんてないので、恋愛小説を読み漁って主人公の恋を応援したり、主人公の彼が浮気に走ったら全力で本相手に説教をかましたりなんかして、推理小説や参考書で埋め尽くされていた本棚は今違う色で賑わいを見せている。

「あ、噂をすればなんとやらですよ」
「?」

 魔導所の窓から見えたのは白い羽だった。白い翼と銀色の鬣を持つ生き物と言えば天馬で、限られた人間、王国の騎士のみが騎乗することを許されている。
 つまりここに騎士が来ていた。

 チリンと鈴が鳴り扉が開く。

「失礼する。魔物の出現数の資料と場所を明記した物を提出願えないだろうか」
 
 魔導所に来たのはドーラン王国第三王子、騎士団副団長でもあるゼノン・バル・ゼウス・ドーランだった。
 ゼノン王子は引き締めていた眉をふっと緩めて、依頼者専用の受付にいる私の職場の先輩ゾゾ・パラスタさんへ話しかける。

「なんだぁ、金色の王子様かと思ったのに。でも本当に目の保養ですねぇ、カッコいい〜!」
「チーナ落ち着いて」
 
 チーナは目的の人では無いとわかると明らかにがっかりした様子を見せたが、王子の姿を見て頬を染め出した。それもそうだ。昔から外見もそうだけれど実に男前で、学校では王子の親衛隊というものが密かに活動をしていたのを、王子以外の人達は皆知っている。私は変に席が近かったせいで散々にらまれたりしたけれど、今となっては笑えるいい思い出になっている。きっと社交界でもそんな女性達から熱い視線を浴びているだろうに、王子はそんなこと知る由もないんだろうななどと他人ごとに思った。

「久しぶりだなナナリー。元気だったか」

 ゼノン王子はゾゾさんから用紙を受け取るまでの間、ちょうど破魔士のいないこちらの受付に顔を出してくれた。
 両頬に手を添えるチーナの気分は最高潮だろう。来ました来ましたと小さな声で呟いて心躍っていた。

「おかげさまでこの通り。殿下も変わりないですか?」
「ああ。アルウェスの助けもあって、なんとか仕事は順調だ。一昨日はシーラの外管に引っ掛かった魔物がいたらしいが聞いているか?」
「聞いてます、変化(へんげ)していたそうですね」
「下手に知能を持つと厄介な連中だからな……」

 シュテーダルを思い出しているのか、表情が険しくなっている。
 一昨日、オルキニスからシーラへの輸送馬車に魔物が紛れていたという報告があった。それ自体は驚くことでもなんでもないのだけれど、隠れ方が奇妙で、馬車を操縦していた業者に魔物が化けていたという、今までの例にない前代未聞の出来事があったのである。
 魔物が、人間に……。それを聞いて皆の頭に過ぎったのは、他でもないあのシュテーダルのことだと思う。やっと平穏な日々が戻ってきたのに、あんな世界的な危機は金輪際ごめんだとゾゾさんや所長は額に青筋を浮かせながら言っていた。私も御免である。
 
「今日来たのが俺ですまないな」
「え? なんでですか?」
「なんで? 相変わらずだなお前は」

 そう言って王子は楽しげに笑った。
 おかしいことなんて言ったかなと思案していると、それより良い知らせがあると王子は話題を移す。

「シーラ王国第四王女の結婚の儀に招待されている。ドーランは特に王女が世話になったと、俺の友人を何名か連れても良いと言っているんだが、ミスリナとアルウェスを連れて行く話になった。ミスリナは俺がついているから良いが、あいつにパートナーを付けようと思う。ナナリーどうだ?」
「は……」

 はい?

「何を口開けて呆けているんだ。お腹が空いたのか」
「空いてません!」

 都合がつくなら一緒に来いとゼノン王子は言った。
 シーラ王国の第四王女様というは、確かあれだ。二年前にロックマンと婚約の予定があった方だ。

「無理にとは言わないが、アルウェスと俺はしばらくシーラに滞在する。ごめんな」
「だからなんで謝るんですか」
「本当に面白いな」

 ハハハと愉快に笑いながら、ゼノン王子はゾゾさんが持ってきた資料に目を通すため受付から離れた。

 何がとは言わないけれど、正直こんなに王子にいじられる日が来るとは思わなかった。うっすらと火照った顔をブルブルと震わせていると、ナナリーは王子とも仲が良くて羨ましいわ、なんて後ろにいたハリス姉さんに言われる。羨ましがられるのは悪くないけれども、王子、からかいが過ぎる。

「ヘル先輩と同じ学年にいたかったです〜」

 王子をうっとりと眺めながら背後に花をちらつかせているチーナが黄色い声でそう言う。気さくな人柄は昔から女性の心を射止めていたので、チーナがほわわんとなってしまうのも無理はない。

「喧嘩ばっかりだけどね」

 思えば喧嘩ばかりの青春だった。
 友人からは男子並みと言われたこともある。まったく失礼な。

「でも先輩、気をつけてくださいね」
「?」
「変なうわさを聞いたんです」

 チーナは先程の雰囲気とは一転、眉尻を下げて不安げに声を落とした。

 噂?

「『時の番人』っていう人形が出回っているらしくて、好きな時間に干渉することが出来たり、過去未来に行き来できるそうなんです」
「へぇ……面白い道具だね」
「面白いんですけど、この前変なこと聞いちゃって」

 チーナはさらに眉を下げた。

「“アルウェス様の隣が私だったら〜”なんて、貴族の女の人が話しているのを見てしまって。その人形は闇市で販売されていたらしいんですけど、どこかの貴族が落札したようなんです」

 仕事で偶然そういう闇市に向かったことがあるらしく、彼女はそこで耳にしたのだという。
 過去未来に行ける魔法陣なら私も知っているけれど、さすがに干渉まではできない。
 顔をしかめた私を見て、チーナも同じ表情になった。

「考えられる危険性から、王国の抹消対象に入ったとアルケスさんが言っていました」
「運命が変わるかもしれないからってことだよね?」
「はい……」


 魔物がいてもいなくても、この世は物騒なもので溢れていた。

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