物語・33
 芝生の上に着地する。
 辺りは真っ暗だが、建物の窓硝子から漏れる淡い灯りで足元が見える。
 ハーレの裏庭に転移した私は、急ぎ足で所長室へと向かった。
 服装は公爵家へ着いた時にはすでに、行きに着ていた制服へと戻っていた。
 これも時の番人の魔法なのだろう。
 いい加減で失礼なおやじ型人形ではあるが、力は確かに優れている。

「ナナリー?」
「ヘルお疲れ」

 途中ハーレ内ですれ違う職員に、いつの間に帰ってきていたのかと驚かれたが、あんな風に連れ出されて一日姿も見せずにいたら誰だっておかしく思うだろう。申し訳ない気持ちになり、ご迷惑をお掛けしましたと平謝りで会釈していく。
 言葉を交わしていくと、どうやら所長により今日の私は外仕事という扱いにしてもらっていたようで、先輩達からは急な外仕事で大丈夫だったか、ご苦労様など声をかけてくれた。
 所長も一時ロックマン公爵邸へと出向いていたこともあり、ヘルは何か緊急の仕事を任されていたらしい、ということになっていたようだった。
 結果的には魔物を捕まえるということにはなったけれど、大分いたたまれない気持ちになる。
 恥ずかしながら最初は完全な私情で動いていたのだ。
 しかしここで本当のことを言えるわけもないので、肯定はせず苦笑いで返した。

 所長室の扉の前に立ち、コンコンと扉を鳴らす。
 入ってどうぞという所長の声が聞こえたので、扉を開けつつ、私は勢いよく頭を下げた。

「所長ただいま戻りました! 本当に、本当にすみませんでした! もう一度雑用からやり直しますので、どうか働かせてください!!」

 首がもげるくらい何度も下げる。

「え、いやだナナリー! シーッ、シーッ! 声大きいから、ああだから謝らなくていいんだって、まったくこの子はもう。だからシーッ、しずかに」

 慌てた様子の所長に唇へ親指を当てられ、横に向かいスッと撫でられる。途端に喋ることができなくなった。
 縫いつけの呪文である。別名、閉口術ともいう。
 口をモゴモゴ動かす私を見て、所長は額を拭う仕草をした。

「大丈夫だから、ね。噂の人形のことも聞いたし、夢見の魔物も捕まえたんでしょう? 外仕事よ、外仕事」

 誰がクビにするもんですか人聞きの悪い、と所長は頬を膨らませて両腕を組んだ。
 自分で言うのもなんだが、甘やかされているような気がしてならない。魔導所内でのロックマンとの喧嘩といい、今回のことといい、ゾゾさんとハーレ内で走り回った時以外で彼女に怒られたためしがない。こんなんじゃ駄目人間になる。
 すぐに閉口術が解けたので何故怒らないのかと思ったままに彼女に聞けば、もちろん不利益を出したら怒るつもりだったわよ、とせせら笑われた。意外にも損得勘定らしい。
 所長の机の上は珍しく紙や本で散乱していた。几帳面な彼女にしてはあまり見ない状態にいささか目を見張る。
 本の表紙には『黒い生物』『悪魔の果実』『進化と歴史』などが書かれていた。騎士団に毎月渡している報告書の原本もある。

「隊長さんからも聞いたわ、魔物が狙ったのは氷の力なんでしょう? まったく諦めの悪い奴らだわね。資料引っ張り出して調べてみたけど、彼の言う魔物に当てはまったのは夢見の魔物くらいだったから……」
 
 頬に手を添えて険しい目つきになる。
 そうだ。所長に調べてもらったのだと、確かロックマンが言っていた。

「モルグの鏡を騎士団と繋げるから待ってて」

 彼女はそう言うと、本棚の横にある衣装箪笥に手を向けて呪文を唱えた。
 すると両開きの扉から、大きな楕円形の鏡が現れる。銀色の縁には細かい装飾、彫り文字が見られた。
 モルグの鏡だ。実物は初めて見る。
 浮いたそれは横に三回転した後、静かに床へ着地する。
 所長が手を掲げて再び呪文を唱えれば、波紋のように鏡面が揺れて、騎士団長の姿が浮かび上がった。

 モルグの鏡とは、遠くにいる相手との交信手段として、古の時代に作られた特別な鏡であり、その鏡同士であれば世界中どこにいようとも持ち手と話せるという数は少なくたいへん高価なものだ。
 王国に現存しているのは五つで、王様の城であるシュゼルク城に一つ、騎士団に一つ、ハーレ魔導所に一つ、三大貴族と呼ばれるブナチール家とモズファルト家が一つずつ所有している。

『戻ってきたか。今ちょうどうちの奴らも帰ってきたところだ』

 団長の背後にはゼノン王子やサタナース達が映っていた。
 ベンジャミンとニケが私に向かい小さく手をふっていたので、私もひらひらと振り返す。

『ドレンマン伯爵令嬢は身体検査を終えてから、詳しく取り調べをしようと思う。魔物の尋問はいま他の隊員がやっているんだが、アルウェスのことはそれからになるな。宮廷魔術師、城のお抱え魔法使いがあんな状態なのはまずいが……』
「そうねぇ」

 鏡に映る団長に向かい、所長は苦笑いをした。

 自国に強い魔法使いがいるというのは、それだけで他国への抑止力となる。
 例えばヴェスタヌのボリズリーなど、あの人がいい例だ。
 もし仮にボリズリーが倒れたと聞けば、それだけで悪いことを考え出す国や人物がいる、逆に健在であれば、誰も手出しできないということである。
 ドーランには魔法使い百選に選ばれた所長がいるけれど、所長は強い魔法使いというよりは、若くしてハーレを営む優秀な魔法使い、能力的に優れた人物として知られている。力がどうこうと言うよりは、その手腕が買われていた。
 黒天馬事件の解決にも一役買ったと聞くので、その頭の良さ、能力が認められている。
 しかし強い魔法使いとなると話は別になるわけで、ドーランにはここ十数年代表となりうる人物はいなかった。
 なのでオルキニスから手を出されたりと国防にはあと一つ手が届かない状態が続いていた。
 そこで頭角を現してきていたのが、とんでもなく悔しいことではあるが、アルウェス・ロックマンという男だったのだ。何度でも言おう。悔しいことではあるがあの男なのである。
 宮廷魔術師長となって日の浅い彼を襲ったオルキニスの事件は、本人は一時重症となったものの結果的にその能力を国内外に広める形となり(ニケから聞いた)、徐々に名前が知られるようになってきていた。
 だからロックマンが不調というのを世間が知ってしまえば、その隙を突いてくる輩がいるかもしれないのだ。

「……」

 もう悔しいとか天と地の差とか言っている場合ではない。
 それに私は強い魔法使いになりたいわけではなく、あくまでも所長のような立派な受付嬢になりたいのであるからして、そこで張り合うのはお門違いというものだ。

 とにかく、まずいというのはそういうことなのである。

『この時の番人だが、処分は追々考えるとして、魔石で出来ているとゼノンから聞いた。魔物の元となるものらしいんだが、聞いたことはあるか?』
「魔石……? 初めて聞いたわ。魔物の元があるなんて、それ本当なの?」
『ああ。魔石から魔物が生まれるんだそうだ。番人によればこの短剣に埋め込まれている黒い宝石、これが魔石らしい』

 ノルウェラ様から預かってきた短剣が、鏡越しに映る。
 七色の宝石が装飾された美しい剣。
 その柄にはめられた黒い宝石に、私と所長は釘付けになる。あれが、魔石。
 漆黒の、艶やかで光沢のあるただの綺麗な宝石にしか感じないが、この深くて濃い黒さに似たものを思い出した。
 変色したロックマンの髪の毛の色味に近いのだ。

 今までどうやって魔物が生み出されてきたのかは、世界中で謎のままだった。それを研究していたのがアリスト博士であったが、彼は結局魔物に呑み込まれてしまった。今は牢獄にいる。

 私は自分の中で確信していることを話そうと、二人の会話に声を上げた。

「お二人とも、あの」
「ナナリー?」
『?』

 シュテーダルとの戦いを思い出す。

「大昔の氷の人、恐らく始祖と思われる人と頭の中で会話をしたことが、シュテーダルとの戦いの中でありました」
『話が……?』

 騎士団長や鏡の向こう側にいる皆が素っ頓狂な声を上げたのが聞こえる。
 私もあの時は半信半疑だったが、あの声は間違いなく始祖である彼女のものだった。

「始祖?」

 所長も目を瞬かせて眉間にシワを寄せる。
 けれど、氷の力を考えればそういうことがあっても不思議じゃないかも、と言って私の話に集中する姿勢をとった。

「その時に言っていました。創造物語集ととても似た話で、シュテーダルの全身を凍らせて砕き、飛び散った破片が、のちに魔物になったと。魔石というのは、その飛び散った破片のことを言うのではないかと思うんです。私が凍らせたシュテーダルも同じく、破壊して散らばったその破片も……」

 誰かが息をのんだ。
 部屋の中は静まり返る。
 騎士団長が「シュテーダル、魔物、魔石……」と小さく呟いて、ベンジャミンの腕にいる時の番人を振り返った。

 おそらくこの場にいる誰もが思ったのだ。
 つまり、魔物が生み出される前に退治できる方法があるとしたら、それはどんな方法なのか?
 もしかしたらこの魔石というものが、大変な変化を世界へもたらすことになるかもしれない、ということを。


 後日国中、大陸中に『魔石採取』のお布令が出された。


――かくして時代は魔物討伐から、魔石発掘へと動き出すこととなる。

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