雨だれ
 

 緩く落ちる雫に、街は囲まれていた。コンクリートは濃いグレーで、跳ねる水滴が薄い水溜りを作り出す。今朝のニュースを見なかったことが祟って、承太郎は悩んでいた。春の雨はだらだらと長く、怠惰で、眠気を誘う。久しぶりに仕事が早く終わったので、帰宅し熱い風呂にでも浸かりたかった。
 これでは帰る前にずぶ濡れは確定だ。何処かで雨宿りでもしようかと思ったが、それも些か億劫だ。
さて、どうしようか。夕刻は、分厚い雨雲に覆われていて暗い。
 燻っていても仕方が無いと、いよいよ走り出そうとした時に、尻ポケットの中の携帯電話が規則的な振動をした。
「承太郎?」
 電話の向こうで聞こえた声は、ディスプレイでも確認した花京院の携帯電話だった。「携帯? 嫌だよ、面倒くさい」と、契約の時、ごねた花京院に、半ば強引に承太郎が持たせた。「常時連絡がつく世の中っていうのは怖いね」と悪態を付いた花京院の顔は、今でも記憶に残っている。
「今どこ?」
 しかし蓋を開けてみれば、使いこなしているのは花京院の方で、彼はせわしなく動くメールや、電車の乗り換え、天気予報なんかも、その小さな端末で巧みに当てて見せるのだ。便利になったものだと、承太郎は思う。
「駅」
 花京院の質問に、承太郎は短く応えた。電話の声は、どこか遠く、薄い。
「傘持っていかなかっただろう? 今、隣駅まで車だから、迎えにいくよ」
 花京院は言った。電話の向こうに、微かに車のハザードの音が響く。わざわざ電話をするために、どこかの路肩に止めたのだろう。
「ああ、悪いな、頼む」
 承太郎は激しさを増して雨を降らせる、重く淀んだ雲を見上げて言った。
「迎えに行くまで、スーパーで買い物してきて。冷蔵庫空っぽなんだ」
 花京院はそういって、電話越しに笑った。耳が擽ったい。
また、あとで。と、電話を切った花京院に倣い承太郎も携帯電話を再び尻ポケットに押し込んだ。駅の周りには、たった今滑り込んできた車両から排出された人間で混み始めている。
 それぞれが、帰宅に向かう流れに逆らい、承太郎は駅のスーパーに向かった。夕食は何にしようかと考えながら。




 カチ、カチ、カチ、カチ、と、リズミカルになり続けるハザードを解除して、花京院は路肩からゆっくりと車を走らせた。雨の日の夕方は、いつもに増して交通量が増える。
傘を指す人は、みな足早で自転車が急に飛びたしてきたりするので苦手だった。教習所で初めての路上運転を受けた時も、こんな風な雨だった。路面の雨で、タイヤのブレーキは晴天時よりも幾分かかりにくくなります。車間距離を開け、ゆっくりとブレーキを踏みましょう。
そう語る教員の言葉は、実践では何の役にも立たなかったので、花京院は一回多く路面の教習を受けたのだ。
 しかし、もうそれも慣れた。ブレーキを踏む感覚も、交通量に応じた車間距離も。
そして、濡れたアスファルトを滑るタイヤの音と、レコーダーから流れるジャズの音色は、意外と嫌いではない。この分なら駅までおよそ十分程度だろう。赤に変わった信号の前で、車は緩やかに停車する。
花京院は、承太郎がしたのと同じように曇空を見上げてみた。どこからともなく、雨は際限なく降りしきるようだ。
承太郎が、こんな早い時間に帰宅するのは稀なので、それゆえに降った雨かもしれない。今朝のニュースでは雨の予報は無かったのだ。
「車で来て正解だったなあ」
 信号が青に変わったので、花京院の意志で、車はまたゆっくりと走り出す。
 フロントガラスに次々と滑り落ちる水滴を、ワイパーが丁寧に拭っていた。承太郎と折檻して買ったこの車は、本当に良くできている。
「あ、承太郎に洗剤も頼まなくちゃ」
 次に信号につかまったらメールをしよう。花京院の車は、雨の中優雅に走った。



 ごめん、洗剤も。と、記されたメールの最後には、ピンクでキラキラとしたイルカがいた。
承太郎は一旦並んだレジから離れて、洗剤売り場にきたが、洗剤というのが風呂場の石鹸なのか、洗濯用の石鹸なのか、はたまた台所用なのかも解らずに、ひとまず途方にくれる。
(……風呂場の石鹸はあったな)
 確か。と、思うが確信が無い。確信が無いので、決断できない。周りから見れば、洗剤売り場の前で大の男が、うんうん、と、悩んでいる姿は無様だ。
恐らく、減りの早いのは台所用だろうと当たりをつけて、承太郎がそれを手に取ると、背後からするりと腕が伸びてきた。
「違うよ。洗濯用のやつ」
「花京院」
 承太郎が振り向いていうと、花京院は承太郎の持つカゴの中に洗剤を放り込んで髪をかきあげた。ピアスが緩く揺れる。
「ごめんね、買い物ありがとう」
 花京院は言うと、レジに向かう承太郎の横で財布を出した。気にするなと言おうとすると、空いていたレジの店員がこちらにどうぞと手を上げた。
「あ、ちょい待て」
 何かを思い出したかのように、レジに花京院を残して承太郎が離れた。店員は早くも遅くもなく一つ一つのバーコードをスキャンしていく。野菜と肉、ピーマンがあったので肉詰めだろうかと花京院が思案していると、ふらりと承太郎が戻ってきた。化粧品売り場から現れた彼は、大分中身の減ったカゴの中に、ぽいっと、小さな箱を放り投げる。
瞬間、花京院は柄にもなくギョッとした。
 店員は相も変わらず平然とそれらを合わせてスキャンする。肴のチーズ、発泡酒、レジの前にある電光番に名前が出てくる。薄さ一ミリ以下のコンドーム。
「合計三千と二十四円です」
 花京院は動揺しながら財布を開ける。札と五百円玉を出して、店員がそれを受け取った瞬間に、二十四円あったじゃん、と財布の中を覗き込んだ。
自分の顔色は変わっていないだろうかと、思いながら。
「ありがとうございました」
 店員が流れ作業のごとくにカゴをレジカウンターの端に移動させた。ご丁寧に、一番上の隅にコンドームが設えられている。
未だに、こういう行為に花京院は慣れない。例えば童貞臭いだとか、歳の割りに経験値が低いとか、そういう苦言さえも受け入れてしまうくらいに慣れていない。
しかし、世の中の男は、こういうものを当たり前のように買うのだ。店員が男だろうが女だろうが、いざという時には。
「どうした?」
 そんな花京院の違和感に気が付いて承太郎は袋に品物を詰めながら言ったが、そんなのに反応できるわけでもない。ただ、低く「別に」というのが精一杯だった。
 立体駐車場に停めた車の元に戻り、鍵を開けると、承太郎がぬっと手を出して来た。
「腹でも痛いのか? 具合が悪いなら運転変わるぞ」
「え、あ、ごめん。大丈夫だよ。お構いなく」
 承太郎の顔を、ここでまじまじと眺めると、目の下に黒い隈が出来ていた。あまり眠ってないのかもしれない。
「君は助手席で寝ていていいよ、道路は混んでいるから、きっと少しかかる」
 少しかかるといっても、恐らく十数分だ。それでも、承太郎はその花京院の好意を受け入れることにした。眠いというのは確かにある。確かにあるのだが、それよりも前に、先ほど背後から突然伸ばされた花京院の腕の肌が、頭から離れない。
 言いようも無いくらいに、花京院の肌が欲しいと、承太郎は思っていた。買い置きのコンドームが無くなっていることにはいち早く思考が働くのに、洗剤は何が切れているのか分からないくらいに。
だが、先ほどまで思っていた風呂に入って泥のように眠りたいというのも、欲求としてある。
そのためには、まずはこの睡魔をなんとかしなくてはならない。途中で寝落ちするなど、有るまじき行為だ。
「じゃあ、安全運転頼むぜ」
「オッケー」
 花京院が軽い様子で言う。まだ、雨は止みそうに無い。承太郎は窓の外に視線をやった。隣で花京院が、レコーダーから流れてくる音楽を口ずさんでいた。



 夕食は、ピーマンの肉詰めと、味噌汁だった。白米は二人分なのでいつもより多く炊く。二人で暮すようになってから、生活の乱れもあったが極力一緒に食事を取ってきていた。
しかし、こうして対面するのは、なんだか酷く久しい気がして、花京院は箸を口元に運ぶ承太郎の顔に見とれた。
 視線に気がついた承太郎が、なんだ、と首をかしげる。
「久しぶりに一緒にご飯食べるから、やっぱり独りよりいいなって思った」
 それだけだったのに、承太郎は堪らなくなる。互いに成人した男であるから、寂しいとか構ってくれだとか、そういったことを躊躇いなく口にすることは少ない。互いの仕事に関しても時期により立て込むことがあるというのも、十分に承知していた。
 だからこそ、こういった食事の時間はかけがえない。
「そうだな」
「ご飯食べたら、お風呂入る? ぼくは見たいドラマがあるから、よかったら先にどうぞ」
 いつの間に沸かしたのだろう、承太郎には分からなかった。
「そうだな、熱い風呂に入りたい」
「やっぱりね、そういうと思ったから熱めにしといた」
 ピーマンの肉詰めを頬張った花京院の口元に笑みがこぼれている。幸せそうなので、承太郎はほっとする。自分の我儘に付き合わせてしまっているのではないかと、不安になるときがあったからだ。
「お風呂出たらビール飲もう。発泡酒だけど」
 飲み干した味噌汁が、喉を下っていく。花京院の髪が顔に影を作る。幻想的で承太郎は同じく見とれた。
「……風呂、おめーも入るぞ」
 皿の上の最後のピーマンの肉詰めを花京院の茶碗に乗せて、承太郎は味噌汁をかきこんだ。
「見たいドラマがあるんだってば」
「録画してんだろ?」
「そ、そうだけど」
 米の上の肉詰めを、箸の先で突きながら、煮え切らずに花京院はつぶやいた後に、小さくため息をついて仕方がないなという風に頷いた。



 最近の承太郎は、昔と比べて随分と角が取れた。落ち着いたというよりも、文字通り四角だったものが丸になった印象だ。洗面所で服を脱ぎながら花京院は瞑想する。
もちろん花京院自身も変わっている。昔のような斜に構えたとらえ方をしなくなった。良くいえば柔軟性が出て、悪く言えば適当になったのだ。それが成長するということなのだから、否定するつもりも毛頭ない。
(そもそも立派な大人になろうなんて考えてなかったし)
 洗面所で服を脱ぎながら、花京院は鏡の中を見て思った。下着姿のまま、洗面台の鏡に写る自分の肌から目を背ける。
「おい、洗濯機回すか?」
「んー、部屋干しになるし、明日でいいや」
 さっさと服を脱いだ承太郎はそれらを手早く洗濯機に放り込んで、さっさと浴室に入ってしまった。一緒に風呂に入ろうなどと提案してきたので、てっきり何かしようと思ったのかと案じたが、案外そうでもないらしい。本当に、風呂に入りたかったのだろう。
「シャワー先に使ってていいよ。顔洗ってから入るから」
 花京院は、前髪を布地のヘアバンドで止めてから承太郎に言った。洗面台でたっぷりと泡立たせた石鹸で顔を洗う。
シャワーの音が、まるで降りしきる雨のように鼓膜を刺激した。目を瞑っているので、なおのこと音が耳につく。さああ、と、雫の滴る音。
(……早く入ろう)
 承太郎の肌を、網膜に思い出しながら、花京院は丁寧に顔を流してから浴室に向かった。



 湯気で曇る。花京院が入ると、それに背を向けるようにして、承太郎は目を閉じ、頭からシャワーを浴びていて、微動だにしなかった。
水の玉が落ちる背中に指を這わせる。自分は、随分と意地の悪いことをするものだと、花京院はひたりと、手を添えてみた。
「背中、流してあげる」
 申し出に承太郎は短く返事をした。ごし、と、泡立てたネットでその背中を撫でる。あちこちに小さな傷があって、それはかつての旅の傷や、彼が幼い頃に追った怪我や、そして花京院が切り揃えたばかりの爪で彼の背中をかきむしった傷でもあった。
「眠い?」
 承太郎があまりにも無言を貫くので、花京院は彼の背中にそっと問いかけた。
「ああ、少し」
 やっぱり、と、花京院は小さくほほえんだ。風呂を上がったら、眠ってもいいよ、と、言えればよかったかもしれない。
花京院が黙っていると、承太郎がゆっくりと振り向いた。厚い綺麗な形の唇を下だけ突き出すようにして。
 なに? と、訊いた花京院の唇を、承太郎のそれが奪った。分厚い唇に挟まれる、肌の温もりに触れる。泡だらけの承太郎の体が、花京院の体を覆った。するりと手のひらが花京院の腰のあたりに伸び、泡でぬめる。
「ん」
 ぱた、ぱた、と、蛇口から水滴がこぼれている。
「やっぱ、待てねえぜ」
 承太郎の手のひらが、乱暴に尻を撫でた。花京院の体に、ぞくぞくとした物が巡る。解っていたのだ、こんな風に触れられることも、望んでいたのだ、緩慢な動きで触れられることを。だから受け入れる。花京院は承太郎の腕に身を委ねた。
 形をなす、浅ましい様な体を、花京院は惜しげもなく晒す。腹の辺りに残る傷は、今もなお生々しいというのに、二人ともそれを忌々しいだとか、汚らわしいだとかは思わなかった。
 傷を舐め合う獣とも違う、もっと、慈愛に満ちて、愛しくて仕方のない感情。
 絡め合った舌が、ゆっくりと離れた。風呂場の熱気で上気した承太郎の頬に触れる。体の真ん中が熱い。
「とっとと出ようぜ」
 じっくり浸かるつもりだった風呂に、承太郎はもう未練がないというように、体を離すと、泡で塗れた互いの体を手早くシャワーで流した。ついでに花京院にも頭からシャワーをかける。今度は花京院が目を瞑る番だ。
 承太郎の大きな手のひらが、頭全体を覆うように指で撫でる。シャンプーの香りが、二人から同じように発せられた。ジャレ合うように互いを流し、承太郎が先にあがり、花京院は期待に富んだ思いで体を整える。
 洗面所で、承太郎が待っていたので、頬を赤らめながら互いの体の水滴を拭う。
 外の雨は、もう止んだだろうか。



 もつれ合う、頭の天辺から、足の指先の爪まで解け合うくらいに、絡めて溶けて、揺れる。何度も執拗に体のあちこちを暴かれた花京院は、シーツの上でぐったりとしながら、左腕で顔を隠した。
 こじ開けられた体の中心を、承太郎は丁寧に撫でた。指を埋めると、花京院の喉がひくり、と上下する。恐怖と違和感は一瞬だ。息を詰めて、その先に見える快楽を待ちわびながら、花京院は短くて熱っぽい息を何度も吐いている。
 くち、と、埋めた二本の指を丁寧に動かしていると、花京院の唇から、短い声が漏れてきた。
「痛くねぇか?」
「……大丈夫」
 解されている、その感覚に、花京院はとんでもない羞恥を感じる。レジのカゴの中に放り込まれた、薄さ一ミリ以下のコンドームのことを思い出していた。
 今、触れている互いには、そんな隔たりもない。どろどろに交わる体に、そんな異物は必要ない。
 花京院は、うう、とか、ああ、とか、そういった声を上げながら思った。どうして自分が、そういった直接的な物に嫌悪するのだろうかと。
例えばその避妊具だとか、特定の場において使われる拘束具だとか、女性の脱ぎ捨てる下着だとか、たわわな胸だとか、自分の体にある隠しきれない起立だとか。どうしてそういう性を関連させるものが苦手なのか。
 たぶん、それはきっと、命を育む行為だからだ。冒涜している、とは思わない。ある意味での求愛で、ある意味での慰めで、思いをダイレクトに伝えるための、別々の個体が触れ合うための、そういった必要ある行為だと解っている。
 花京院は、捨てられる数々の命の源を、大ざっぱに流し捨てることの罪悪感、命を葬るような行為すらも、正しいと教えられなかった。
「おい」
 承太郎が、ぐ、っと体を寄せた。嘆息する花京院の額に張り付く髪をかきあげる指先は、男らしい。
「な、に」
 余裕なんてないのだ、話しかけられても、いつものように返せない、動揺。
「嫌か?」
 承太郎の質問の意図を、だるい頭で考える。セックスが? と、直に問う。
「嫌じゃない、嬉しい」
 繋がれることが嬉しい。誰よりも、この光に愛されている男に愛される自分が、花京院は嬉しい。
 花京院は困惑したままそう言った。言葉を取り繕うよりも、直接伝えた方がずっときっと分かりやすい。
 それなのに、承太郎は腑に落ちない表情で、花京院を見つめた。瞳の奥に、自分が映っている。
「じゃあ、ぼんやりすんなよ」
 困ったようにそう言われて、花京院は自分の性器をみた。触れられることが気持ちよいと感じていたのに、それは半分萎えている。
「あれ?」どうして、と、花京院は首を傾げた。
「なんだ、どうした?」
「……いや、えっと」
 承太郎は、口ごもる花京院に飽き飽きする様子もなく、ただ静かだった。美しい瞳が、花京院をただ見つめる。
「どうした?」
 もう一度訊く。こんなことくらいで、嫌になるような間柄ではない。お預けを食ったからといって、腹を立てて独り悲観することもしない。無限に優しい、承太郎は。
「ちょっと、考えてしまった。女性は抱けないのに、誰かを抱けないのに、こんな風に優しく触れられてもいいものかな、って」
 愛されて生まれたのだ。花京院も、承太郎も、この世に生まれているどんな生物も、愛されながら生まれてくるのに、愛して生むことができないという弱さが、花京院を重圧する。愛されることに、花京院は慣れていない。
「なにを」
 なにを下らないことを悩んでいるのだろうか。承太郎は悲しくなった。花京院は、こんな小さなことで悩み苦しむ。同じように、承太郎の胸も痛い。
 命を育めないからといって愚痴を垂れるような神などいないのに、花京院は、神を信じているのかと、承太郎は思った。
「快楽ばかり求めることが、悪いことか?」
 承太郎は言った。
「うん?」
 薄明かりの中にある花京院の表情は、泣いているように見えた。
「好きだ」
 承太郎は紡ぐ。少しでも花京院の心の中に響くように、焦らず、ゆっくりと紡ぐ。不徳も過ちも、それが例えば後々育まれる命であっても、覆せない思いが花京院の中にもあるのだろうから、その雁字搦めの感情を、ゆるやかに解く様に言う。
「おまえが、必要だ」
 今の自分には、おまえ以外はいらないのだと、それが例えば不道徳だったとしても、変えられないのだと、互いに、一線を越えたときから、引き返す道などどこにもない。
未来、その先に、例えば互いが別れる道があろうとも、それならそれで進むしかないのだ。
「だから、抱かせろ」
「……うん、お願い、ぼくを、抱いて」
 抱いて、と、花京院は腕を解いた。まだ胸に残るこの違和感は、一生消えることがない。だから覆って欲しい。自分だけの力ではなくて、誰かと一緒に埋めたかった。
「ごめん、抱いて」
「任せろ」
 ぎゅっと、花京院の体を抱き寄せた。時々、こんな風に弱い。人は、普段平気な顔をしながら生きている、笑っている。それでも、きっと弱い。泣きたくなることもある。
 だから、抱き合うのだ。孤独を埋めるために。


「うっ、あ……」
 萎えた花京院のそれを、承太郎が丁寧に愛撫した。されるがままだった花京院は、そっと承太郎のそれにも手を添えた。促されるように重なりあって、互いの手のひらで包み合った性器を擦り上げる。熱い、温度が上がる、胸の中のくすぶりが火花を上げた。
「あ、じょうたろ……いく…」
 腰の上のあたりが、重くなる感覚に身を委ねて、花京院はどく、と熱を吐いた。お互いの腹を汚す、命の種を、承太郎は指で拭った。
「も、……れて」
 挿入を乞う花京院の腰の下に、引き寄せた枕を挟んだ。ぐずぐずと唸るそこに、指を埋めると、また、花京院の喉がひくついた。
「……悪い、ゴム持ってくる」
「いい、いらない」
「おい」
 起きあがった花京院は、承太郎の胸を、トン、と押した。静かな吐息が聞こえる。
「そのままがいい」
 押し倒されて、跨る花京院の蕾が、じれったく承太郎の性器の先端を飲み込んだ。止める暇もない、飲み込まれる。
「……く」
 じわ、と、花京院の眦に涙が浮かんだ。そこの痛みではない、強いて言うのであれば、これは幸福だ。
「はっ、あ――」
 ぐぐぐ、と、腰を落として、すっかりゆっくり飲み込まれた。直接触れ合う、数ミリ以下の隔たりさえなく。
「くそ……」
 煽られるように、承太郎はしたたかに腰を打ちつけた。自分の上で、花京院が身を捩る。愛し気に頬を上気させて、別々の個体が交わり合う。ゆるく、溶けていく。
 久しぶりの温もりと、肌と汗の臭いに、承太郎は興奮を止められない。気がつけば、再び押し倒す。花京院の腰の位置が下がり、一瞬抜けそうになったが、それを乱暴に引き寄せた。突然の体位の変換に、花京院の思考はもう追いつかない。
 引き寄せられるまま、体の一番深い、自分でも触れない心の奥に、高ぶる愛情を打ちつけられる。そこから、熱が体中を犯し、心を溶かし、境目をなくしてしまう。
 自分がどこにいて、どんな顔をして、どんな声をだしているのかも、もう解らなくなった。ただひたすらに注がれる愛情というなの熱に浮かされる。
 ああ、これは、無限につながる螺旋の行為だ。



 ひやり、とした缶を、腹に当てられて、花京院は吃驚した。
「飲むだろ?」
 承太郎が、缶ビールを片手に、ぼさぼさの髪のまま言った。
「びっくりした」
 差し出された缶を受け取る。一口飲むと、冷えたビールが、まだ汗の引かない体を下る。
「大丈夫か?」
「ええ」
 優しいなあ、と、思いながら花京院は自分のふがいなさに頭を垂れた。ベッドの上に腰掛けた承太郎の背中に、額を預ける。息をする音がした。
「ゴム買った意味ねぇな」
 承太郎はごくごくとビールを仰いで、低く笑った。その逞しい体に、腕を絡める。互いに全裸で、また触れ合った肌が暖かさを増す。
「中で出された」
「おめーが突っ込んだんだろ」
 暴発した、と、承太郎は睦言には似合わない言葉を吐いた。行為のあとも、丁寧に仕上げをした承太郎は最早達人だ。
「……生まれるかな」ぼんやりと、花京院が呟いた。
「無理だろ」
 承太郎は、花京院の意図を読んで即答する。
「無理か」
「当たり前だ」
 でも、と、二人は思う。でも、たぶん互いの心の中には、また一つ新しい幸福という花が芽吹いている。
「はあ、眠い」
「そうだな、それには同意見だ」
 承太郎は、空になった缶をベッドサイドのテーブルにおいた。まだ中身の多く残る花京院の缶も、その手から奪い取り、同じように置いた。
 そして、花京院の腕をとって、ベッドに横になる。寝よう、今日はもう、眠ろう、と。
「明日は晴れるよ」
「天気予報か?」
「いや、予想」
 そうか、と、承太郎は欠伸をしながら言った。
 抱きしめた温もりが、心地の良い眠りに変わるまで、ずっと手を繋いだまま。




END






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