子供のころの話
 

 回転行灯を見ると、夏の祖母の屋敷を思い出す。
 線香の匂いが漂う畳の和室で、音も無くクルクルと回っていたそれは、涼しげな紙張製で、まだ幼いぼくは、いつまでも回転する青い光の揺らめきを眺めていたものだ。
 祖母が亡くなってから、もちろん我が家でも、あの美しく磨かれた仏壇や、柔らかな光を放つ行灯を、小さいながらも購入するのだろうと、ぼくは楽しみにしていたのだが、ぼくの両親は、仏壇を購入することは無かった。

 残念だと思いながらも、ぼくもそんな信仰心から離れていって、そんな幼い頃の記憶は、いつしか懐かしい過去に変わっていた。だから、偶然、デパートで回転行灯を見つけたときに、ぼくはこみ上げる感情に、思わず言葉を失ってしまった。
 心なしか、祖母の屋敷で嗅いだ、あの線香の香りを思い出した。

「花京院、待たせて悪いな」
 しばらくぼんやりとその光を眺めていると、買い物を終えた承太郎が戻ってきた。幼少に戻っていた記憶が、あっという間に現実のぼくに重なり合う。
「え、ああ。靴下ありました?」
 ぼくは承太郎の右手にぶら下がるビニールの袋を確認した上で訊いた。まさか、彼の靴下が、全て同時に駄目になるとは想像していなかった。
 承太郎と生活を共にしてから、もう四年が経った。二人で選んだ家具のほとんどが、購入当時とは変わり、くすんで傷つき、生活の一部になっている。
「五足な、あと、オメーの」
「ありがとう、あとは下の階でティッシュと虫除け買っていくよ」
 こんな風な二人の買い物も、もう随分と慣れてしまって、なんだかもう最初の頃の妙な初々しさはすっかりなくなってしまっている。
 触れ合う熱も、熟知している。

「綺麗だな」
「え?」
 承太郎の声に、ぼくはぼんやりと俯いていた顔を上げた。承太郎の視線は、真っ直ぐと行灯に向いている。整った顔たちに、惚れ惚れするぼくも、もういない。
「盆提灯」
「あ、うん。綺麗だよね」
「このあたりじゃあ、とんと迎え火や送り火も見なくなったからな」
 承太郎はそう言うと、ほんの少し淋しそうな顔をした。祭り囃子に盆踊りや、墓地に揺れるはかなげな蝋燭も、都内ではほとんど見る事が無い。子供の頃に慣れ親しんだ感覚は、随分と前に、地方での古い慣わし程度になってしまった。
「変わるものだね」
 文化というのは。と、ぼくは言おうとしたが、そのまま口を噤んだ。ゆるゆると回り続ける行灯を、ぼんやりと承太郎と眺めているのは、奇妙にも心地よく、また、平日の来客の少ないデパートの上階は、ぼくらをそっと、昔の御伽噺のような世界に連れて行く。

「お盆は旅行に行こうか。送り火を見に」
 ぼくはゆっくりと承太郎の顔を見上げていった。そういえば、旅行なんて彼とほとんど行ったことが無い。仕事での遠出とは違って、何にもしがらみを持たずに、彼と古くの伝統を眺めたかった。
「灯籠流しでも見に行くか」
 彼とみる、それは、きっととても美しいものだろう。揺れる水面に反射して映る、鮮やかな赤の炎を、ただ幻想的な雰囲気の中で見つめ続けるというのは。そうして、死者をまた送り出すという、日本の華やかな行事を、心の中で守り続けていくことが、ぼくには途方も無く嬉しかった。
「いいね。凄く嬉しい。なんだか、子供の頃に帰ったみたいだ」
 ぼくが素直にそう言うと、承太郎は得意げに笑って、ぼくの背中を拳で小突いた。
「久しぶりだろ、そういうのは。なんだかんだで互いに忙しかったからな」
「予定を立てずに、ぶらりと行こう、あの時みたいに」
 ぼくは心にあふれ出す懐かしさの泉から、とっぷりと輝く黄金を見つけたような気になっていた。旅行というのは、ぼくにとって何よりも意味を持つものだから。
「なら、帰りにアレだな。るるぶ買ってくか」
「賛成、なら急ごう。夕立でも降りそうな天気になってきた」

 ぼく達は、大きな窓の向こうに見える、いつの間にか垂れ込めた雲を見やって、踵を返した。歩いているうちに、祖母の屋敷の線香の匂いが、後方に流れていく。
過去を振り切りながらも、一度だけ行灯のあたりを振り返ると、そこには懐かしい畳の仏間と、そしてぼんやりとその回転行灯を見つめ続ける子供が一人、淋しげに立っている気がした。



2012/6/19





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