すきって言って
 



 隣に住む二十五歳、男、花京院典明。近所の音大に通っている彼は、音大生専用の寮ではなく、一人でこのマンションに越してきた。緩いウェーブを描いた茶色い巻髪が印象的で、男にしては酷く細い体つきをしていた。
「おはよう、空条クン」
 毎朝、俺が学校に行くときに、花京院は大抵大きなゴミ袋を持って濃茶の扉を開けて廊下に出る。俺は手ぶらのまま花京院に短く返事をして階段へと向かうと、花京院もいつものように俺の後ろを歩いてきた。
「いい天気だね」
 だとか、
「今日は学校何時まで?」
 とか。とにかくいろいろ訊いてくるのが面倒くさい。俺は適当な相槌でそれを交わすと、階段を一段下りた。
「じゃあね、後でね」
 後でね、と、言いながら、花京院はエレベーターの下ボタンを押した。ひらひらと手を振って、母親に彼が大学生と聞かなければ、ただのニートにしか見えなかった。華奢すぎる腕で、どれほどの音楽を奏でるというのだろう。

「ピアノ科なんだよ」
 あるとき花京院は訊いてもいないのにそういった。ピアノ科なんだよ、と言った声は、緩く熱を持って俺の鼓膜をくすぐった。
「入学するまでは結構荒れてたんだよ、ぼく」
 俺の着古したぼろぼろの学ランを見て、花京院は目を細めて懐かしそうに見た。
「……オメーみたいな優男が、不良になるわけねぇだろ」
 俺はトレードマークの帽子の角度をいじりながらそういった。

「遅かったね」
 エレベーターを使った花京院は、もうとっくにゴミを網の向こうに出して戻ってくるところだった。俺はあの時と同じように帽子の角度をいじった。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
 ひらひらと、背中を見送られ、俺は遅刻確定の学校へ向かった。


 ターン、と、花京院の指が白い鍵盤をはじいた。
「ホリィさん、今日はお茶会だってさ」
 中途半端に学校を抜け出してきて、残りの一日を、俺はほとんど花京院の部屋で過ごす。多趣味な母は、朝俺を見送った後、茶道や生け花、着付けにゴルフなど、さまざまな趣味をこなし、俺が帰宅する頃にはきちんと台所に立っている。
「ふぅん、どうでもいい」
 俺は黒いグランドピアノの天板に手を突いて言った。
「あ、承太郎、腕離して。音が鈍る」
 花京院は茶色のメガネの向こうから、柔らかい声でそういった。俺は慌てて手を離す。
「……自分で調律する奴も珍しいな」
「ぼくはの父は調律師だったからね」
 花京院のさらりとした物言いは、それについて深く触れてほしくないときのサインだと、俺は最近気がついた。それにしても、こいつの話を訊いていると、次から次へと新しい発見があるのが面白い。
「君の父さんがジャズピアニストであるのと同じようにね」
「……ピアノを弾いてたなんて知らなかったがな」
「そのお陰で、ぼくはピアノに目覚めたんだからいいんだよ」
 花京院はくすくすと笑うと、天板を閉めると、工具を箱にしまい始めた。
「さて、何をしようか」
 花京院は笑って鍵盤をはじく。シ、フラット、ソ、流れるように連音する。
「花京院」
 細く長い指が、メロディアスに鍵盤をはじき始めた。俺は椅子に座る花京院の隣にたった。ノクターンだ。俺はただまっすぐと譜面板と対峙している花京院の横顔を眺めた。緩やかなピアノの音は、何者にも邪魔されることなく響く。
 花京院の音は性格で、とてものびのびと心地がよかった。
「…………」
 俺はそっと譜面台の前に頭を突き出すようにして花京院の顔を見つめた。驚いたように花京院が身体を仰け反らせる。不穏な音が小さく流れて、やがて入った最後の章で、花京院はゆっくりと指を止めた。
静かな和音が微かに乱れる。
「……ふっ」
 ちゅ、と、音をたてて唇を離すと、花京院はゆっくりと睫毛を振るわせた。長い前髪を指先で掻きあげると、珍しく満更でもない表情をしていた。
「演奏中は」
「じゃあ弾くな」
 俺が言うと、花京院は困ったような顔をして、それで、わかりきったかのように腕を伸ばしてきた。首に絡みつく細い腕。俺は花京院の肩口に顔を埋めて深く息を吸った。
「……承太郎、これ、犯罪、かな」
 君、未成年だし。と、小声で呟く花京院の唇を、挟むように塞いで、俺は花京院をピアノの天板に座らせた。花京院はそれを嫌がらない。むしろ、ピアノのそばで、触れられるのを好んでさえいる。これはぼくの家族なんだ。たしか、そんな風に言ったときもあった気がする。
 俺は一枚ずつ花京院の服を脱がしてゆき、その下にある柔らかく白い肌に触れた。しっとりとしたそれは、誘うように揺れる。
「誰にもばれねえよ」
 襲ってるのは俺なのに、と、俺は思った。肌に顔を埋めて息をすると、どこからか花の匂いがした。花京院の肌を舐め、ジーンズのボタンを指で解く。
「……よかった、だって、ぼく、君のこと好きだから」
 好きだから。と、花京院は呟いた。その後すぐに、声は甘い疼きに変わる。
「ンっ、承太郎。スキ」
 足の間に顔を埋められ、羞恥の表情で花京院は呟いた。俺はわかっていると相槌を打つ。
「ねッ、あとで、散歩に行こうね」
 花京院は言って俺の髪を弄った。花京院の性器を口内に納めながら俺は返事の変わりに溢れた蜜を吸い上げた。花京院から甘い嬌声が漏れる。
「あッ、ん、じょうたろう」
 黒い天板が、扇情的な花京院の姿を映し出している。綺麗だと、俺は思った。
「散歩でもなんでも、テメーの身体が持てば行くさ」
 こんな風に、性急に相手を求めるなんて、俺もまだまだガキだなと、思う。
 まあいいんだ。俺たちの関係は、多分これからなのだから。



2010/06/05
ピアノ科のりあきと高校生じょうたろう
なんかいろいろ設定があった気がするのですが、とりあえずかきたいとこだけかけました




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