朝、というよりも花京院は雨の音で目を覚ました。一ヶ月ほど前から雨どいに開いた大きな穴からぽつぽつと雨水がこぼれるたびに地面を強く打つ音がするのだ。雨天特有の生ぬるい空気は、窓にぴったりと張り付いてはいたものの室内まで侵食するようなことは無かった。
時刻は11時を指しているが、寝室は暗い。身震いしながら床へと足を付くとそこはほんのりと暖かかった。
しばらくぼうっとしていたが、花京院はゆっくりと立ち上がってベッドサイドに置き去りにされていたエビアン水を手にとってキャップをまわす。未開封だったのか、パキリと乾いた音を立ててそれは開いた。
水色のキャップがかわいいと、花京院が気に入って購入するものだ。
花京院はそのままひたひたと歩いた。この部屋の持ち主である承太郎の方針に従い、就寝時は肌着以外を身にまとわない。トランクス一枚で寝室から出ると、昼間なのに電気をつけたリビングに想像していた人影は見当たらなかった。変わりに、雨の音に混ざるようにシャワーの流れる音が洗面所から聞こえた。
室内の空調は25度に整えられていて、湿度も心地よい。高級マンションとは本当に至れり尽くせりだと、花京院は感動した。
承太郎の飲みかけのコーヒーカップをキッチンに運び、まだ気だるさの残る腰をさすりながら花京院は湯を沸かした。そのうちにタオルを巻いただけの承太郎が洗面所から出てきて、よお、と一声かけた後そのまま寝室へ引っ込んで行ってしまった。
毎日の情景だった。愛おしく、狂おしいそれが二人にとって何よりも喜ばしい現実である。
「コーヒー淹れなおしたよ」
ぼくは紅茶。花京院は承太郎にかける用に言って、さっさとソファーに腰掛けた。もともとは白いソファーだったが、長年使っているためか、今は少しだけ薄汚く皮も薄くなったように感じた。
「ああ、助かるぜ」
何が助かるんだろうな。承太郎は一人ごちてまだ水滴の滴る髪のまま黒いタンクトップを着た。
「ちょっと、君。まだ髪が濡れてるじゃあないか!」
花京院は承太郎の歩いた先々を見て転々と落ちる水滴を指差しながら言った。ほとんどソファーに寝そべるようにしている。
「いいじゃねえかよ」
「よかないですよ」
フローリングが痛むだろうと花京院はまだ眠りの中から言った。おそろいのシャンプーの香りが承太郎の髪から滴る水滴に絡みつくように室内を侵食し始めた。
ほのかに暗く、それでもそれは不愉快さを感じさせなかった。彼から香る柑橘系の柔らかい香りも、コーヒーの湯気の色も、そして雨の音も。
「だまって今日はおとなしくしてようぜ」
承太郎はソファーに身体を伸ばした花京院を避けるように、ローテーブルとソファーの間に身体を下ろした。花京院の目の前には、承太郎の広い背中がありありと映る。鍛え上げたというより、自然に鍛えられたのだろう筋肉が彼が動くたびにしなやかにゆれた。
花京院は用意したコーヒーには手を付けずにペットボトルから水を飲んだ。人は不思議だ。蛇口を捻れば水が出るのになぜもわざわざ水道代以外の出費をしてまで水を買うのだろうか。花京院は少し考えたが答えなど出なそうだったのでそのまま黙って承太郎の背中を見た。
「何か、テレビでもつけるか?」
承太郎が振り向いてそう訊いた。花京院は一瞬驚いたがすぐにいつもの顔に戻って首を横に振った。
「いいや、今日は雨の音でも聞きながら話でもしようじゃないか」
花京院の言葉に、承太郎は良いぜと頷いた。窓を静かに叩く雨、雨どいを抜けて滴り落ちる水滴の音。ギッ――と、ソファーが承太郎の体重を支えるために軋んだ。
承太郎が振り向きながら肘かけたソファーはゆっくりと沈みこみ、それにつられて花京院の身体もそちらに傾いた。
雨の音にも負けないくらい微かな音を立て二人の唇は触れてそして、離れた。
「聞かせてくれよ。君の声をさ」
たまには雨の休日も良いかもね。花京院は承太郎の腕の中で微笑んだ。
2009/5/10
5月からずっと拍手が変わってませんでした!
2009/10/27 収納