光速ライン
 

 加速していく世界は、緩やかな風を受けて景色を後方に流して行った。講師は次の信号を右、と冷たく言い、また教本に目を落としてしまった。花京院は言われたとおり、道路を右折し帰路の道をたどる。ゆっくりとブレーキを踏み、左右の確認をしてから曲がると、講師は見てもいないのに、あなたは運転の才能があるわね、と言った。よく通る綺麗な声だったが、爪に塗られた赤のエナメルがその声をなんだか妖艶な雰囲気にさせていた。
 免許を取ろうと思ったのは、退屈な毎日をつぶすためだった。大学の夏休みはひどく長い。そんなに休んで大丈夫なのだろうかと疑ってしまうほどに。花京院は薄いグレーのメガネから流れていく街を眺めた。

「あ、プルキンエ現象」
 花京院が窓の外に向かって手のひらを差し出し言った言葉に、承太郎は眉をしかめた。
「教習所で習ったんだよ。夜と夕方の間、海の中にあるみたいだ」
 実際、花京院の腕は窓の外で青白く病的に細く映った。承太郎はしかめっ面のまま花京院の腕を窓から室内へと引っ張り込んだ。承太郎の腕が強く花京院の体を抱く。
「いきなり引っ張るなよ、びっくりしただろう」
「変な言葉を使うからだぜ」
 承太郎。花京院は困ったような声で呟いた。変なのは君の方ではないかという言葉を飲み込んだまま。

「お疲れ様、明日は高速に乗るから、予約を忘れないでね」
 ひらひらと手を振って、講師は車から離れた。お疲れ様です、ありがとうございました。と一連のあいさつをして花京院はビルの中に戻る。たった一時間の乗車であるのに、花京院は一般道路運転に困憊していた。今日の講習はこれで終了し、また明日の講習予約をしなくてはいけない。
 花京院はビルの中の小さなパソコンに向かって自分の教習ナンバーを入力した。
 背後を高校生に思わしき生徒が通り抜けていくのを感じながら、花京院はメガネをはずす。
「仗助〜バイクの免許取れたらツーリングつれてけよ〜」
 間延びした声は、確かに生き生きとしており、花京院は懐かしい思いに浸った。
 免許を持っていないのに、乗り方を知っているなんて不良の象徴のように承太郎は言って、花京院を無理やりにバイクの後方に乗せていた。
 懐かしい夏の香りが脳裏に思い描かれた。

 ビルを出たところで、花京院は見覚えのあるバイクに素早く反応した。夕日は沈みあたりにはしんとした暗闇が落ち込んでいる。承太郎のバイクだ。黒のシャドウは街頭のライトを照らし美しくそこにあった。
「承太郎」
 花京院が声を上げると、バイクの後ろで煙草を吸っていた承太郎が振り向いて手を挙げた。思わず足が速くなるのも気にせず駆け寄ると、花京院は満面の笑みでお疲れ様、といった。
 二三日前から承太郎は書斎にこもったままレポートを仕上げていた。来年からアメリカに渡るための論文を書いていたのだ。自分より一年早く就職を迎える承太郎に、花京院はほのかな憧れを胸に抱いた。
 アメリカに行く。と、承太郎が切り出した時の顔を、花京院は忘れられない。別れるわけではないのに、承太郎はひどく泣きそうな顔をしていた。花京院の方が案外あっけらかんとし、そうか、がんばって。と承太郎の背中を撫でてやったのだ。
 あと数カ月。一緒にいられるし、大学の休みは夏だけではなく、春も冬も長いのだ。
「迎えにきてくれたのかい?」
 花京院はうれしいなあ、と笑ってさっとバイクの後方にまたがった。
「教習はどうだ?」
「まあまあ、かな。センスあるって言われるよ、明日高速に乗るんだ」
 思った以上にうれしそうな声が出て花京院は口をつぐんだ。エナメルの指先を思い出して、そっと承太郎の指先を見る。骨ばった手は乱暴に花京院の頭にヘルメットをかぶらせた。
 ライトが照らされて、エンジンが唸りを上げる。バイクは外気を直接肌に触れさせるので車よりも爽快だった。花京院はどんどん速度をあげ巻き起こる風に心地よさそうに目を閉じた。
 承太郎が何か叫んだが、聞こえずに知らないふりをする。信号はタイミングを計るように次々と青に変わった。
 地平の彼方はまだうっすらとした青を帯びている。
「承太郎ー!高速に乗ろうよ!イメージトレーニングするんだ」
 花京院は突然に思い立ってそう叫んだ。承太郎は一度訊き返してきたのでもう一度叫んでやると、構わないぜ、と笑った。豪快な笑顔だ。すべてを吹き飛ばすようなその顔が、花京院はとても好きだった。
 承太郎のバイクはインターチェンジを超えて軽やかに高速に乗る。加速車線は緩やかなカーヴを描いて本線へと合流していた。
「スピード上げていくぜ、昔みたいにな」
 砂丘をひた走る承太郎のバイク、輝かしい速度を増してどんどんと景色を追い越していく、それを感じながら、花京院は景色の中にあの懐かしい日々を思い出していた。
「どんどん行こうよ、ぼくらは、どこまででも行けるんだから」

 未来に向かって、星になるような感覚が、花京院の中で円状の螺旋を描いていく。花京院はそっと目を閉じた。きっとあの少年たちと同じ輝きを持っていると思いながら。


END



2009/9/15






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