物語・32
 黒髪になっている。
 金髪じゃない。
 蜂蜜色に近い甘く匂い立つような黄金の輝きには程遠い、地の底を思わせるような、深く濃い黒。
 そのせいで肌の白さがよりいっそう浮いて目立つ。
 瞳を注視してみると、完全に黒くなっているわけではないようで、赤味のある黒になっていることが分かる。赤黒い、赤に無理矢理黒を混ぜたような色をしていた。
 眠たげな顔で目を擦るロックマンは、過去から帰ってきた私達を眺めながら欠伸をしだす。寝台の上に大人しくちょこんと座っている姿は、その性根を知らなければ儚げな黒髪の美青年に見える。
 身体に障ると思い掴んでいた肩を放して距離をとったものの、当事者だけが呑気な雰囲気を出している状況に、今度はニケを始め過去へ行ってきた友人達が彼に詰め寄り出した。

「剣? 剣のせいですか!?」
「魔物のせいか!?」
「や、ちょっと、落ち着いて」

 ニケとサタナースが前のめりになって寝台へ近づく。
 ロックマンはそんな二人に両手を掲げて瞼を閉じつつ、ヘルだって水色になったろう? それと同じさ、と昔のことを持ち出して質問攻撃をのほほんと遮った。
 こちらの気も知れず人のことをダシにしているが、答えになっていない。
 私の場合は血が覚醒したからこうなったのであってロックマンとは経緯が違う。
 とっくの昔に彼の血は火の力で満たされていたし、今更色を変える魔法だとか言われても嘘だと分かる。

 剣のせい……。ニケの言葉に考え込む。
 この女タラシ、いつか女性に刺されるのではと思ったことはあるが、まさか本当に刺されてしまうとは。
 遠い遠い異国の童話である人魚姫のお話を思い出す。
 王子様に恋した人魚姫が、泡にならないために彼の心臓に短剣を突き刺し殺そうとするけれど、結局できずに海の泡になったとかいう悲劇の物語だ。
 悲劇は好きじゃないので(けっこう引きずるほうなので)、昔一度図書室で読んでもう見ないようにしようと決めた数ある物語のうちの一つだった。

 現実にいる金髪の王子様は、見事刺されたわけであるが。

「凄く眠いんだ。また後で」

 そう言い残してロックマンは布団を掴むと、枕へ頭をポスンと乗せて寝る体勢を取った。
 数秒で意識が落ちたのか、すぐに寝息を立て始め、気持ちよさそうに眠りにつく。
 寝入った彼を見てどうするかと皆で視線を合わせていると、キィと扉の開く音がした。

「どなたかいるの?」

 扉を開けて部屋に顔を出したのは、ロックマンによく似た美しい顔立ちの、金色の髪を持つ女性だった。





 私達が時の番人によって飛ばされたのはロックマン公爵邸だった。
 ロックマンが倒れたあと、実家であるこの屋敷に引き取られ、王室付きの医者、治癒師による治療のもと看病されていたのだという。
 使用人から部屋での私達の騒ぎを聞きつけて、この屋敷の女主人でありロックマンの母親であるノルウェラ様が、私達を一階の応接間へと連れて、あの状態に至るまでの経緯を話してくれた。

 室内の大きな窓から、星空とドーランの浮島が見える。
 もう夜になっていた。
 今日は満月だった。

「安心しきって、彼女を部屋の中へ入れてしまった私が悪いのよ。あの子の魔法に頼り切ってしまっていたばかりに……」

 項垂れるノルウェラ様の肩に、形よく結い上げられた御髪からハラリと細い毛束が流れ落ちた。

「だいたいの話は聞いた。そう悔やむことはない、頼られるのが好きな奴なんだ。あいつも分かっていてトレイズを通したんだろう。責めるべきは貴女自身ではない」

 向かいのソファに座る彼女の隣へ腰を下ろしていたゼノン王子が、そう慰めの言葉をかける。
 甥である彼の言葉は、私達のそれよりもノルウェラ様を元気づけられるだろう。
 まさかお見舞いに来た顔馴染みのご令嬢が、自分の息子の心臓を狙っていたなんて思わなかったはずだ。ロックマンが屋敷にかけていた魔法にも引っ掛からなかったのなら、疑わないのも無理はない。頼りきりというよりも、あいつが良かれと仕向けた状況ならば、ノルウェラ様はまったく悪いことなどしていない。

「おかしな状態だったわ」

 トレイズの泣き叫ぶ声で屋敷内での異変に気がつき、部屋へ入った時には、すでに彼の容貌は変化していたそうだ。
 ただ胸に短剣を刺している息子の姿にたいそう驚いたのだと、その時のことを思い出してかノルウェラ様の顔は青ざめる。
 命に別状はないから団長とハーレの所長を呼んでほしいと彼が言うので急いで連絡を取りつけたものの、ことの成り行きを寝台の傍で取り乱していたトレイズから聞き出そうとしたが、過去やら何やらと意味がわからなくて自分まで混乱してしまい情けなかったと、苦悩の表情を浮かべていた。
 
「だが貴女が対応してくれて助かった。それだけでも数段違う」

 使用人の男性が王子に大きな椅子を勧めていたが、頑なにそれを拒否していたのは、こういうことを見越してのことかと、彼女の背中を優しく撫でる王子の姿を見守った。

 ノルウェラ様はひとしきり涙を流したあと、ハンカチで頬を拭う。
 屋敷の主である公爵は城に出向いているようで、姿は見えなかった。
 ロックマンが呼んでいたという騎士団長とロクティス所長も、数刻前に同じく屋敷を出てそれぞれ城へ、ハーレへと戻ったようだった。そしてその時に団長がトレイズも連れて行ったらしく、この屋敷にいるのは四男であるキース君とノルウェラ様、横になっているロックマンと、使用人のみとなっている。

「アルウェスのあの状態は……魔力はどうなっているんだ?」

 聞きにくそうに一度言葉を飲み込んだが、王子は腕を組むと前へかがんでノルウェラ様に視線を投げかけた。
 王子の話によると、彼女は公爵家の娘としては珍しく治癒魔法にとても長けた人物だといい、人体について病気や毒など特に知識が豊富な方なのだと聞かされる。
 ノルウェラ様は膝に置いていた両手を強く握り締めて、前を向いた。

「身体を巡っている魔力は、邪悪そのものよ」

 眉をひそめて、口を開いた。

「魔法が使えるか、試しにいくつかの簡単な呪文を唱えるように促したのだけど……火の魔法どころか、生活魔法さえ使えなかったわ」

 視線を落として、もう一度強く拳を握った。

「あの子に聞いたのよ、いったい何をしたのかと。そうしたらね、ただ呪いを変えただけだって」
「呪い?」
「この短剣」

 使用人の男性が後ろから布に包まれた何かを彼女に渡した。
 ノルウェラ様はそれを受け取ると、テーブルの上に置く。布が上から剥がされて、中から出てきたのは色んな宝石が柄の部分に埋め込まれた、一本の短剣だった。

「短剣に術が施されていたみたいなの。自分の記憶を殺すものだと言って、でも記憶をなくすのは嫌だから、魔力を一時的に殺すような術にしたって」
「つまりそれは、一時的に魔力をなくすと……? だが魔法が使えない状態というのは、死んでいるのと同じだぞ。シュテーダルの時もそうだったが、魔力がなくなるのは生命が途絶える時か、海の国でのように魔法が外部の影響で使えなくなるかだ。ナナリーも生命力がかけていると言われたときは一か月も寝込んでいたろう」
「でもそう考えるとよ、ナナリーみたいに一ヶ月そこらで元に戻る可能性もあるんじゃね? おばさん、大丈夫だって。な?」
「それならいいのだけど……。気にかかるのはあの子の身体にある魔力なの。まるで魔物そのものなんて、どうしたら」

 本人から直接聞き出そうにも、眠ってしまっているので聞くことが出来ない。城にいるトレイズもきっと深くは知らないだろう。分かっていれば今頃こんなことで彼女は頭を悩ませていたりしない。
 記憶探知で探れることにも限界がある。
 ここで時の番人を使うのも、おそらく難しい。無闇には使えない。
 
 そうなると頼れる当事者はあと一人だ。

「魔物に、聞くしかないでしょうか」
「魔物?」

 魔物に聞く、という言葉に戸惑いを見せるノルウェラ様。
 私はサタナースが持つ小さな箱を指さし、中に件の魔物がいることを伝えた。

「意思疎通のはかれる、言葉の通じる魔物です。こちらの話を聞いてくれるか分かりませんが、トレイズに呪いをかけた張本人でもあるので、騎士団のほうで上手く聞き出してもらえれば何か分かるかもしれません。あの時ロック……ええと、アルウェス様が言っていたんです。魔物の思考が読み取れると。恐らく逆も然りだと思うんです。魔物と彼の間で、おかしな契約が結ばれたのかもしれません」
「なるほど。魔物に尋問ね……」

 ニケは出されていたお茶を啜り、頷いた。
 まともに話してくれる気はしないが、ロックマンから話を聞くことが出来ないならあとはあの魔物しか頼みの綱はないだろう。
 ソファの端に座っているベンジャミンが、膝に乗っている時の番人に、ねぇトキおじさま、と声を掛けた。

「おじさまの体は魔石で出来ているって言ったわよね? 魔物のこと詳しかったりするかしら?」

 皆は時の番人に視線を向けた。
 ノルウェラ様は魔石のことも当然知らないので、目を瞬かせていた。
 だがその前にと、ゼノン王子が片手をあげて屋敷の部屋を見渡す。

「待て、アルウェスがああなっているということは、この屋敷の魔法も解けているということか」
「ええ。ミハエルが代わりに防御魔法や反逆の術を施してくれたけれど、アルウェスほどの精巧さではないの。こんなことを言ったら怒られてしまうわね」
「いいや、そうか。ならこの話はここまでにしておいたほうが良い。ニケ、島の宿舎へ急いで戻ろう」
「今すぐにですか?」
「ああ」

 情報漏洩は何としても避けなければならない。
 ここでうっかり誰かに盗聴でもされていたら、時の番人の騒ぎとは比にならない問題が起きてしまう。新たな問題が起きるのは避けなくては。

「その短剣、騎士団に預けてもらえるだろうか?」
「ええ。頼みます」

 短剣を受け取ったゼノン王子はノルウェラ様に会釈をして、私達へ指示を出す。

「時の番人にも話を聞きたいからな。第一発見者はお前達だ。ベンジャミンが来てくれると助かる。ナナリーは一度ハーレへ戻ったほうが良いだろう。仕事途中だったんだろう?」
「そうですね。所長に報告をしないと……」

 勝手に抜け出して、もう夜だ。
 あいつが倒れてから一日も経っていないというので、過去での時間経過はそれほど影響にないらしい。
 しかし事情があるとはいっても、一日なんの報告もしないというのはいただけない。

「俺達はともかく、ナナリーは魔法陣で移動した方がいいだろう。お前を狙っていた魔物のこともあるから一応な。簡単にやられるとは思わないが念のためだ」
「しばらくは気を付けます」

 各々はソファから立ち上がり、移動の準備を始める。ノルウェラ様にも別れの挨拶をし、お茶のお礼を済ましてローブを羽織った。
 屋敷の外に出て使い魔に跨りだす友人達の端で、私は女神の棍棒を引き伸ばし魔法陣を展開する。
 ハーレの裏庭へ行けば、所長室まで近い。

「ナナリーさん!」
「?」

 屋敷の玄関先に出てきたノルウェラ様が、大きく手を振って私を呼んだ。
 後ろから慌てて使用人の男性が出てきたのを見るかぎり、走って来たのだろう。
 たった一、二回しか会ったことはないが、名前を覚えられていたことに驚いた。いや、覚えられていたというより、ゼノン王子が何回も私の名前を呼んでいたので当たり前か。

 彼女は端正な顔立ちに不釣り合いな、困ったような必死な表情で口を開く。

「あの子のこと、どうか……!」
「ノルウェラ様?」

 何か話しかけられているようだ。
 けれど転移の途中で、声がうまく聞き取れない。

 私は後ろ髪惹かれながら、ハーレへと戻った。

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