正直言って、シュテーダルという存在を目の当たりにして以降、いつかはこんな魔物が現れてしまうのではと危惧していた。
過去へ来る前にシーラで捕らえられたという魔物は人間に化けていたという情報があったし、魔物の中には確実に進化を遂げている個体が存在する。
≪サタナース、そこにいる?≫
「ああ、いるぜ」
≪この身体から追い出したあと、魔物はどこかへ逃げようとするだろう。そうなる前に風の魔法で捕まえてくれ。それまでは僕がおさえておくから≫
「退魔の魔法で消さなくていいのか?」
≪いいや、生け捕りだ。サタナース以外で、誰か退魔の魔法で魔物を引きはがしてくれ≫
夢見の魔物は実体がない。黒い靄みたいなものだ。
数年前まで、夢見の魔物と言えば宿主を喰らい尽くすまで身体から出ることは出来ない魔物で、退魔の魔法でない限り引き剥がせない魔物のはずだった。
けれど年々捕まえるのが困難になっており、件数は少ないが破魔士が駆けつける頃には宿主からいなくなっていることが多くなっていた。
それに伴い、最近では二人一組で依頼にあたってもらうことが増えている。
「それは俺がやろう」
「殿下待ってください!」
「?」
名乗り出たゼノン王子を止めて、私は両手を組んで指をポキポキと鳴らす。
驚いた表情の彼と目を合わせて、私は力強く言った。
「私がやります」
「あ、ああ……」
やる気に満ちた私を見てゼノン王子が若干、こいつにやらせて大丈夫なんか、という顔をした。たぶん生け捕りではなく魔物を消してしまうのでは、というくらい怖い顔をしていたのだろう。
でも待っていたのだこの瞬間を。
ずんずんと足音を鳴らしてゼノン王子を後ろへやり、立ちすくんだままの状態であるロックマン少年へ手を伸ばす。
「よいしょっ、と」
私よりまだ低いその背中を抱えて、手のひらを後頭部へ押し当てた。正面から抱き込むような形になる。
十六歳、という年齢にしては身体が幼い彼の頭は小さく、少しでも強く扱えば壊れてしまいそうだった。
こんな子どもによくもあんなことを。
≪ちょっと君、魔物殺さないでよ≫
「分かってる。ただ」
ロックマンが少年の首を掴んだまま、私を咎める。
殺すなんて人聞きが悪い。
「消しちゃわなきゃいいんだもんね?」
真顔で言い放つ私に、皆が一気に引いていったのを背中越しに感じた。
そう、生け捕りにすればいいだけで、無傷で捕獲してこいとは言われていない。
≪……≫
ロックマンも何も言わないから別に問題はないのだろう。
こちらは今まで散々なことをされてきたのだ。
トレイズはもしかしたら寿命を削られしまったのかもしれないし、ロックマンは胸に剣を突き刺されたうえに身体を乗っ取られ好き放題され、幼い私は首を絞められ苦しめられた。
今ここで仕返ししなくてどうする。
幸か不幸か女の恨みは長いこと持続するのだ。
ロックマン少年の身体に苦痛を与えることなく、魔物の気配だけに集中して退魔の魔法をかける。
苦しめるのはあくまで魔物本体なので、少年の顔が痛みに歪むことも声を上げることもない。
「ゴースエス・デアエイル、悪の根源は死に絶え――その身を灰と化せ」
少年の身体は光に包まれる。
これでひとまずはこの騒ぎもおさまるのかと、少しだけ胸を撫で下ろした。
『氷よ、吾と二人で世界を!』
あとは未来に戻ってこの魔物を引き渡すだけ。
『ああ、なんと尊いことか!』
けれど、と魔法をかけながら思う。
元はシュテーダルの一部である魔物。記憶もあると言っていた。それなら始祖達と共に過ごした記憶もあるのではないだろうか。
『氷め! 氷め!』
シュテーダルがあんな風に世界を憎むことになってしまったきっかけは、彼を生み出した五人の始祖達のせいであり、氷の彼女との恋に破れてしまったせいでもあるのだ。
だから何度も復活してはまた同じことを繰り返すのだろう。
破壊されても幾度となくそれは続く気がする。
完全に破壊できるまで終わらない世界。
ここでこの魔物をどうにかしたとして、まだ連鎖は続いていく。こうした事がまた起きるのは目に見えている。
そしてこれから先もずっと憎むだけしかできない世界で、シュテーダルは同じような憎悪をこの世界の全てから向けられるのだ。
こうして今この魔物も、私から憎しみを込められた魔法を向けられて、苦痛の末に騎士団で拷問や実験をされるに違いない。
到底許されないことをしたのだから当たり前ではあるのだが。絶対に許してやるものか。
『オマエノせいだ』
でもこの魔物がシュテーダルの一部であるならば、次にもし生まれ変われる、魔物ではない違う何かになれたそのときは、
「あんたもさ。次はもっといい恋しなよ」
指を鳴らして、痛みを伴うような退魔の魔法ではなく、引きはがすためだけの魔法へと変える。
小さい背中をポンポンとさすった。
魔物の根源に憎しみがあるのなら、世界を変えられるのは、もしかしたら魔物を倒す特別に強い力なんてものではなく、もっと違う、ほんの些細なものなのかもしれない。