涙で溶ける
 

 非常に、勝手であると思う。我ながら驚くほどに。組み敷いた身体の軋みそうな細さにさえ欲情する。壊してしまいたくなった。彼の頑なな殻をぶち割って、その底にある黒々とした憎悪さえも愛おしめるほどに。
 花京院が、痛みに喘いだ。くぐもった声は、彼の高いプライドゆえに発せられる音だった。睨みつけてくるその細い視線が、承太郎の瞳を捕らえる。まるで、撫でられることを嫌う野良猫だ。雨の中濡れて震えているくせに、辛い世の中を知っているくせに、あくまで立ち向かう野生だった。
「……ンな表情してるんじゃねェ」
「離せよ、ジョジョ。君と格闘する気分じゃあないんだ」
「ジョジョって呼ぶんじゃねえ、承太郎だ」
 花京院は喉を鳴らした。恐怖しているのかも知れないし、承太郎を殴りつけようとしているのかもしれない。それをあらわすように、彼の手首に力が入るが、体格や基礎からして、組しかれている体勢を覆すようなパワーは花京院からは出ない。疲れているのかもしれない。この長い長い異国に。
「……ジョジョ、今すぐ退いてくれ、気分が悪い」
「黙れ」
「なんだ、機嫌が悪いのか?私が君に何かしたか?不快にさせたか?それなら謝ろう。だが私はこんな不当な扱いを受けるようなことを君にした覚えが無い」
 苛立った。その断定的な拒絶の言葉に、腹の底が煮えた。花京院は、全てのことに関して傍観者のように見えた。中立を気取りながら、全てのことに関して無気力だ。ただ、彼が、自分の母親を思ってこの旅に付いてきたことは知っている。知ってはいるが、彼の外郭からでは何も想像できない。出来ないのでさらに苛立って、こうして花京院を押さえつけることしか出来ていない。
(なんだ、これは)
 この競り上がる感情の名前もわからずに、承太郎はただ花京院を見つめた。相変わらずの視線は噛み合い爆ぜて、まるでシナプスへの電気信号だ。
「なんなんだ、いい加減にしてくれ。もう眠い、疲れたんだ、降りて……」
「なんでテメーはそうなんだ?」
 花京院の言葉をさえぎるように、承太郎は彼の腕を乱暴に捻り上げた。左手で、彼の両手首を再度縛りつける。身じろぎながら、それでも捻られた腕の痛みに、花京院はみっともない悲鳴を上げた。
「うッ」
 呻くのを訊かず、承太郎は花京院の首元まで閉じられた詰襟をこじ開けた。ぴったりと重なったそれを、片手で外すのは酷く手間で、最終的には力ずくでこじ開けた。ホックがゆがむのを指先で感じるのもつかの間、その下にも同じように着こんであったワイシャツのボタンを二つ三つむしりとった。案外呆気なくされされた花京院の鎖骨は白く、骨ばっている。
「ちょっと、君、トチ狂ったか?自分が何をしているのか解ってるのか?」
 あくまで冷静を装いながら、花京院は不安の声を漏らした。黙ってろと言ったのに、減らない口を閉ざす方法にキスをするというのは、もはや使い古されているようにも思えたが、承太郎は躊躇わずに顔を寄せた。
「うぐ、やめ、ろ……!」
 花京院は唯一自由になる両足を思い出したように右足を身体に寄せて承太郎の腰骨に当てた。あまりにもその頑丈な腰骨に、一瞬足の力が怯む。それを承太郎は見逃さず、己の膝で押し込めた。
「いやだ、やめろッ、離してくれ!!」
 花京院の口から今度こそ懇願が漏れた。駄々っ子が擦るように体全体を揺らす。流石に、承太郎の左手が緩んだ隙を狙うように、花京院はスタンドを出現させた。卑怯でも何でも良い、この状態を一刻も打破したかった。頭の奥がクラクラするような感覚が花京院を襲う。肌が足の指先から粟立って背筋が冷える。
「ぼくはこんなこと嫌なんだっ、じょ、承太郎ッ」
 パン、と、乾いた音が漏れた。自由になった手で、花京院が最初に行ったのは、衝撃の走った右頬を押さえることだった。早くやってきたのは鼓膜に届いた音で、次にジンジンと右頬が熱を持った。叩かれたのだと気付いたときには、承太郎の真っ直ぐな濃緑の瞳が花京院のことを見つめていた。
「目ェ、醒めたか?」
「な……、ど……」
 なんのことだ、どうしてだ、と、花京院が問いかけようとするのを、承太郎はありきたりなキスで再度押さえ込んだ。放心して抵抗しない花京院の薄い唇に、そっと柔らかく触れる。
 訳がわからずにぼんやりとしている花京院に、承太郎はさっきまでの鋭さがなくなっていることにほっとした。
「それが本来のテメーだろ、くだらねえ意地張って、慣れねえ場所で慣れねえことをやって、そうやって着込んだ学ランの下で、テメーが何を企んでるのかわからねェ、これじゃ友情も同情もなりたちゃしねえ。お前の殻をぶち破る」
「言っている意味が解らない。それとこの状況と、頬を殴られたことも意味が解らない」
 露呈したままの素肌を隠すように、花京院はワイシャツの前を押さえた。承太郎が花京院を組み敷いている状況に変化は無い。触れて壊して、潰してやりたいという承太郎の苛立ちも変化していない。
 それでも、先ほどまでの気持ちの悪い悪意はどこかへ消えていた。
「テメーの喋り方はなぜか解らねぇが気分が悪かった。作り物みたいなあの表情も、意地張ってる野良猫みたいな態度も、だからなんもねぇお前が知りたかった、お前友達いねぇだろ」
 承太郎は続ける。
「そんなんじゃ友情なんて始められねえし、同じ部屋でも眠れねえ。気持ちわりぃ外ッ面をぶち壊してやりたかった。それだけだ」
 それだけ、と、言う言葉には偽りがあったがそれをここで要求するのは酷く滑稽だ。
「もっと笑えよ、怒りはあるんだろ?じゃあちゃんと笑え」
「…………だって」
 花京院は呟いて顔を背けた。髪が顔に架かり薄暗い部屋も相まって表情は隠れる。
「ぼくが笑うと、みんなが気味悪がる」
 震える声でようやく搾り出す、花京院の内部がじわりと毀れた。
「何もかもを、隠さなければならない。君とは違う、ぼくはずっとそれと戦ってきた。一人だった。何も無い、君みたいな友人も家族も持っている君とは違う。でも、きっと憧れていた。ぼくはぼくを繕うしかないのに、君には君があった、だから解らないだろう。ぼくが、どんな気持ちで「私」を作り上げてきたのかが。こんなに呆気なく、「私」は壊されてしまった」
 花京院は、涙を落とした。ざらざらとしたさわり心地の悪いベッドに、それは吸収される。涙を堪えるように、花京院は歯を食いしばった。首の辺りに筋が浮いたので、承太郎はそれに気が付くことが出来た。剥がした殻の中身は、酷くちっぽけで哀しい虚栄心だ。
「嫌なんだ、ぼくはもう誰かに笑われるような自分ではいたくない。プライドを傷つけられるなんて、死ぬよりも苦痛だ。押さえつけられて、馬鹿だと思われて、こんな風に、露呈させられる」
「喧しい、そんなに虚勢を張りてぇなら、テメーの名前に誇りを持て、花京院」
 承太郎はそういって花京院の顔の横に両手を付いた。しっかりと今、花京院の視線と承太郎の視線がかみ合う。衝撃ではなく、絡みつく意図の様に、それは解けることを知らない。
「ぼくの、名前」
「でもって、テメーの友人がこの空条承太郎だ」
「……じょ、うたろう」
 濡れた花京院の目じりから、ぼろぼろと涙が毀れた。殻を破かれたそれは、もはや止めるものが無いように崩壊している。次から次へと目に溜まる涙が列を成して毀れていくので、承太郎はどうしようもなくなってしまった。
 柄にもなく、青臭く説教地味た言葉と、そして、その行為そのものに興奮していた。
 この場合、愛しているというのだろうか。体の下で、泣くそれは紛れも無い男のものだったのだが、最初から感じていた、彼に対する妙な好奇心と欲望は、本体を表した花京院に対してますます競りあがっていく。
「……花京院、好きだ」
「……すいません、解りかねます」
 承太郎。と、花京院は微かに笑って言った。この一触即発の状況下の中で、花京院は今までに無い表情を見せた。
 なんだか気が抜けてしまって、承太郎はそのまま花京院にもたれかかってしまった。ずっしりと落ちてくる巨体に、花京院はぐえ、と、押しつぶされる。しばらくそのまま、重なり合った互いの胸からなる、静かな心音に耳を済ませて、花京院は初めて出来た友人に、初めてそっと手を回した。




2012/10/19





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