「花京院くん、これ、お願いしてもいいかな」
両手いっぱいに色鮮やかな箱やら袋やらを持ったまま、花京院は振り向いた。ショートカットの女生徒は、白い箱にピンクのリボンでラッピングされたそれを、花京院の荷物の上に置いた。
「こんなその他大勢みたいに渡して意味があるんですか?」
上履きの色をみて、花京院は年上の女生徒に呑気に尋ねた。彼女はあっけらかんと笑ってから「だって、普通じゃあ彼にバレンタインをあげたりすることはできないもの」と言った。
(あ、すごくイイ笑顔……)
花京院は、彼女の表情にどきりと胸を高鳴らせた。
「それじゃあ、よろしく」
パタパタと、上履きを踏む先輩の背中を見送って、やはり両手の山を担いだまま花京院は階段に足をかけた。教室につくまでにあと幾つの箱や袋が増えるのだろうか。もうこれ以上持ちきれない。
「承太郎、お届けものだよ」
「ん?」
昼休みで、人数の少ない教室を見に行っても、承太郎はいつもの一番後ろの席にいなかった。承太郎のクラスメイトに聞くと、朝から保険室に行ってしまっているらしい。
仕方なく、保健室に出向くと、先生はいなかった。代わりに、真ん中のテーブルで、承太郎は突っ伏して眠っていた。
花京院が近付くと、訝しげに顔を曇らせて、それでも、仕方がないなとでも言うように、彼は体を起こした。
「バレンタインデー。 ぼくは君にチョコを届けるキュービット」
「……ふざけやがって」
承太郎は右頬の口角をあげて、花京院をにらみつけた。骨太な犬歯がむき出しになる。
「弓道部の先輩もくれた。ぼくにかと思ったら君にだったんで、すごく腹が立つ」
花京院は嫌味っぽく言ってから、抱えていたチョコレートの包みを承太郎の机の上にばらまいた。色鮮やかな箱と袋と、それから手紙が交る。
「人気者。 こっちはゴディバ、こっちはモロゾフ。デメルにフーシェに、これはどこだろう。知らないなァ」
花京院はばらまいたチョコをあれやこれやと手に取りそして、無造作に開けた。
ぺり、と、外装をはがせば、甘ったるいくらいのチョコレートの匂いがあふれてきて、昼食後だというのに、花京院はそれを前歯で噛むと、
―パキン―と、気持のよい音をたてて割った。
「甘い、ちょっと甘すぎるかも」
ためらうでもなく、味わうでもない。花京院の食べ方は野性的で情緒に欠けた。
「食べてみる?」
「俺は、甘いものは嫌いで、お前はそれを知っているだろ?」
「それを知っているのは、ぼくだけでなくて、君を好きな先輩も、生徒も、友人も、たぶんみんな知ってる」
それでも、花京院は齧りかけのチョコレートを、承太郎の口元にあてた。差し出されたままのそれは、花京院の指の熱や、承太郎の唇の熱で、ゆるりと溶け出している。
「おい」
「いいから、食べてよ」
かつての花京院は、こんな風な言葉を吐く男ではなかった。承太郎はしぶしぶとそれを唇で食むと、そのまま口の中に放り込んだ。甘いカカオの味に混じり、ナッツの触感が舌先をなでる。
「美味い……」
舌に触れるざらついたそれを咀嚼しながら、承太郎はつぶやいた。
「ハハ、それは良かった」
花京院はもう一口、ぱきりと噛み砕いた。承太郎はふと花京院の手元を見る。これだけ並ぶ色とりどりの箱の中、花京院が手にしているのは、有名な銘菓の板チョコだった。
「これ、ぼくから君へのバレンタインだよ」
そっぽを向いたまま、花京院はつぶやいた。アシンメトリに長い前髪が、花京院の表情を隠す。肘をついて、窓の外を眺めている振りの花京院の頬に、かすかな赤みが指す。
「は?」
「だから、それ。ぼくの」
指でさした板チョコの半分が、いまさら酷くもったいなく思えて、承太郎は目を細めた。
「ほとんどオメーが食ってるじゃねぇか」
不満はそれだけじゃないが、承太郎はため息をつきながら、そっぽを向き続ける花京院の横顔をただじっと見つめた。
「いいだろう。それだけ貰ったんだから、ぼくからのなんて」
視線に耐えきれなくなって、ちらりとこちらを向いた花京院の顔は、やはり照れたように困っていて、若干むくれていた。
「安心しろ、これが一番うめェよ」
「安い口だね、もっと美味しいのも沢山―」
花京院が別の箱を手に取ろうとした。赤い包みに入って、きれいなリボンで巻かれている。掌がそれをつかむ前に、承太郎の掌が、それをからめ取っていた。
「なら、口直しだ」
ぐい、と、引き寄せられて、迫る承太郎の表情に、花京院はただ促されるまま唇を押しつけていた。承太郎の唇に残る、かすかなナッツとカカオの味。
「っ……」
「きちんともらった分は、お返ししないとな」
「ばっ、かやろう」
口元を押さえて、悪態をつく花京院だが、その表情が満更でもない様子で、承太郎は一瞬高鳴る胸の衝動を抑えるために、齧りかけのチョコレートを、口の中に放り込んだ。
まったく、ひどく、甘ったるかった。
2013/02/15