メモリー イン メモリー
 


 川べりの道はぼくらの定番の散歩コースだ。ぼくは手の中にあるスーパーの袋を握りなおした。夕闇に染まる、温い風が水面から上がってきて、ぼくらの頬をなでていった。
「偶然君に会えてよかったよ」
 ぼくは言う。隣を歩く承太郎は寡黙な人だから、会話の糸口はいつもぼくが探す羽目になるのだ。
「オメー、もし俺が居なかったらいったいどうするつもりだったんだよ」
 承太郎は両手に持ったビニールを持ち上げて言う。醤油とお米と、安くなっていたキュンメルを買ったのだ。ついでにビールも、と思わなかっただけありがたいと思ってほしい。
「ぼくだって男だからね」
 それくらいはもてるよ。言うと承太郎はやれやれとかぶりを振った。ぼくの持っている袋には卵と揚げ出し豆腐とそれに細長い万能ねぎが入っているだけだった。白い袋からひょろりとしなるねぎが青々とした色彩で飛び出ていた。
「とすると、俺がスーパーの前でおろおろとしてるお前を見たのは幻覚かなにかだったのか」
「……君ってしつこいよね」
 ぼくは笑う。確かに、あの時のぼくは少し、いやかなり動揺していたと思う。何を思ってこんなに買い込んでしまったのかが不思議でたまらないが、どういうわけかぼくは両手に破けそうなほどのスーパーの袋を抱えてたっていた。
「米に、醤油、キュンメル」
「それと卵と揚げ出し豆腐と万能ねぎ」
「久しぶりに一杯するか」
 承太郎と夕食を共にするのは、どうやら相当久しぶりらしい。



 広い室内に、夕食らしい香りが漂っていた。簡単な炒め物と揚げ出し豆腐。どちらも酒のつまみには最適だ。承太郎が居なかったら酒も煙草もセックスもたぶん興味の無いものに写っていたと思う。
 時折、会社の付き合いで同僚の女性と食事をともにすることがあるのだが、彼女たちはいつも大げさなおしゃれをし、鼻に付く香水をつけていた。ぼくがエスコートするレストランはどこもいうなれば中途半端で、彼女たちはいつも難しい面持ちだったのを思い出す。
「いつまで立ってやがる」
 承太郎の声に、ぼくは曖昧な返事をした。あの会食と比べて、承太郎との食事は自然だ。大皿から適当に箸でつまむ。女性はなんでも小皿に分けたがったがぼくはその姿を見るたびに、昔の一人で食事をする自分を思い出して惨めになるのだった。
「考え事か?」
 承太郎に、隠し事はできない。見透かされてしまうのだ、そのグリーンの瞳に。
「うーん、思い出してたことがあって」
「なんだ」
 ぼくは一瞬考えた。考えて、これ以上は言う必要の無い言葉だと思う。この豊かな食卓に、香水のにおいなどは微塵も漂わないのだから。
「あ、今日は山形の特番があるんだ」
 テレビのリモコンに手を伸ばす。覚えた数字をボタンで押すとそこには農家のおばあさんとおじいさんが籠いっぱいの野菜や果物を持っていた。
「あー、さくらんぼ。佐藤錦はすごくおいしいんだよ。ぼくの叔父が農家を営んでてね、傷んだ……その、さくらんぼってすごくやわらかいから、雨とかですぐに割れてしまうんだ。そういった傷んださくらんぼをよく箱いっぱいに送ってくれるんだよ」
 ぼくはしゃべり続けた。テーブルの上の揚げ出し豆腐に醤油をかけながら。真緑のねぎが黒に染まる。
「うらやましいな」「君の家だって、とても素敵な日本家屋だ」
「……人の話をきいてねぇだろ」
 承太郎が揚げだし豆腐をほお張った。ぱりぱりと小気味よい音がした。ぼくはふと、頭に浮かんだ言葉を口にする。テレビの中では、女性アナウンサーが真っ赤なさくらんぼを顔の横に持ってきていた。大きな粒と、瞳の大きさがほとんど同じような、まるで女優のようなアナウンサーだ。
 とたんにぼくの頭の中に、今までの日常がフラッシュバックのように流れさっていった。承太郎夕食をともにしたのは、かれこれ一ヶ月ぶりくらいなのかもしれない。
 幸せだった。今、猛烈にぼくはそう理解した。
「今夜は手を繋いで眠ろう」
 承太郎は怪訝そうな顔をするが、ぼくは構わず続けた。
「一緒にお風呂に入って、一緒にテレビをみて、一緒に寝たいんだよ」
 いとおしい果実を見て、ぼくはなにか興奮した。胸が高鳴っているのだ、これは恋以外の何者でもない。ぼくが恋をするのは、目の前の承太郎だけなんだ。
「すごく、今、君が好きだ」
 ぼくの告白に、承太郎は驚いて目を開いている。唐突だな、と言ったが、別段嫌がる様子は見せない。
 幸福。ぼくは今、世界一幸福な場所に居るのだ。






2009/6/10





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