ぼくらの
 

 この世界には、君が知らないぼくがいて、ぼくが知らない君がいたんだ。


「中学校の話」
 ぼくはそう切り出した。まだ六月なのにグラウンドは蝉が鳴きそうなくらいに暑そうだった。高くに上った太陽が、白々しく輝いている。天気予報は嘘ばかりだ。
 土曜日の午後――授業はとっくに終わっていた――教室には誰もいなかった。生物係というわけの分からない係りにさせられたぼくはクラスで飼っている亀の水飼えをしてやっていたのだ。黒々とした軽い石や、水槽の内面に付着した苔を、新品の歯ブラシで磨いてやるのは気持ちよかった。青いポリバケツに入った亀は大きな石に足を乗せてにゅっと首を差し出している。
 きれいになった水槽に、真新しい水道水を入れて承太郎が教室に戻ってきた瞬間だった。

「なんの話だ」
 承太郎は木で組まれた教室の一番後ろにあるロッカーの上に水槽を置き訊いた。ぼくはポリバケツとカルキ抜きの中和剤を持ってその場に寄る。
「家で小さな亀を飼っていたんだ」
 ミドリガメだっただろうか。小さな身体はいとおしくいつもぬるぬるとしていた。その時のぼくは亀のことなど知らずに、そのぬるぬるが、亀の甲羅に生えたいくつものカビだということには気が付かずその亀は小さなうちに死んでしまった。
「ミシシッピアカミミガメって言うんだ、本当は」
 中和剤を水槽に入れてかき回しながらぼくは言う。承太郎は真剣そうにも退屈そうにも見える表情で水槽の中を見ていた。大きな石を水槽に落とし込み、陸地を作りぼくは承太郎の顔を見た。
「……毎週水変えなんて面倒くせぇ」
「仕方ないさ、案外気に入っているかも」
 最初の頃こそ、生物係とはなんだとぼくも思ったが、はじめると案外愛おしいものだと思う。この亀にはいささか小さい水槽を、優雅に泳ぐ姿も、石の上で静かに甲羅を乾かすときも。

「それに、いつも君がいてくれるから」
 そうだ。エジプトから帰ってきて、彼は一年留年した。もともと出席日数が足りなかったというのもあるが、これは彼たっての願いでもあったのかもしれない。ぼくらは晴れて同級生へ、そして、嘘みたいに一緒にいた。家族よりも大切な――恋人なんかよりもっとずっと大切な――友達。

「俺は毎日オメーが騒がしく迎えに来るからここに来てんだ」
 承太郎は言ったが、ぼくはそれが嘘だということは分かっていた。承太郎は、たぶんぼくよりずっと真面目なのだ。真面目な不良、それもなんだか妙だけれど。
「ホリィさんが喜んでくれるしね」
「息子がもう一人増えたみたいとか言ってやがったぜ」
「本当?うれしいな!!」
 ぼくは声を出して笑う。亀もその声を聞いてか、首を伸ばした。きれいになった水槽で、ゆったりとして動きながら。亀は長生きだけど、それにはたくさんの困難を乗り越えているのだ。その困難の中、それでも彼らは緩やかに生きる。生まれたときから、年寄りのように。
 亀のいなくなったポリバケツは、突然に生気を失ってしっとりと薄暗い。プールのような水面がゆらゆらと蛍光灯を反射する。
 ぼくらは顔を見合わせた。

「あちぃな、さっさと帰ろうぜ」
 承太郎は言うと白いシャツを煌めかせた。承太郎でも、夏服を着るのだと初めて知ったときのぼくの衝撃は大きかった。だらしなく出した裾が風を切って靡く。自分とは対称的な彼の、知らなかったことが次第にあらわになってくるのだ。

「帰りはアイスを食べて帰ろうね!」
 承太郎が短く相槌を打つ。
 教室の向こうは、ゆったりとしたぼくらの日常が、暑そうな日差しを浴びて輝き続けていた。



2009/6/16
近所の亀がこつこつ水槽を鳴らすのでかわいいです!





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