甘い甘いご褒美
 

 ぼくは、驚いて顔を上げた。目の前でいまだ眠りに付いている承太郎の顔は、いつもどうりに整っていて美しかった。目を開けやしないだろうか。そう思ってもぼくの身体はそこから一ミリも動けずにいた。心臓の音がドクドクとやかましく音を立て、ぼくを翻弄させていく。

 なにを、と、問いかける必要も無い。気がつけばぼくは彼の唇に口付けていたのだ。いつもは触れることさえ出来ない彼の身体に、恐ろしいほどの引力で引き寄せられたようだった。
 エジプトの薄汚れた空気が室内を循環する。月明かりだけがぼくらを見下ろして凍りつく。
「あ……」
 ぼくはようやく搾り出した声を出した。承太郎の長い睫毛が揺れ、ぼくの手首がいつの間にか彼の大きな手のひらに包まれている。押さえつけられているわけではないのに、ぼくは動けなかった。
「じょうた……」
「テメー」
 承太郎が身体を起こすと、安っぽいスプリングが軋みをあげた。狭い室内で、ぼくらはただ見詰め合った。どくどくと耳の辺りがうるさい。体中の血液がサッと下がって冷や汗が出る。
 どうしよう。頭の中に浮かぶのはその言葉だけだった。今日のくじ引きで、唯一彼だけが引いた一人部屋の、こんな密室では、ぼくのどんな言葉だってただの下らない嘘に響くのだろう。
「こんな夜中に何の用だ」
 落ち着かなければ、早まる鼓動を抑えるようにぼくは彼の言葉を聞かずに関係の無いことを考えようとしてうつむいた。彼の瞳は、鋭く光りぼくを糾弾しているようにしか見えなかった。
 シングルベッドのマットは硬く、乾燥していた。でたらめな空調で室内が暑く、鼻の頭からじわりと汗がにじんだ。彼は黒のタンクトップ一枚だ。タイトなそれが彼の隆々とした筋肉をシルエットとして映し出して、ぼくは再び胸が高ぶるのを感じた。
(抱きしめられたい)
 浅ましいぼくの感情は、ただグルグルと身体の奥を刺激するだけで、そんな感情で彼に触れたことを酷く後悔させていた。
「花京院」
 思いのほか大きな彼の声に、やはりぼくは動揺を抑えきることは出来なかった。
「ご……ごめん、ぼく……」
 先の言葉が思いつかなかった。こんな行為は正しくない。
「ぼくッ……」
「いつも、こんなことしてたのか?」
「ッ……!」
 承太郎が、ぼくの腕を強く引き寄せたので、ぼくの身体はあっさりと彼の胸元に飛び込む形になった。彼の声が、耳元で艶っぽく響くと、肌がざわりと泡だった。
「知って……いたんですか」
「知らねぇと思ってたのか」
 ぼくは、目を瞑った。毎晩行われていたぼくのこの行為に気が付きながら、彼はそっと知らぬ振りをしていたのだ。羞恥心が彼に掴まれる手首から足の先まで駆け巡った。
 彼に押さえつけられて、ぼくの耳は彼の胸にぴったりと寄り添っている。そのため、彼の心音がぼくの元までしっかりと届いていた。どくどくと、ぼくのものか彼のものか、それとも別の生き物の物かわからずにざわめき響き渡る。
「知ってるのに……いつも、あんなふうに……」
 そ知らぬ顔をして、毎日を過ごしていたぼくは自分が酷く愚かなばか者のように思い、目を瞑った。こんな風に夜な夜な彼の元へ足繁く通っていたぼくに、彼は平然と話しかけていたと言うのだ。
「今日こそは理由を聞きたいと思ってな」
 理由、ぼくはその言葉は不思議な呪文のように感じた。今まで恋人どころか友人も持たずにきたぼくが、友人の枠を飛び越えた行為を、よりによって男である彼に行ってしまったのか不思議で仕方が無い。彼からあふれ出る野生的な部分や、自分と違った男らしい面に、同姓としてほれていた部分が深夜の異国の空気に後押しされるかのように無意識にこんな行為として行われていることがぼく自身不思議でたまらないのだ。
 ぼくの悩みなど知る由も無く、承太郎はぼくに答えを求めて詰め寄った。それこそ、先ほどのように彼の唇にぼくのものも触れそうなくらいに近かった。
 どくっと、一際高い音を立ててぼくの身体が血液を巡回させた。これ以上無いくらいに引き寄せられ触れ合う身体がとても熱かった。熱が体中を駆け巡り、それなのに指先はとても冷たい。
「言わねぇなら、言わせるだけだ」
 一瞬の出来事だった。彼がぼくの頭部を強く押さえ込んだかと思うと、そのまま唇が寄せられた。肉厚の彼の唇が、怪しいくらいに唾液で濡れると、一瞬離れるときに水音を立てたのだ。
「ンン……!!」
 承太郎の肩を押し身体を引き剥がそうとすると、彼の力は余計に強くぼくの頭部を押さえつけた。歯と歯ががちりとぶつかって痛い。息継ぎさえさせてもらえないキスに、ぼくの脈拍は一気に急上昇し、頭に血がたまり真っ赤になった。
「はッ…あ……」
 ようやく開放された唇は、酸素を求めてパクパクと開き、頭は酸欠でボーっとしていた。
「おめーよ、俺のこと、好きなのか?」
「ッ……ち、ちが……」
 違う、そういおうと思ったが、彼の瞳は嘘さえ簡単に見破るように気がした。ぼくは黙ったまま頷くとそのまま顔を上げる気は起きなかった。この際言い訳でもいいから、自分の言い分を彼に伝えておきたくなった。例えばそれが原因で、彼と気まずくなっても。もしくは、この旅からはずされても、もう構わない気がした。
「……君のことを、好きだとか……思ったつもりはなかったんです。決してそんなつもりじゃ……だけど…君は、とても格好いいんだ。ぼくが持っていないものをたくさん持っていて、だから……」
 なんと言えばいいのか解らなかった。それでも、この感情が愛とか恋とかそういった類のものに、今のぼくには到底思えなかった。もっと下劣で汚い感情だ。承太郎を汚すつもりなど到底無かったのに、ぼくの頭は次第に冷静さを取り戻し始めていた。承太郎の目つきが鋭く光るたびに、恐怖が体中を支配する。
 のどの奥が粘着質になり熱くなった。胃液が逆流してきて食道を焼いている感覚がする。涙の前に嗚咽があふれて、こぼれそうなそれを支えていた。
「すみません……変、ですよね。ぼくはただ……」
 ただ、なんだろうか。承太郎を、こんなに格好いい彼を自分の欲望で汚していたくせに。
全ては頼りない言い訳だ、裏切った冷たい月の明かりがぼくの懺悔を切り裂くように照らしている。毎晩こんなことをしていたぼくに対しての罰が下されようとしていた。もはや多分、彼の名前を呼ぶことさえ許されない。
「もう、ぼくは」
「謝るような行為だったわけか」
 承太郎の言葉が、ぼくの言葉を遮った。ぼくはごくりとつばを飲んだ。
「俺の、勘違いだったみたいだな」
 承太郎はそういうと、あっさりとぼくの手首を離した。身体が開放されたのに、ぼくはその場から動けなかった。彼の心音が、ぼくのものと同じくらいに足早に鳴り響く。
「だって、可笑しいじゃないか。こんなのは」
 ぼくは彼の顔を見れないまま言った。本当は、このままじっと彼の心音を聞いていたかっただけなのかも知れない。こんなにも問い詰められているのに、相変わらずの欲望は喜びのように頭をもたげ始めている。
「ぼくが、君を……好きになったからと言って、こんなことは、許される事じゃなかったんですから」
 承太郎はため息をつくような静かな声でぼくの言葉を遮った。
「そうか、俺が、オメーを好きになるわけがないって事だな」
 そうだ。ぼくは心の中でうなづいた。彼のような人がぼくを慈愛で包み込んでくれる訳はないのだ。ぼくは日本で見た彼の周りに居たたくさんの女性のことを思い出していた。どの人も、彼の隣を奪うためにたくさんの努力をしていたはずだ。彼と話をすることにたくさんの苦労をしてきたはずだ。
それなのに、ぼくはこんなにも簡単に彼女たちを裏切っている。
「き、君が……ぼくを好きになるわけなんて……」
 ちらっと彼の顔をのぞき見ると、彼は口角を上げて笑っていた。月明かりでそう見えただけなのかもしれないが、彼の瞳はなぜか確信の笑みを浮かべている。
「いや、惚れてるぜ」
 お前に。承太郎がぼくの耳元にささやいた。
「え……?」
 承太郎の唇が、ぼくの耳元から頬を伝って移動した。先ほどの乱暴なキスとは違い、愛撫のように優しく触れる唇が、わずかに振動する。花京院、俺は、オメーに惚れている。空気のようにわずかな声量で言うと、彼はその鋭い眼球でぼくを見た。射るような瞳というのは、こういう目のことを言うのだろう。ぼくの身体はがちがちに固まって動けなくなった。
「どういうわけだかな、テメーが毎晩夜這いに来るのを、待っていた節もある気がするんだ」
 ぼくは目を瞬かせながら、ぽかんと口を開けていた。
「だから今夜捕まえた。知っているか、今日は満月だ」
 承太郎が囁くと、ぼくの視界は一瞬にして変化した。ぼくの身体はベッドに組み敷かれて仰向けになり、その上から承太郎がのっそりと覗き込んでいた。彼の背後に天井と、窓の外に浮かぶ満月が見えた。心音がありえないほどに鳴りまるで警告音のようにぼくの脳内を揺らし始めた。
「知らないぜ、こんな夜中に何かあったって」
「ああ……」
 ぼくの唸り声は、彼の耳に届く前に心音によってかき消された。誰もいない室内は、やけに獣の匂いがした。
「それは、ぼくの台詞だろ……ッ」
 肯定、そう取るにはまだあまりにも判断材料にかけていたが、ぼくは今回もやはり欲望に身をゆだねて、力強い彼の腕に今度こそ強く抱きしめられることにした。





2009/4/21
花京院も承太郎も、本心を内に隠そうとする気がします。
でも高ぶる感情を抑えきれず夜這いに走ってしまう……笑
どちらも捕食者みたいな承花もいいし、花京院が、こんな感情は異常だ、って思いながらも、承太郎への思いがむらむらと溜まってしまうのもいいなぁなんて思いながら書いてみました。
花京院って、ちょっと変態気質で、承太郎はムッツリな感じで書かせていただきました。





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