夕暮れに手を繋ぐ
 

 何でこんな日に限って雨が降るんだと、承太郎は舌打ちをした。めったに乗らないゼファーなどに跨って、土砂降りの中をひた走るなどというのは不恰好極まりないなと思う。雨水は承太郎がバイクに乗っていることなどには毛頭目もくれず、ただひたすらに振り続けていた。

 それでも、濡れた路面をタイヤが走る音は心地よかった。ヘルメットを伝い雨水がこぼれ、マフラーにあたった水がジュウと音を立てて蒸発していく。

 バイクで出かけた理由は酷く単純だ、花京院と些細なことで喧嘩をしたのだ。捨て台詞を吐き出して飛び出したのがつい三十分前で、ささくれ立った気持ちのまま引っつかんだヘルメットを被ったのだ。
 天気予報を見ていなかったのは自分の敗因であると思ったが、その雨のおかげでずいぶんと早く、頭は冷えたようにも思えるのだ。そのため、承太郎はもうすでに自宅であるマンションへ戻る道を走っている。もう五分もかからないだろう。承太郎は自宅までの国道を、時速五十キロをキープしたまま走り続けた。


「ただいま」

 飛び出して行ったのに、ただいまとはなんだろうか。承太郎は一瞬考えてそれでも言ってしまった言葉は消せないと首を掻いた。花京院はリビングのソファーに座ったままだったので、承太郎からは表情も見えなかった。リビングの床にはいろいろなものが散乱している。承太郎が出て行ったまま時が止まってしまっているようだった。

 返事くらいしたらどうだ、承太郎はその言葉を飲み込んだ。いつもならタオルを持ってかけよってくるのだが、今日はその様子が微塵も無かった。承太郎はずぶ濡れのまま靴を脱ぐ。グポっと、靴の中に溜まった水があふれる感触がして顔をしかめる。

 ジーンズは雨を吸って重く身体にまとわり付いていた。ある種の倦怠感に襲われながら、承太郎は脱衣所に向かったが、フローリングが傷むだろう、という、花京院の叱咤は飛んでこなかった。


 湿った服を脱ぎ捨ててまとめて洗濯機に放りこんだ。どうせ洗うのは自分なのだからどうでもよい。重い服から開放された身体は気だるく、そして冷えていた。承太郎は身体をすり合わせ蛇口をひねる。ぬるま湯が冷えた身体に触れれ水をはじくと、浴室はあっという間に湯気に埋まった。

 適当に身体を流し、承太郎は湯船に浸かった。花京院が気に入っているこの湯船は承太郎が入ると少し狭い。それでも適度に心地よい温度に、承太郎はため息をついた。目を瞑り、身体に働いた浮力を指先に感じる。花京院の名を呼ぼうと思ったが、やめた。泣いていたのだろうか。家を飛び出す直前に見た花京院の悲しげな表情が、目を瞑るとまぶたの裏で再生される。

 あやめるべきは自分なのだろう。承太郎はひとりごちた。


 その時、カタンと、脱衣所で音がして承太郎はまぶたを開けた。そこに居たのは花京院だった。いつの間にか脱衣所にだらりと座ってウィスキーをすすっている。金色のそれをグラスになみなみ注ぎ、大きめな氷を入れるのが一番美しいらしい。

「開けっ放しだと、湯気がリビングのほうにまで来てしまう」

 花京院は唇を尖らせて言った。自分は悪くないのだという主張だということに、承太郎は気が付いた。

「そうか、悪かった」

 承太郎が言うと、花京院はもうひとつ持っていたグラスを彼に差し出した。それにも、金色のウィスキーがなみなみと注がれている。

「まだ、怒っているかい?」

 花京院は訊いた。

「いいや、冷静になればもめるような事じゃなかった」
「ごめん」

 花京院のスタイルだ、承太郎は安心する。もめるようなことではなかったと思ったのはたぶん承太郎のほうが先だったろう。しかし、その真相を知る手立ては承太郎には無かった。

「君が出て行ってから、ぼくは思ったんだ。雨でも降ればいいってね」

 花京院はウィスキーに舌先をつけながら言う。ぴちゃ、ぴちゃと、蛇口から水滴が落ちている。浴室で、花京院の声は思ったよりも響いた。反響して、花京院の声が承太郎の耳に届く。

「そしたら本当に降ってきて、すごくびっくりした」


 だって君、今日は珍しくバイクなんかに乗ってたじゃないか。花京院はそう続けた。その間も蛇口から水が漏れるのはとまらなかった。

「やっぱりぼくの我侭だったと思うし、謝るよ」
「気にしちゃいねぇ」

 承太郎はグラスの中のたっぷりとした液体を見ていった。美しい金色だ。

「だから、仲直りのしるしだよ」

 花京院は身を乗り出して、承太郎のグラスに自分のグラスを当てた。キンっと高い良い音がした。酔っ払っているのか、花京院はパジャマが濡れることも惜しまずに浴室に侵入し、へたり込むと浴槽のふちに頭を預けていった。

「ごめん、やっぱりぼくらは恋人同士なんだしね」

 手くらい握りたいと思うのは、ぜんぜん普通のことなんだよ。花京院は言う。
 承太郎は、グラスの中のウィスキーを一気に半分ほど飲むと、花京院の頭に手を載せた。濡れてふやけた承太郎の指先が、花京院の髪をぬらす。

「眠たくなってきたよ、早くその湯船から出てきてくれ。一緒にベッドに行こうじゃないか」

 花京院がとろりと惚けた顔で言うので、承太郎はそれに賛成した。


 夕暮れくらいは手を繋ごうじゃないか。なぜか満足げに花京院はそう独り言を言った。





2009/6/1
花京院は、同性同士だということを非道徳的に捕らえているといいと思います。
でも、ふとしたことがきっかけでその[たが]が外れたり付いたりするのもまたいいと思います
もちろん葛藤は承太郎にもあるのですが、花京院のほうが感情として排出しそうです
承太郎は「恋人なんだから、夕暮れくらいは手を繋いでもいいじゃないか」と提案して、花京院の理性というか、良心というかが「そんなの不道徳すぎるだろう」と喧嘩になるわけですね!
説明しないとわからないですね。補足でした。





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