*アルウェス・ロックマン
 入学初日。
 気づいた時には勝負を挑んでいた。
 体感的には、挨拶をしようとしたらいつのまにか口から「じゃんけんしよう」と出ていたので、言い終わって勝負がついたあとすぐに我に返る。
 勝ったことになぜか相手を見返したような感情が胸に広がり、手のひらを見つめた。
 自分は何をしているのだろうと。

「じゃんけんしよう」
「はぁ!?」

 目の前の少女は、幼い頃突如現れた幻の女性とは違う。
 合っているのは焦げ茶色の髪の毛というところだけ。どことなく服装も似ている気はするけれど、まず年齢も全く違うのに。落ち着きもない。

『ここ、どこ?』
『私のおうちだよ』

 あそこがどこだったのかわからない。夢遊病を見ていたにしてはかなり色濃く記憶が残っている。それに伯爵の屋敷から勝手に出ることも当然出来ないわけで、ただ夢を見ていただけだと割りきれば良いわけだが、けれど夢に置いてきたはずの、手に握っていたあの小箱は研究所の自分に宛てがわれた部屋に転がっていて、見慣れない服も起きたら着たままだった。
 伯爵が僕を起こしに来た時は『また魔力がいたずらしたのかな?』と魔法のせいでおかしな格好をしているのだと思われた。

 強力な制御装置(魔具)に囲まれた状態でも魔法を引き起こしてしまうとは厄介だ、もっと性能の良い魔具を作らなくては。
 博士は難しい顔でそう呟いていた。

 赤子の頃からの記憶が残っている。
 今は亡き曾祖父が産まれたばかりの僕を見て、悩ましい表情で言った。

『欠陥品か。次は優秀な男子を産みなさい』

 僕を見ながら母へ放たれたその言葉を、大きくなるにつれて理解していった。一、二歳頃には分かっていたのかもしれない。周りの大人がそれを僕の目の前で口にするたびに顔をしかめる。良いことを言われているとは思わなかった。でも欠陥品の意味は分からないから、大人たちの表情で僕は怒られているのだと思った。

 けれど伯爵と本家の使用人が僕に向かいそれを口にしたことはない。ただそれ以上に、かわいい坊やと大人達はみな頬を赤くして頭を撫でてくれた。だから愛されていなかった幼少期を送ったという覚えはなく、それなりに愛情は受けていたと思う。ただ嬉しい悲しいと表に感情を出すと大人達が慌てて大変になることが身に付いていたので、笑ったりして返すことはなかった。

 金属の杖、蝋の人形、腐りかけた大木の一部、赤い宝石、緑の大きな石、分厚い辞書、木製の時計。玩具のように部屋に散らばる道具は、みんな魔具だった。それに触ると身体の中心から力が抜けて楽になる。周りのものは壊れないし、部屋の中では気にしないで過ごせた。部屋に入ってこられる大人もアリスト博士だけなので、彼にはよく笑っていたと思う。




『あんたは凄い魔法使いになる』

 幼いながらも魔具で遊んでいて時々思い出すことがあった。
 あれはいったいなんだったのかと。

 あの女の人と手を繋いでいる間は、この魔具のように力を吸いとってくれているかのように身体が楽になっていた。食べたことのないお菓子。味も覚えている。
 あれが夢でなければ、本当に自分はどこかへ飛んだのだと思った。魔法で散々痛い目にあってきた。そういうことがあっても不思議じゃない。
 ならあのナイジェリーという人は誰なんだろう。どこいにいて、何をしているんだろう。会いたいなぁなんて、魔具に触れるたびに思い出した。
 知らない景色を沢山見た。
 初めてお菓子を作る工程を見た。
 あんなに自信に溢れた表情で、まるで自分のことのように、僕へ凄い魔法使いになるのだと言ってくれた。誰にも言われたことがなかったから、驚いた。

 ずっと笑っていた。
 僕も笑えた。

 ずっと一緒にいられたら良いのに。

 けれど女の人は一緒にいられないと言った。
 現実的な言葉で返される。
 子供だからといって出来ない約束はしない人。

『もしこの蓋を開け続けないでい持っていたら、きっともしかしたら、嫌でも顔を合わせることはあると思うし、会ったら会ったで喧嘩もしょっちゅうする、腕を凍らされることもあるだろうし、髪を燃やすこともあるだろうけど、でも絶対に凍らないし燃え尽きない、何年も何十年も、よぼよぼの老爺になるまで、ずっと喧嘩でもして。いつのまにか、一緒に歳を取っていくのよ』

『兄弟でも友達でもない、恋人でもない、でもあんたと私はずっと繋がり続けるの。そしたらちょっとは寂しくなくなるでしょ? 私の箱、あんたにあげるから。泣くんじゃない』

 兄弟でも友達でも、家族でも恋人でもない、隣の席の女の子。
 一日のうちの三分の一、その時間しか顔を合わせない人間。時間で言えばゼノン王子や貴族の子達のほうが一緒にいる時間は長い。

「勝負よ!!」

 隣にいるこの負けず嫌いな少女は突っかかってくる。まるでずっとずっと喧嘩しているみたいだ。
 ずっと隣にいるのも面倒である。

『喧嘩もしょっちゅうする』

 この子はあの女の人じゃない。
 喧嘩したって無駄だし、喧嘩をしたところでこのナナリー・ヘルという人間に体力を消耗されるだけ。

 それでもその瞳が、強気な表情が、揺れる髪が、僕の身体を動かす。
 今思えば願掛けに近い感情があったのかもしれない。




 馬が合わない人間は少なからずいる。隣の席になったのは運が悪かっただけで、最初の接触の仕方がすこぶる悪かったせいか口喧嘩も耐えない。
 だから髪色が変わっても放っておけば良かった。魔力に苦労すればいい。しばらく経てば身体から溢れ出す魔力が、ペストクライブのように周りを渦に巻き込み荒れさせるだろう。
 かわいそうに。
 そう思っていたのに、寂しげな背中で教室を出る彼女ばかりを想像してしまった。
 個別の部屋で隔離されるナナリーヘルを脳裏に描いた。
 放っておけばいい。

 なのに、恐怖を感じてしまった。昔の自分を、他人であれ重ねて二度と見たくはなかったのだろう。力を抜けるように物理的にも手を出すようになったが、けれどけして彼女のためなんかじゃない。腹を殴って彼女のため、だなんて恩きせがましいにもほどがある。
 純粋に、思ったのだ。
 もし自分が萎縮せずに伸び伸びと、制御されない空間で笑える人生を送れていたらと。
 見逃してこの女の子から笑顔が消えるようなことがあれば、僕は僕を許せない気がした。



 同学年より4歳年上の僕は、4歳年下の彼等には勉学でも魔法でも負けは許されない。
 そのために常に一番を取り続けた。
 けれど厄介なことに隣のナナリー・ヘルはまたもや僕に恐怖を与えてくる。
 常に二位でいる彼女がいつ僕の背中に噛みついて追い抜かしていってしまうのか分からない。どんなに引きはなそうとしても近づいてくる、勝利への執念深さ。隣の席というのも精神的に圧迫をされていた。わずらわしい。

 貪欲に魔法を学び、吸収し、誰にも追いつかれない程の知力と魔力を自分の物にする。バケモノと呼ばれても、欠陥品なら、欠陥を補うのではなく欠陥を磨けば良い。そこを磨けば他にはない完璧なものになる。おかげで自分は随分楽になった。
 他人との意思疎通に関してはゼノン王子との交流の中で学んでいった。しかし彼は真っ直ぐに自分の気持ちを言葉にする性質なので、逆に捻くれた思考を僕が持ってしまったのは何故なのかと父から苦笑ぎみに言われた。それは自分でもわからない。
 母のように柔らかな香りを纏った女の子たちは好きだ。だから無下にはしないし、優しくするのは相手が笑顔になるから。それに可愛い。無理に彼女たちのご機嫌取りをしているわけじゃない。

 じゃあこの女の子は?

 しかめ面を見せる水色髪の女の子。


 言葉は魔法だと、僕は思う。
 耳に入ればそれは脳を支配し、身体を拘束する。
 無意識に、あのナイジェリーという女の人の言う通りの自分になってきていた。

『あんたは将来、すっごい魔法使いになるよ! 私が保証する!』
『でも』
『私より、誰よりも、すっごい魔法いっぱい使って、そんでもって女の子にもモッテモテになるんだから!』
 
 凄い魔法使いになって、女の子にもモテモテになれば。また会えるかもしれない。
 そして今度こそ手遊びで勝って、ずっと一緒にいてもらう。
 そんな馬鹿みたいな考えがいつまでも消えない。
 言う通りになったからと言って、また彼女に会えるわけではないのに。
 大概自分は愚か者だと、もう一人の僕が囁いた。






 学生生活、最後のパーティー。

 魔力を自分の力にしてきたヘルに魔法を使うことはなくなった。それ自体は良いことで僕の役目も終わったというのに、彼女との言葉での攻防は尽きるところを知らなかった。まともに会話した場面は少なく、覚えてはいるけれど思い出すのも面倒になる。
 パーティーは退屈じゃない。
 たくさんの女の子とふれあい、ダンスが出きる。ただ、特別な人を決めてしまうと自分も周りも苦しくなるのは分かっているから、この人だとパートナーを決めることはない。

 ナナリーヘルは遅れて会場へとやって来た。
 学びや勝負事での行動力は凄まじいくせに、たまに鈍臭いところがある。同じ部屋だという他の子はとっくに会場へ着いているというのに。
 淡い碧のドレスを身に纏うヘルを目にした会場の男達は、一瞬で彼女に釘付けとなった。普段の私服からして肩など出さないヘルの貴重な姿と、ほんの少しの色気にあてられて、自分のパートナーから目を離している何人かの男は、女の子から叩かれていた。

 けれど、いつも通りだと思った。特別騒がれるような劇的な変化は見た目になく、隣にいるマリスのほうがいつもより数倍魅力的になっている。
 着飾ったヘルに目を奪われる男爵息子には、目を奪われている暇があるならダンスに誘えと助言をしたくなった。



 パーティーの終盤。
 最後にまわってきた教師の出し物は、僕を透明にするというものだった。ボードンという教師に僕は相当苦手意識を持たれていた自覚はあるが、それでもしつこくこの教師は僕に関わってくる。特にヘルとの喧嘩になれば基本放っておかれることも多いが、体当たりで止められたこともあった。他の生徒同様本気で怒られることもある。

 そんな教師にはお節介すぎる気質があることも六年の間に学んではいたけれど、ここでどうしてわざわざ外の庭に出ていたヘルの元へ僕を送るのか。おかしな魔法を使われたのは分かる。そもそも透明にもなっていない。精神、心理的な物を織り混ぜた魔法だ。

 噴水に腰をかけていたヘルが振り返る。
 ああ言えばこう言う。こんな場所でもまた始まった言葉での攻防に、なんだか笑えてしまった。
 碧のドレスが夜空の月明かりに照らされて淡く光る。





 そう、彼女はいつも通りだ。

 ずっと思ってたよ。

「美しき氷の魔女よ、私と踊っていただけますか」

 着飾った姿も普段の姿も、僕の目には同じに見えていた。

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